第23話 夜が光に触れた日
前線は、
いつの間にか明確に分かれていた。
ヤギュウ、リサ。
ライアン、ミレイユ。
四人だけの戦場。
森の中央。
踏み荒らされた地面。
折れた枝と、剣が擦れた痕。
先に動いたのは――
ヤギュウ。
重心を落とし、
剣を前に出す。
一歩。
さらに一歩。
真正面から、
二人を抑えにかかる。
「……来るぞ」
ライアンが歯を食いしばる。
ヤギュウの剣は、荒い。
だが、速くて重い。
一太刀。
二太刀。
横薙ぎで間合いを裂き、
縦斬りで退路を潰す。
ライアンが受ける。
金属がぶつかり、
火花が散る。
「チッ……!」
押し返すが、
完全には前に出られない。
その背後――
リサが立っていた。
静かに、
だが確実に。
「神倣術」
囁くような声。
その瞬間、
ヤギュウの周囲の空気が変わる。
一瞬だけ。
剣が届かない。
攻撃が“通らない”と錯覚する。
ライアンの剣が、
ヤギュウの死角から迫る。
――だが。
当たらない。
いや、
当たっているのに、
効いていない。
「なっ……!?」
刃は確かに触れた。
だが、
そこは“安全地帯”だった。
ほんの一拍。
その一拍が――
命取りになる。
ヤギュウの剣が、
反撃に転じる。
踏み込み。
肩口を狙った一撃。
ライアンが跳ねてかわす。
「くそっ!」
ミレイユが、
すぐに判断する。
(後ろだ)
このまま前衛を削っても、
後ろの支援が生きている限り意味がない。
ミレイユは、
ヤギュウの剣戟をすり抜けるように横へ流れ、
リサを狙う。
「――そこ!」
鋭い踏み込み。
突き。
リサの呼吸が、
一瞬止まる。
だが――
「神倣術」
今度は、
ヤギュウ自身から光が溢れた。
派手な光ではない。
だが、
否応なく目を引く“存在感”。
そこにいる。
ここにいる。
一番、危険だ。
そんな錯覚。
ミレイユの視線が、
無意識にヤギュウへ引き戻される。
「……っ!」
その瞬間、
突きが逸れる。
リサは、
半歩下がっただけで済んだ。
「――ミレイユ!」
ライアンが叫ぶ。
だが、
もう遅い。
ヤギュウが、
間合いを詰める。
剣と剣が交差する。
ガキンッ!
ミレイユが受ける。
だが、
連続で来る。
一太刀、
二太刀、
三太刀。
重い。
逃げられない。
ライアンが割り込む。
横から斬り払う。
ヤギュウは受け、
押し返す。
四人の剣が、
狭い前線でぶつかり合う。
息が荒くなる。
足が沈む。
だが、
流れは明確だった。
視線が、判断が、
すべてヤギュウに集まっている。
リサは、
その背後で冷静だった。
攻撃はしない。
術を重ねる。
安全。
錯覚。
集中の分断。
前線は、
少しずつ――
押し返されていく。
ライアンが歯噛みする。
「……くそ」
ミレイユが、
剣を下げることなく息を整えながら言った。
「……訂正するわ」
一瞬、視線だけを森の奥へ走らせる。
「さっきの報告は誤報だった」
「ノアは、前線に出てきていない」
剣先が、わずかに揺れる。
「――でも」
「だからこそ、厄介ね」
ヤギュウを見る。
その背後に立つリサを見る。
「前にいるのは、ただの囮じゃない」
「盤面そのものを動かしてる」
短く、息を吐く。
「……指揮官は、まだ裏にいる」
ライアンが舌打ちした。
「最悪だな」
ミレイユは、ゆっくりと後退する。
「ええ」
「正面の勝ち負けじゃない」
「これは――
既に仕掛けられてる側の戦いよ」
四人の間に、
一瞬だけ沈黙が落ちた。
そして、
前線はさらに――
じわじわと、押し返されていく。
ノアは、
まだ姿を見せない。
それ自体が、
何よりの脅威だった。
僕が前線にいない。
――それだけで、
きっと敵は判断を狂わせている。
どこにいる。
何をしている。
次はどこから来る。
その“分からなさ”こそが、
一番の圧力だ。
だからこそ――
今だ。
ノアは、
吸血鬼の脚力を全開にした。
地を蹴る。
音は遅れてやってくる。
風が裂け、
影が伸びる。
剣は片手。
構えも、予備動作もない。
ただ、
一直線。
焚き火の光の向こう。
セレナ。
距離が、
一気に潰れる。
ガキン――!
