2話
土曜日の午後、陶子は等々力渓谷を歩いていた。
仕事のある平日は、広告の締切と会議の波に揉まれている。
けれど週末だけは、渓谷の風に身を委ねる。
木々の間を抜ける風が、裂地の模様のように細やかで、静かだった。
五島美術館の展示を見た帰り、陶子はふと思い立ってメールを送った。
件名は「茶道具の本について」。
本文には、こう書いた。
こんにちは。
茶道具についての本を探しています。
特に、器の“景色”や“見立て”について書かれたものがあれば、教えてください。
先日、志野の茶碗を見て、縁の欠け方に惹かれました。
使われてきた器の“語らなさ”に、少しだけ触れた気がしました。
光書房からの返信は、夕方に届いた。
ご連絡ありがとうございます。
『茶の湯のかたち』という本がございます。
景色や見立てについての記述も豊富です。志野の縁の欠け方、私も好きです。
完璧な器より、少しだけ欠けた器のほうが、余白がある気がします。よろしければ、発送いたします。
陶子は、返信を読みながら、渓谷の木橋に立ち止まった。
川の音が、釜の湯気のように静かに響いていた。
完璧ではないものに、心が動く。
それは、器も、人も、同じなのかもしれない。
その夜、陶子は煮物を小さな片口鉢に盛った。
器が変わると、食べ物の表情も変わる。
そして、食べる自分の気持ちも、少しだけ丁寧になる。
光書房からの本は、翌週の土曜日に手元に届いた。
包みを開けると、裂地のような柔らかな紙に包まれていた。
器の本なのに、布の手触りを感じた。
陶子は、ページをめくりながら思った。
器は、語らない。
でも、語りたくなる。
その余白が、茶の湯の美しさなのかもしれない。




