5話
渓谷の風は、裂地のように細やかだった。
木々の間をすり抜ける光が、器の縁に落ちる影のように揺れていた。
青井と陶子は、並んで歩いていた。
言葉は少なかった。
けれど、歩調は自然に揃っていた。
五島美術館の展示を見たあと、二人は渓谷へと足を向けた。
等々力不動の境内を抜け、木橋の近くで立ち止まる。
川の音が、釜の湯気のように静かに響いていた。
「このあたり、裂地の模様みたいですね」
青井がぽつりと言った。
「風が、布を撫でてるみたい」
陶子が応じる。
それ以上、言葉はなかった。
けれど、沈黙は居心地が悪くなかった。
器も裂も、語らない。
それでも、見ていると、少しだけ語りたくなる。
茶道具の話になったのは、渓谷の奥に差し掛かったときだった。
「茶碗の“景色”って、使う人によって変わるんですね」
陶子が言った。
「ええ。見る角度も、使う季節も、違いますから」
青井は、足元の落ち葉を避けながら答えた。
「裂地も、光の加減で模様が変わる。祖母の帯、晴れの日と曇りの日で、まるで違って見えました」
「それは、器と同じですね。完璧じゃないから、見立てが生まれる」
渓谷の奥から、夕暮れの光が差し込んできた。
木々の影が長く伸び、川面に揺れていた。
二人は、言葉を止めて、その光を見つめた。
「来週、茶会があります」
青井が言った。
「等々力不動の裏の茶室ですね」
陶子は、静かに頷いた。
「よければ、ご一緒に」
「はい。静かなところ、好きです」
それだけ言って、二人はまた歩き出した。
渓谷の風は、少し冷たくなっていた。
けれど、空気は澄んでいた。
器も裂も、語らない。
でも、語らずに共有できるものがある。
それが、静けさなのかもしれない。




