挫折
「……イテテ」
勝鬨を上げて、勝利の余韻に浸っていたかったけど、頬に走った痛みで現実に引き戻される。
「そうだ、怪我してたんだった」
恐る恐る、トンボに切られた頬の傷辺りに触れると、ベッタリと血が指に付く。
「うわ、うわわ」
思っていた以上にパックリ行っていたらしく、結構な量の血が流れていた。
これは流石に唇を濡らす程度の量じゃ済まないな、と思いながポーチから回復ポーションを取り出す。
低級のものでこの切り傷は治せるのだろうかと思いながら、小瓶の縁に口を付けた辺りで一旦停止する。
「……飲むより掛けた方が効くかな?」
どっちなんだろう……いや、顔に直接掛けるのは難しいから、飲むか。
クイッと小瓶を傾けて回復ポーションを1口分、口に含む。
小瓶の中身の液体が半分まで減って軽くなってしまった事に悲しさを感じつつ、回復ポーションをポーチにしまう。
「……おお」
指が傷のあった所に触れると、ツルツルとした新しい皮膚の感触を感じる。やはり完治とまでは行かなかったが、傷を塞ぐ程度の効果は発揮してくれたみたいだった。
まだ圧迫すると痛みを感じるが、余程の事が無ければ傷がまた開くことも無いだろう。
「さて、一旦血を洗い流したいな」
一応今回の探索から飲み物の他に、回復ポーションと今日買った包帯を入れてたけど……ハンドタオルかなんかもポーチに入れて置いた方が良かったかもしれない。
「やっぱり充実した生活、探索をする為には費用が掛かるねぇ」
収入と支出の勘定をしながら独りごちり、空になったペットボトルとトンボがドロップした小袋を回収する。
「……へえ、落とす金額が多くなるとこういう感じになるんだ」
小袋には少なくとも10枚以上のカッパーコインがぎっしりと詰まっていた。
今俺が相手するようなモンスターは数枚しかカッパーコインを落とさないから、特に手間隙無く硬貨を拾い上げる余裕があるけど……確かに、上の階に行けばモンスターが落とす金額は必然的に増えるし、それをいちいち集めるなんて無防備では状態では居られないだろう。
「トンボが思いがけない大量の硬貨をドロップしてくれた訳だけど……今日の探索は一旦休憩かな」
血を流さないと行けないし、飲み水にする筈だったペットボトルの水も無くなってしまった。
稼ぎ的には多分トンボからの収入で、今の段階でもギリ黒字だろう。浪費し過ぎなければ、の話だが。
「川の音……はこっちか」
血が乾いてカピカピになる前に、そして今着ているたった1枚の服がダメになる前に、川で洗うとしよう。
昨日の探索で朧気ながらに出来上がったこの階層の地図を頭に浮かべながら、水の流れる音も聞き、なるべくモンスターと遭遇しないよう警戒しながら進む。
幸いモンスターとの遭遇も無く、程なくしてこの階層に流れる小川に辿り着いた。
「んー……」
良く川を観察すれば水も綺麗だし、本当に小さな小さな魚が居るのも見える。
「魚が住めてるって事は、人間も大丈夫だよね」
そこら辺の知識はないが、とりあえず大丈夫だろうと川のすぐ側に膝を着く。
そして顔を洗おうと水面に顔を近づけると……自分の顔が水面に反射する。
「……これが俺の顔、か」
記憶喪失になった後、初めて見る自分の顔。厳密に言えば、初めてなどではなく『改めて見る』自分の顔なのだろうが……
「はは、血にまみれてら」
人の美醜はよく分からないが……それなりに見れる顔なのではないだろうか。少なくとも自分の顔を自分で見て、落胆する程では無かった。
「……冷めて」
バシャバシャと顔に水を当てて、血を洗い流す。傷に水が染みる事も無かった事に改めて安心しつつ、洗い終わった顔を上げる。
「丁度良いから軽く水浴びもしちゃお」
周りにモンスターの気配は感じないし、トンボ戦で汗もかいた。
革の胸当てとベルトを外して、服も脱いで川に飛び込む。飛び込むと言っても、水深は俺の膝くらいしかないが。
「うー、つめてー」
水面に倒れ込み、全身を水に浸ける。体を冷やしすぎないように手早く体を洗って、川から上がる。
この【淵樹の密林】の気候設定は分からないけど、似非太陽の光がじんわりと暖かくて、気分が良い。
「ここに焚き火なんかあったら……最高のキャンプって感じだなぁ」
俺は一から火を起こせないからそれは無理な話だが……そういえば売店にライターかなんか売ってたりしなかったっけ?
