第15話 太陽に嫌われた夜
同じ教室だった。
まるで、最初から決められていたかのように。
セレナ、ミレイユ、ライアン、そしてノア。
席に着いた瞬間、
空気がわずかに動く。
「ライアン」
ミレイユが、横目で頬を見る。
「その顔、ひどいねぇ」
「正直、ちょっと笑える」
「……黙れ」
ライアンは低く唸った。
「ミレイユ」
「お前も、同じようにしてやろうか?」
「えー、こわ」
肩をすくめるミレイユ。
口調は軽いが、目は笑っていない。
セレナは、二人のやり取りを見て、
何も言わない。
ただ、
ノアとライアンの頬を、
一度ずつ、静かに見た。
理由を、聞かない。
それが、
彼女なりの距離の取り方だった。
教室には、
まだざわめきが残っている。
新しい席。
新しい顔ぶれ。
だが、
この四人の周囲だけ、
妙に静かだった。
ノアは、机に肘をつき、
前を向く。
夜の殴り合いの余韻が、
まだ、身体の奥に残っている。
ここは学園だ。
正しさが並べられる場所。
それでも――
同じ教室に集められたという事実が、
何より雄弁だった。
選ばれたのではない。
集められた。
ノアは、
その感覚を、
静かに飲み込んだ。
授業開始の鐘が鳴る。
物語は、
ようやく、
日常という名の檻に入った。
だが、
檻は、
いつも内側から壊れる。
「これから、あなた達を担任するシエルです。よろしくお願いします」
落ち着いた声だった。
若すぎず、老けすぎてもいない。
感情を抑えた、教師の声。
教室が静まる。
「まず早速ですが――」
「本日最初の授業は、神倣術の適性測定です」
そう言って、シエルは教卓を軽く叩いた。
「各自のテーブルの上に、水晶が置いてあると思います」
「それに触れ、力を流してください」
「ヒビが一つでも入れば、適性ありです」
一拍。
「大抵の人間には、何らかの適性があります」
「焦らなくて大丈夫ですよ」
そう言って、授業は始まった。
ノアは、机の上の水晶を見下ろした。
透明で、冷たい。
人の願いを受け入れる器。
――だが。
(僕は、人間じゃない)
それでも、
ここで避けることはできない。
教室のあちこちで、
水晶に手を添える音がする。
目を閉じる者。
歯を食いしばる者。
祈るように力を込める者。
空気が、
わずかに震え始めた。
――パキン。
最初に砕けたのは、
セレナだった。
音もなく、
水晶が粉々になる。
続けて、
ライアン。
ミレイユ。
三人とも、
ほとんど同時だった。
「……さすがですね」
シエルが静かに言う。
「ヴィザ様に師事を受けている三人」
「納得の結果です」
その空気の中で、
もう一つ、
小さな音がした。
「……あ」
控えめな声。
「リサさんも、早いですね」
黒髪を肩ほどまで伸ばした少女。
純粋そうな顔立ち。
彼女の水晶にも、
深い亀裂が走っていた。
教室が、ざわつく。
「すご……」
「もう割れたのか」
時間が経つにつれ、
あちこちで小さな音が生まれる。
「やった、ヒビ入った」
「あと少しな気がする」
安堵。
達成感。
焦燥。
それらが混じり合って、
教室は少しずつ騒がしくなっていく。
ノアは、
まだ動けずにいた。
筋力を使えば、
物理的に割ることはできる。
だが――
それは違う。
それをやれば、
“人間のやり方”ではなくなる。
(……頼む)
ノアは、
水晶にそっと手を置いた。
力を込めない。
血も使わない。
ただ、
静かに願う。
――割れてくれ。
――ここに、居させてくれ。
水晶は、
何も答えない。
冷たいままだ。
時間だけが、
過ぎていく。
周囲の音が、
少しずつ遠くなる。
ノアは、
歯を噛みしめた。
「――そこまで」
シエルの声が、教室に響いた。
一斉に、手が離れる。
水晶に触れていた熱が、すっと引いていく。
ノアは、机の上を見つめたままだった。
結局――
水晶は、割れなかった。
ヒビもない。
曇りもない。
まるで、最初から何も触れられていなかったかのように、
完全な形のまま、そこにある。
太陽の光を受けて、
水晶がきらりと反射する。
その光は、
どこか嘲笑うようにも見えた。
――お前は、違う。
そう告げられている気がして、
ノアは視線を逸らした。
「反応が確認できなかった者は、放課後に補習です」
淡々とした声。
「次は剣の授業に移ります」
「校庭に集合してください」
椅子が引かれ、
ざわめきが戻る。
だが、
その音は、ノアの耳には遠かった。
水晶が割れなかった。
それだけの事実が、
胸の奥で、静かに重く沈んでいる。
――やっぱり、ここでもか。
選ばれた者たちの中にいながら、
選ばれない側に立たされる感覚。
ノアは、
そっと水晶に触れた。
冷たい。
拒絶でも、嫌悪でもない。
ただ、反応しなかっただけ。
それが、
一番、堪えた。
教室を出る流れに遅れながら、
ノアは立ち上がる。
剣の授業。
身体を使う時間。
――そっちは、まだ。
そう自分に言い聞かせながら、
ノアは机から離れた。
背後で、
水晶がもう一度、光を跳ね返す。
それは、
太陽の下で、
夜がまだ試されていないことを示す光だった。
落胆を抱えたまま、
ノアは校庭へ向かう。
次は、
