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第10話 消えなかった夜

 人類は、赤の時代に追い詰められていた。


 吸血鬼に血を搾られ、

 悪魔に魂を裂かれ、

 獣人に喰われ、

 エルフに試され、

 ドワーフに斬られる。


 生き残るために、

 人類はあらゆる手段に縋った。


 神に祈り、

 剣を鍛え、

 そして――

 知に手を伸ばした。


 錬金術。


 本来それは、

 物質を理解し、

 世界の理を読み解く学問だった。


 だが赤の時代、

 人類にそんな余裕はなかった。


 血を混ぜ、

 骨を砕き、

 臓を繋ぎ合わせ、

 異種の力を“人”に取り込もうとした。


 禁忌と分かっていながら、

 それでも手を止めなかった。


 生きるためなら、

 何を捨ててもいいと思っていたからだ。


 だが――

 赤の時代は、あまりにも苛烈だった。


 研究は完成しない。

 成果は芽吹かない。


 研究者は死に、

 記録は燃え、

 実験体は名もなく消えた。


 世界は戦争の終結と共に、

 それらを失敗として葬り去った。


 ⸻


 そして、青の時代。


 平穏が戻り、

 人類は覇権を握った。


 神話は整理され、

 歴史は書き換えられ、

 禁忌は“不要な過去”として封じられた。


 ――はずだった。


 赤の時代に残された研究。

 未完成の術式。

 意味の分からない数式と血文字。


 それらは、

 滅びなかった。


 戦火を逃れ、

 地下に埋もれ、

 人知れず受け継がれていた。


 平和になったからこそ、

 人類は再びそれを掘り起こした。


 今度は、時間がある。

 資源もある。

 実験を繰り返す余裕もある。


 そして何より――

 敵がいない。


 歯止めは、失われた。


 それは、

 魔術と呼ぶにはあまりにも禍々しく、

 錬金術と呼ぶには、あまりにも歪んでいた。


 祈りはなく、

 理論も破綻している。


 あるのは、

「使えた」という結果だけ。


 命を燃料にし、

 血を媒介にし、

 概念そのものを書き換える技。


 人はそれを、

 まだ名前で呼ばない。


 呼べば、

 それが“正当な学問”になってしまうからだ。


 だが確かにそれは存在していた。


 人類が、

 赤の時代に手を伸ばし、

 青の時代に完成させてしまったもの。


 ――それこそが、

 この世界に新たな歪みを生む種だった。


 英雄を生むためではない。

 平和を守るためでもない。


 **「勝者であり続けるため」**だけに磨かれた、

 最も人間的な禁忌。


「――神倣術しんほうじゅつ


 セレナは、剣を構えたまま、そう呟いた。


 言葉に力はない。

 だが、意味だけが重い。


「――アクセル」


 次の瞬間、

 彼女の足元で、空気が弾けた。


 祈りも詠唱もない。

 神の名を借りることすらしない。


 ただ、

“人が神に近づくための速度”。


 身体の軸が崩れないまま、

 踏み込みが一段、速くなる。


 正しい。

 美しい。

 そして――危険だ。


 対するノアは、

 一歩も動かず、剣を額の上に掲げた。


 それは、

 王立学園の教本にも、

 どの流派の指南書にも載っていない構え。


 女に教わった、

 どこか古く、どこか素朴な型。


 もしかしたら、

 あの女の息子が使っていた流派なのかもしれない。


 あるいは――

 名も残らなかった、

 敗者の構え。


 ノアは、静かに息を吸う。


(……見せるのは、ここまで)


 神倣術を、**使っている“てい”**でいい。

 吸血鬼だと悟られる必要はない。


 ノアは、小さく呟く。


「――赤血操術」


 それは、

 術式ではない。


 祈りでも、

 概念の書き換えでもない。


 自分の体内を流れる血を、

 自分の意思で使うだけの技。


 血は、熱を帯びる。

 鼓動が、強くなる。


 だが、外には出ない。

 刃の先に、わずかに“重さ”として現れるだけ。


 赤血操術は、

 自分の血を使う。


 だから――

 出血すれば、そのまま自傷になる。


 無理をすれば、

 身体は確実に削られる。


 使い続ければ、

 立っていられなくなる。


 それでも、

 ノアは剣を下ろさなかった。


 セレナの視線が、

 一瞬だけ、揺れる。


(……血?)


