第6話 人間すぎた
「じゃあ、やるか」
ライアンは面倒そうに剣を拾い上げた。
鞘も付けず、刃をむき出しのまま。
「言っとくけどよ」
「俺、手加減とか知らねぇから」
その目は笑っている。
だがそこに、友好的な色は一切ない。
ノアは、庭の隅に立っていた。
手にしているのは、練習用の木剣。
軽い。
あまりにも軽い。
重さがないというより、
覚悟を受け止めるだけの重みがない。
「構えろよ」
言われるまま、ノアは構える。
教本通りの、基本の構え。
それを見た瞬間、
ライアンは鼻で笑った。
「はは」
「なんだそれ、学園ごっこか?」
次の瞬間。
――踏み込み。
地面を叩く足音と同時に、
重い一撃が、容赦なく振り下ろされる。
ノアは反射的に受けるが、
衝撃が腕を突き抜け、骨まで震えた。
「っ……!」
木剣が、地面に転がる。
乾いた音が、やけに大きく響いた。
「おいおい」
「受けきれねぇのかよ」
ライアンは肩をすくめる。
「剣はな」
「力だ、力」
言いながら、間合いを詰める。
二撃目。
三撃目。
ノアは、避けるので精一杯だった。
構えは崩れ、
足はもつれ、
呼吸が乱れる。
芯が、合わない。
(……重い)
ただの素振りとは違う。
人の剣は、
意思と体重が、露骨に乗っている。
ライアンとノアでは、体格が違いすぎた。
肩幅。
腕の太さ。
脚の長さ。
線の細いノアでは、
正面から受けきれるはずがない。
「おいおい」
ライアンが、わざとらしく笑う。
「そんなに避けられてもよ」
「こっちが困るんだが」
次の瞬間、
距離を一気に詰めてきた。
突撃。
剣と剣がぶつかり、
鍔迫り合いになる。
木剣が軋み、
腕が悲鳴を上げる。
押し負けている。
明確に。
力の差は、
覆しようがなかった。
ライアンは余裕のまま、
ノアの耳元へ顔を近づける。
そして――
ノアにしか聞こえない声で、囁いた。
「どうせさ」
低く、嘲るように。
「お前を育てたやつも」
「不幸で、幸薄いんだろ?」
――その瞬間。
ノアの中で、
何かがぷつりと切れた。
浮かんだのは、
父親ではなかった。
血の王でも、
夜の復権でもない。
浮かんだのは――
粗末な家。
暖炉の火。
「たーんとお食べ」と笑った、
あの女の顔。
(……触るな)
次の瞬間、
ノアは鍔迫り合いを強引に外し、
半歩――懐に入った。
狙ったわけじゃない。
計算したわけでもない。
ただ、
身体が先に動いた。
細い脚が、地面を蹴る。
本来、吸血鬼は人間と比べものにならない脚力を持つ。
だがノアは、それを自在に扱えない。
制御も、再現もできない。
それでも――
その瞬間だけ、
力が「出てしまった」。
意識したわけではない。
呼び出したわけでもない。
ただ、
感情に引きずられるように、
一瞬だけ、力が身体を突き抜けた。
渾身の一撃。
拳が、
ライアンの腹に叩き込まれる。
「――ぐっ!?」
鈍い衝撃音。
空気が、止まる。
ライアンの身体は、
まるで糸を切られた操り人形のように、
くの字に折れ、
庭を転がった。
ノア自身が、
一番驚いていた。
――今のは、なんだ。
腕も脚も、
もう震えている。
同じことは、
二度とできないと、
直感で分かった。
沈黙。
何が起きたのか、
理解できない顔。
ライアンは、
地面に伏したまま、数秒動かなかった。
やがて、
よだれを垂らしながら、
ゆっくりと立ち上がる。
「……てめぇ」
口元を乱暴に拭い、
目を見開く。
そこにあったのは、
訓練された剣士の顔じゃない。
殺意だった。
「殺す」
剣を構え、
切れかかってくる。
その剣幕は、
吸血鬼よりも吸血鬼で、
あまりにも――
人間すぎた。
そこからは、一方的だった。
ノアは、もう力を出せない。
避ける。
受ける。
弾かれる。
殴られ、
蹴られ、
地面に叩きつけられる。
視界が揺れ、
口の中に血の味が広がる。
「やめろ!」
バルドの声が響く。
間に入らなければ、
終わっていた。
家の者たちが駆け寄り、
ライアンを押さえつける。
「放せ!」
「こいつ……!」
引きずられながら、
ライアンは叫ぶ。
「てめぇ……」
「絶対、許さねぇからな!!」
その言葉を吐き散らし、
屋敷の奥へ連れていかれた。
庭に残ったのは、
荒れた地面と、
倒れ込むノアだけ。
ノアは、
息を整えながら空を見る。
――やってしまった。
だが、
後悔はなかった。
守りたいものを、
踏みにじられた。
それだけだ。
この瞬間から、
ノアとライアンの関係は、
“稽古相手”ではなくなった。
敵になった。