言い訳のきかない場所だ。
校庭に出ると、
一人、場違いな男が立っていた。
鎧は着けていない。
だが、背筋の通った立ち姿と、
周囲を一瞥するだけで空気を制する圧は隠せない。
――バルドだ。
警邏隊隊長。
本来なら、王都を巡回しているはずの男。
(こんなところで、何を……)
ノアがそう思うより早く、
バルドは気づいたように口を開いた。
「ライアン」
「俺がいるの、驚いてるだろ」
「……当たり前だろ」
ライアンは、露骨に顔をしかめる。
「なんで親父がいるんだよ」
バルドは肩をすくめた。
「王立学園からの申し出だ」
「断れる立場じゃないだろ」
それだけ言って、
視線を生徒全体へ向ける。
声が、校庭に通る。
「とりあえず――」
「お前ら、そこに並んでる剣を取れ」
視線の先。
武器棚には、
鈍く光る剣がずらりと並んでいた。
見た目は聖剣に似ている。
だが、
本物のような圧はない。
「それは模造聖剣だ」
バルドは淡々と説明する。
「ユグドラシルの実を、最小限だけ使ったレプリカ」
「力は抑えられているが、性質は本物に近い」
生徒たちが、
半信半疑で剣を手に取る。
ノアも、一本を握った。
冷たい。
だが、
どこか拒むような感触。
「万が一――」
バルドの声が、少し低くなる。
「お前らが聖騎士に選ばれた場合」
「最初に振るうことになる剣が、これだ」
ざわめき。
“万が一”という言葉が、
妙に現実味を帯びて響いた。
「扱えない者は、ここで分かる」
「扱えすぎる者も、同じだ」
バルドは、
一人一人の手元を、確かめるように見ていく。
その視線が、
一瞬だけノアの剣に留まった。
――気のせいか。
ノアは、
模造聖剣を握りながら思う。
(……また、試されるのか)
水晶に拒まれ、
今度は剣に問われる。
太陽の力を模した剣。
神の実を削って作られた代用品。
吸血鬼の血を持つ自分が、
それを振るう意味。
校庭に、
静かな緊張が満ちていく。
次の瞬間、
誰かが、最初の一歩を踏み出した。
剣の授業が、
始まろうとしていた。
校庭に、乾いた空気が満ちていた。
生徒たちは模造聖剣を手に、
半円を描くように並ぶ。
剣は軽い。
だが、ただの鉄ではない。
握った瞬間、
掌の奥で、かすかな違和感が走る。
――拒まれている。
ノアは、そう感じた。
「構え」
バルドの一声で、
一斉に剣が上がる。
基本の構え。
学園で定められた、
最も“正しい”形。
「振り下ろせ」
空を裂く音が、重なる。
剣は、
持ち主の意思に反応する。
力任せに振れば、
重くなる。
迷いがあれば、
刃が遅れる。
バルドは、列の間を歩きながら、
一人一人を見ていた。
「……セレナ」
彼女の剣は、
振るうたびに、
淡い熱を帯びる。
模造であるはずの剣が、
まるで本物に近づこうとしている。
「いい」
「だが、剣に任せすぎるな」
セレナは、小さく頷く。
次に――
ライアン。
力強い一振り。
剣が、空気を叩く。
「悪くない」
「だが、力に偏るな」
ライアンは、舌打ちしながらも、
構えを修正した。
ミレイユは、
軽い。
剣先が、遊ぶように舞う。
「器用だな」
「その分、油断するなよ」
そして――
ノアの番が来る。
ノアは、
模造聖剣を構えた。
その瞬間。
剣が、
重くなる。
腕に、
じわりとした熱。
だが、
セレナの剣のような“太陽”ではない。
もっと、
不快な重さ。
(……やっぱり)
ノアは、
呼吸を整える。
吸血鬼の筋力を使えば、
振れる。
だが――
それは、できない。
ノアは、
純粋に、
人間として振る。
剣が、
遅れる。
「……ノア」
バルドの声。
責めるでも、
驚くでもない。
ただ、
事実を告げるような声。
「剣に、嫌われているな」
周囲が、
わずかにざわつく。
ノアは、
何も言わない。
言えない。
剣を振り下ろすたび、
刃が、
意志を拒む。
「無理に振るな」
バルドは、
ノアの前に立った。
「この剣はな」
「神の力を、ほんの少しだけ借りている」
「合わない者には、合わない」
一瞬、
バルドの視線が鋭くなる。
「……それだけだ」
理由は、
語られない。
授業は、続く。
打ち合い。
受け。
踏み込み。
ノアは、
常に一歩遅れる。
だが、
剣そのものを見ている。
剣が、
どういう瞬間に重くなるのか。
どういう時に、わずかに応じるのか。
――拒絶ではない。
――選別だ。
授業の終わり。
生徒たちは、
汗を拭いながら、剣を返す。
「今日はここまでだ」
バルドの声が、校庭に響く。
「剣は、振るう者を選ぶ」
「だが――」
一拍。
「選ばれなかったからといって」
「戦えないわけじゃない」
その言葉が、
ノアの耳に残った。
模造聖剣を返しながら、
ノアは思う。
――やはり、ここは太陽の場所だ。
だが同時に、
確信もあった。
この剣に嫌われるということは、
別の戦い方があるということだ。
ノアは、
自分の手を見つめる。
血の通った、
夜の手だ。
剣の授業は、
静かに終わった。
だが、
ノアにとっては――
また一つ、
自分が何者かを突きつけられた時間だった。
積み上げてきた全てに、突きつけられる。
――お前ではない。




