第18話 落っこちた心地
リサの朝は、
髪をとかすところから始まる。
鏡の前。
まだ少し寝癖の残る前髪を、
指と櫛で丁寧に整える。
一房ずつ。
乱れがないか、何度も確かめて。
それから、
鏡の中の自分を見つめる。
少しだけ背筋を伸ばし、
口角を上げる。
「……よし」
小さく息を吸って、
作った笑顔。
「今日も、可愛い」
それは誇りでも、
自慢でもない。
自信のない自分に、
毎朝かけるための言葉だった。
言葉にしないと、
輪郭が曖昧になって、
消えてしまいそうだから。
まだ幼さの残る顔。
大人びようとして、
どこか不安が滲む表情。
リサは、
鏡に向かって一度だけ頷く。
制服に袖を通し、
荷物をまとめ、
部屋を出る。
寮の廊下は、
朝の気配で満ちていた。
誰かの足音。
遠くの話し声。
外に出ると、
朝の空気が頬に触れる。
少し冷たくて、
頭がはっきりする。
リサは、
学校へ向かって歩き出す。
今日も、
いつもと同じ一日。
そう信じるように。
⸻
「おはようございます」
そう言って、
教室の扉を開ける。
それだけで、
場の空気が少しやわらぐ。
「リサちゃん、おはよう」
「今日の実習、頑張ろうね」
あちこちから、
自然に声が返ってくる。
リサは、
一人一人に軽く会釈しながら、
自分の席へ向かう。
特別なことはしていない。
目立つことも言わない。
ただ、挨拶をして、
笑って、席に着く。
それだけだ。
――そして。
「おはよう、リサちゃん」
声が、
すぐ近くから聞こえた。
振り返ると、
雪のように白い髪と、
白い肌の少年が立っている。
「おはよう、ノアくん」
短い言葉。
それだけのやり取り。
特別な言葉でも、
長い会話でもない。
それなのに――
胸の奥が、すっと落ち着く。
理由は分からない。
ただ、
ノアの姿を見ただけで、
安心した。
朝の教室のざわめきが、
一瞬だけ遠のく。
ノアの目が、
ほんの一瞬、
きらりと光った。
ほんの刹那。
見間違いかもしれないほど、
短い時間。
目と目が合った、その瞬間、
足元がふっと抜けるような感覚がした。
落ちていくような。
でも、
怖くはない。
むしろ、
身を預けてもいいと思えるほど、
静かな感覚。
次の瞬間には、
何事もなかったように、
教室の音が戻ってくる。
「……?」
リサは、
小さく瞬きをした。
ノアは、
もう視線を逸らしている。
何も言わない。
何も求めない。
ただ、
そこにいるだけ。
リサは、
胸の奥に残った感覚を、
言葉にできないまま、
自分の席へ向かった。
教室は、
いつも通りだ。
けれど――
ほんの少しだけ。
何かが、深く沈んだ。
それに気づいたのは、
誰でもなく。
夜だけだった。