 だが、彼女は踏み込む。


 太陽の下、

 正しい加速が、一直線に迫る。


 ノアは、

 剣を振る。


 派手さはない。

 光もない。


 だが、

 刃が重い。


 空気が、

 僅かに歪む。


 赤血操術は、

 奇跡を起こさない。


 ただ――

“一瞬だけ”、

 現実をねじ伏せる。


 剣と剣が、

 正面からぶつかった。


 乾いた金属音が、

 闘技場に響き渡る。


 観覧席が、

 ざわめく。


「……今の、重くなかったか?」

「神倣術じゃない……?」


 ノアの腕に、

 鈍い痛みが走る。


 皮膚の内側で、

 細い血管が、いくつか切れた感覚。


 ――代償。


 だが、

 彼は歯を食いしばる。


 この一太刀は、

 勝つためじゃない。


 生き残るためだ。


 太陽の化身と、

 夜の血を隠した少年。


 正しさと、

 代償。


 その衝突は、

 まだ――始まったばかりだった


 剣が、来る。


 速い。

 正確。

 無駄がない。


 ――セレナの剣は、正しすぎた。


 だがノアは、退かなかった。


 ライアンとの試合で、

 何百回と味わった速度だ。


(踏み込みが、一定)


(肩が、ほんの一瞬だけ沈む)


 ノアの視界は、

 剣そのものではなく、

 その前兆を捉えていた。


 ライアンは、力で来た。

 感情で来た。

 だがセレナは違う。


 理想の剣。

 教本が夢見る完成形。


 だからこそ――

 癖がない。


 ノアは半歩、ずらす。


 避けるのではない。

 当たらない位置に、最初からいない。


 剣先が、頬を掠める。


 観覧席がざわめく。


 セレナの剣は、聖剣ではない。


 だが――

 鍔迫り合いをするだけで、皮膚を焼いた。


 刃と刃が触れた瞬間、

 じり、と嫌な音がする。


 金属が擦れる音ではない。

 熱が、直接伝わってくる音だ。


 ノアの手の甲に、

 灼けるような痛みが走る。


(……近づけない)


 これは技量の問題じゃない。

 距離の問題だ。


 剣を合わせるたび、

 血が、熱に反応して暴れる。


 赤血操術が、

 勝手に抵抗を始めている。


 ノアは、後ろへ跳んだ。


 逃げではない。

 選択だ。


 距離を、取る。


 セレナは追わない。

 追う必要がない。


 彼女は、太陽の下に立っているだけで、

 間合いそのものを支配している。


 ノアは、深く息を吸った。


(……出す)


 剣を構えたまま、

 小さく呟く。


「――赤血操術」


 鼓動が、強くなる。


 体内を巡る血が、

 一斉に方向を変える感覚。


「――紅の散弾」


 次の瞬間。


 ノアの周囲に、

 血の渦が巻き起こった。


 噴き出す血ではない。

 外に漏れ出す寸前の、

 内部圧だけを解放した血。


 赤黒い流れが、

 円を描きながら加速し、

 空中で“形”を持ち始める。


 粘度が変わる。

 温度が下がる。

 硬度が上がる。


 血は、

 銃弾のような楕円へと固まり、

 十数発、宙に浮かんだ。


 観覧席が、

 ざわめく。


「……血?」

「いや、あれは……」


 ノアのこめかみを、

 冷たい汗が伝う。


 内側が、

 確実に削られている。


 赤血操術は、

 自分の血を弾にする術だ。


 使うたびに、

 身体は軽くなる。


 悪い意味で。


 ノアは、剣先を下げ、

 血弾に意志を乗せる。


「行け」


 次の瞬間、

 紅の散弾が、

 一斉に放たれた。


 空気を裂く音。

 銃声のような衝撃。


 セレナは、

 即座に剣を振る。


 正確無比。

 一切の無駄がない。


 血弾が、

 次々と弾かれ、

 蒸発する。


 ――だが。


 全ては、

 落とせない。


 一発。

 二発。


 掠る。


 セレナの鎧の表面に、

 赤い痕が残る。


 焼け焦げではない。

 血が触れた痕跡。


 セレナは、

 初めて距離を取った。


 ほんの半歩。


 それだけで、

 闘技場の空気が変わる。


 ノアの視界が、

 一瞬、暗くなる。


 血を使いすぎた。


 だが、

 まだ立っている。


 太陽の剣がなくとも、

 太陽のように焼く剣。


 それに対し、

 夜は距離を取り、

 血で撃つ。


 剣戟試験は、

 いつの間にか――

 戦争の様相を帯び始めていた。


 血は、

 付着しただけで、蝕む。


 焼けるのとは違う。

 切れるのとも違う。


 赤い痕が、

 鎧の表面で、じわりと広がる。


 金属が、

 音もなく変色し、

 脆く、崩れ始める。


 まるで――

 時間そのものを腐らせているかのようだった。


「……侵食?」


 試験官の一人が、

 思わず声を漏らす。


 血弾は、致命傷を与えていない。

 だが、

 触れた箇所だけが、確実に死んでいく。


 観客席が、どよめいた。


「あいつ……」

「血を、武器に……?」


 そして――

 耐えきれなくなったように、

 一つの声が響く。


「おい、マジかよ!!」


 ライアンだった。


 観客席から、

 身を乗り出す。


「あいつ、あんなの使えてたのかよ!!」


 怒り。

 驚愕。

 そして、

 恐怖。


 ノアは、

 その声に振り返らない。


 振り返る余裕がない。


 赤血操術の反動で、

 胸の奥が、重く軋んでいる。


 視界の端が、

 わずかに暗い。


(……まだ、足りない)