金属同士が噛み合う音が、
夜に炸裂した。
「……っ!」
セレナが反応する。
「アクセル」
瞬間、
彼女の身体が加速する。
速さと速さがぶつかり合い、
一瞬の間に――
鍔迫り合い。
刃と刃が、
火花を散らす。
近い。
息がかかる距離。
セレナの目が、
ノアの瞳を捉える。
赤黒く染まった目。
人の色ではない。
「……あなた、その目は」
ノアは、
わずかに笑った。
「あぁ」
低く、
はっきりと。
「俺は吸血鬼さ」
剣越しに、
真っ直ぐに言う。
「お前らに排斥された弱者だ」
セレナの呼吸が、
ほんの一瞬、乱れる。
ノアは続ける。
「前に言ったよな」
刃に力を込めながら。
「困ってる人がいて」
「それが吸血鬼だったら、どうするって」
視線を逸らさない。
「――手を伸ばすって言ったよな」
そして、
鍔迫り合いを強引に弾き、
横薙ぎ。
「今はどうなんだよ」
剣が、
風を切る。
問いかけは、
攻撃と同時だった。
逃げるのか。
斬るのか。
それとも――
信じるのか。
夜と光が、
真正面からぶつかる。
「――赤血操術、紅の散弾」
低く呟いた瞬間、
ノアの腕から血が弾けた。
赤い散弾が、
夜空にばら撒かれる。
銃弾のように。
だが、ただの血ではない。
触れれば――
蝕む。
「っ……!」
セレナが即座に後退する。
だが、
それより早く――
ノア自身が飛び出していた。
散弾は、
牽制だ。
本命は――
近距離。
距離、ゼロ。
刃が交差する。
一太刀。
横薙ぎ。
セレナが受ける。
衝撃が、
腕に走る。
二太刀。
逆手からの切り返し。
ノアの剣が、
彼女の防御を削る。
金属音が、
連続して響く。
ガキン。
ガキン。
ガキン。
互いの呼吸が、
ぶつかる距離。
セレナの剣は、
熱を帯びている。
触れるだけで、
皮膚が焼ける感覚。
ノアの腕が、
じり、と焦げる。
だが――
引かない。
血が、
皮膚の下で流れを変える。
赤血操術。
痛覚を、鈍らせる。
「アクセル!」
セレナが叫ぶ。
一瞬で、
剣速が跳ね上がる。
縦。
横。
突き。
連続の斬撃。
だがノアは、
下がらない。
半歩、前へ。
剣を弾き、
懐へ入る。
鍔迫り合い。
刃が噛み合い、
火花が散る。
額が、
ほとんど触れそうな距離。
セレナの目が、
揺れる。
ノアは、
歯を食いしばる。
(……重い)
太陽の化身。
聖剣でなくとも、
その剣圧は別格だ。
だが――
ここで引けば、終わる。
ノアは、
血をさらに腕へ流す。
筋肉が、
悲鳴を上げる。
限界を超えた、
一瞬だけの出力。
鍔迫り合いを、
力で押し返す。
「……っ!」
セレナが、
半歩下がる。
その隙。
ノアは、
剣を低く振る。
足元。
逃げ道を切る一閃。
同時に、
散弾の残りが
空中で形を変える。
血が、
刃のように固まる。
「……!」
セレナが跳ぶ。
だが、
完全には避けきれない。
血が、
肩口をかすめる。
皮膚が、
じゅ、と音を立てる。
セレナが跳ぶのは、
分かっていた。
逃げるためじゃない。
距離を切り、立て直すための跳躍。
だから――
俺も飛んだ。
地を蹴る音は遅れて届く。
夜が、俺の背を押す。
空中で、
影が重なる。
次の瞬間、
俺の手は――
彼女の頭を掴んでいた。
指が、髪に食い込み、
頭蓋の形を確かに捉える。
そのまま、
叩き落とす。
ドンッ――!
地面が鳴る。
落ち葉が舞い、
土が弾ける。
セレナの背中が、
地に打ちつけられる。
「――っ!」
暴れる。
抵抗する。
剣を振るおうとする。
だが、
上から押さえつける力が違う。
吸血鬼の脚力。
吸血鬼の体重。
吸血鬼の“執念”。
逃がさない。
首元に、
顔を近づける。
彼女の熱が、
肌越しに伝わる。
躊躇は、
なかった。
牙を――
伸ばす。
そして――
突き立てた。
ぷつり。
皮膚を、
通り越す音。
次の瞬間、
口いっぱいに広がる――
甘美。
血。
それは、
果実のようで、
果実以上だった。
熟した果肉。
陽を浴びた蜜。
命そのものを、
濃縮した味。
喉を伝い、
身体の奥へ落ちていく。
力が、
満ちる。
衝動が、
ざわめく。
だが――
飲み尽くさない。
必要な分だけ。
最後に、
俺は自分の血を指につけ、
彼女の額に刻んだ。
赤い痕。
簡易的な、
血の誓印。
これで――
セレナの口から、
俺が吸血鬼だという事実は出ない。
意識が、
ゆっくりと落ちていく。
俺は、
彼女を静かに地に寝かせた。
振り返る。
焚き火。
森。
誰も、いない。
足取りは、
正直、ふらついていた。
だが、
歩く。
進む。
洞穴ではない。
英雄の陣地。
その中央。
旗。
布を、
掴む。
引き抜く。
その瞬間、
全身から力が抜けた。
勝ったのは、
剣でも、
光でもない。
夜だ。
最後に、
夜が――
盤面をひっくり返した。