 だが――

 それ以上は、出せない。


 セレナは、

 蝕まれた鎧の一部を、

 一瞥する。


 表情は変わらない。


 だが、

 彼女の呼吸が、

 ほんのわずかに、変わった。


「……なるほど」


 低く、静かな声。


 剣を、

 正面に構え直す。


 その瞬間、

 闘技場の空気が、

 一段、熱を帯びた。


「――神倣術」


 太陽が、

 雲一つない空で、

 さらに強く輝いた気がした。


 光が、

 セレナの剣へ集まる。


 いや――

 集まっているように“見える”だけだ。


 実際には、

 彼女の身体そのものが、

 熱源になっている。


「――《アクセル》」


 踏み込み。


 今までとは、

 明らかに違う。


 速さだけじゃない。

 質が、変わった。


 地面が、

 一瞬遅れて鳴る。


 ノアの血が、

 危険を告げて暴れる。


(来る……!)

 吸血鬼は、本来――

 筋力も、脚力も、

 人間を大幅に超えている。


 それは誇りではない。

 優越でもない。


 ただの、

 生き物としての差だ。


 ノアは、逃げなかった。


 正面から受けると決めた瞬間、

 体内の血流が、一斉に腕へと流れ込む。


 赤血操術。

 だが、外に出さない。


 受け止めるための血。


 皮膚の下で、

 血が層を成し、

 壁になる感覚。


 次の瞬間――

 セレナの剣が、到達した。


 神倣術アクセルの乗った一撃。


 速さ。

 正確さ。

 熱。


 すべてが、

 人の域を越えている。


 ――だが。


 ノアは、

 受け止めた。


 刃と刃が噛み合い、

 金属が、悲鳴のような音を立てる。


 衝撃が、

 腕を貫く。


 熱が、

 皮膚を焼き、

 骨の奥まで、

 じり、と焦がす。


 血が、

 内側で沸き立つ。


 それでも、

 ノアは一歩も退かなかった。


 刹那。


 セレナの剣が、

 水の流れのように反転する。


 逆手。


 首を狙った、

 一閃。


 速すぎる。

 無駄がない。

 あまりにも、正しい。


 観客席が、

 一斉に息を呑む。


 ――ああ、終わった。


 誰もが、

 そう理解した顔をしている。


 光は、

 正しく、

 確実に、

 夜を断つ。


 ……だが。


 闇は、

 光が強ければ強いほど、

 深くなる。


 ノアは、

“受け止めた瞬間”に、

 もう動いていた。


 弾かない。

 競わない。


 位置を、消す。


 セレナの剣が、

 空を斬った、その裏。


 そこに、

 ノアはいない。


 脚に流れた血が、

 一瞬だけ、爆ぜる。


 踏み込み。


 音は、ない。

 影だけが、移動する。


 気づいた時には――

 ノアは、

 背後にいた。


 剣を、振り下ろす。


 躊躇はない。

 怒りもない。


 これは、

 二年間、

 負け続けてきた者が、

 ようやく辿り着いた一太刀。


 観客席が、

 凍りつく。


 ――夜が、勝った。


 そう、

 誰かが思いかけた、その瞬間。


 刃は、

 止まった。


 セレナの剣が、

 いつの間にか、

 ノアの顎に、

 静かに触れている。


 寸止め。


 皮膚を裂かず、

 血も流さず。


 だが、

 完全に届いている。


 二人は、

 背中合わせのまま、動かない。


 太陽の下で、

 夜と光が、

 同時に致命へ届いていた。


 剣先一つ分の距離で、

 勝敗が、

 重なって存在している。


 風が、

 闘技場を吹き抜ける。


 その静寂を、

 無機質な声が切り裂いた。


「――そこまで」


 試験官が、

 高く手を上げる。


「勝者、

 セレナ・クレメンティス!」


 その宣告は、

 正しかった。


 規定上。

 形式上。

 神倣術を最後に“当てていた”のは、セレナだった。


 観客席が、

 遅れて息を吐く。


 拍手が、

 まばらに起こる。


 ノアは、

 剣を下ろした。


 身体の内側で、

 血が引いていく。


 痛みが、

 今になって、

 一気に押し寄せる。


(……そうか)


 負けた。


 だが、

 何かが、確かに残っている。


 セレナは、

 剣を納めながら、

 振り返らない。


 その背中は、

 揺れていなかった。


 だが――

 完全でもなかった。


 太陽は勝った。


 だが、

 夜は消えなかった。


 それを、

 この場にいる誰よりも、

 セレナ自身が理解していた。


 そして、

 試験官たちもまた、

 沈黙の中で気づき始めていた。


 ――これは、

 ただの敗北ではない。


 この夜は、

 いずれ、

 太陽の下に立つ。


 そう予感させるには、

 十分すぎる一戦だった。

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