探してみるのもありだな、と考えながら穏やかに陽の光を浴びて、体の表面の水分がある程度乾くまで休憩する。
「やべ……寝そう」
あまりの気持ち良さに、このままでは寝てしまう。
流石にそれは危険すぎるので、さっさと起き上がって服を着る。
革の胸当てもベルトも装備して、日向ぼっこをしながらの昼寝に後ろ髪引かれつつも、一度石レンガの拠点に戻る為に歩き始める。
途中、昨日宝箱があった場所にまた宝箱があったりしないかな、なんて寄り道をしはしたが、数分で石レンガの拠点に戻る事が出来た。
一度【閉じる】の看板に触れ、ダンジョンへの入口を閉じて、売店に向かう。
新たに水とハンドタオルを買って、さっきの探索で集めた硬貨をATMに預ける。
……ちなみにライターは売ってなかった。
ATMの画面に『現在ノ預金額ハ 1 シールドコイン ト 80 カッパーコイン デス』と表示され、現在の貯金額が目に見えた。
トンボが落とした小袋にはカッパーコインが34枚も入っていたし、トンボと戦う前にもそれなりにモンスターと戦っていたから、包帯を買って減っていた貯金が盛り返してきた。
それでもまだまだ少ない金額だが、お金が増えていくのを見るのは、単純にやる気が出てくる。
「さて、第2階層に行っちゃおっかな」
もう既に【淵樹の密林】の第1階層を探索する旨みは無い。
鉄の戦槍を未熟とはいえ、使って戦える様になった今では第2階層の探索を進めていく方が、先にも進めるし稼ぎも増える……全体的に見て得だろう。
掲示板の【淵樹の密林:第2階層】の看板に触れ、自分が準備万端な事を確認し、第2階層へと足を踏み入れる。
木の洞の多い淵樹。どこからか感じる頬を撫でる風と木の揺れるさざめき。鳥のさえずりなど、第1階層と景色はそう変わってない。
そんな環境音が多い中……太鼓の音がドンタタ、と聞こえてきた。
「それに……ちょっと夕暮れ気味じゃないか?」
第1階層で似非太陽は真上にあった。けれど第2階層はそこから時間が少し経過した設定なのか、夕暮れ時独特の赤っぽいような、オレンジっぽいような光が当たりを照らしている。
「雰囲気全く違くて、探索のテンションも上がるな」
まだまだ2階層分しか見てないが、これから先ダンジョンを進んでいって、どんな階層があるのか少し楽しみになってきた。
「さて……太鼓の音の方に行こうか」
やはりと言うべきか、さっきからずっと微かに聞こえてくる太鼓の音が気になってしょうがない。
こんな密林で人工物、それも楽器の音が聞こえるのは何故か、知らないと気になってろくに探索出来なくなるだろう。
「……」
耳をすまして、どの方向から太鼓の音がするのかを探る。
淵樹も至る所に生えているから、音が反響して分かりずらいけども……
「こっちか」
音のする方に進んでいく。
そして進みながら、ふと、遠くの場所まで太鼓の音が聞こえるくらいに、大騒ぎをしていて大丈夫なのかが気になった。
太鼓を叩いてるのは十中八九モンスターだろう。可能性が高いのは手足のある小猿だ。
第1階層では毒ヘビの住処に小猿らしき白骨死体があった様に、モンスターはそれぞれ敵対関係にある。
そう考えると、太鼓の音を聞きつけて他の種のモンスターが引き寄せられてもおかしくは無い。その引き寄せられたモンスターとの戦闘が起こる事だって考えられる。
そんな中、大きな音を立てて騒げる余裕はなんだろう。
他のモンスターの事を気にする必要が無いくらい力を持った存在がいるのか……それとも、同種のモンスターしか存在していないから、気にする必要も無いのか。
そのどちらでもなく、ただ馬鹿なだけなのか。
進むにつれて太鼓の音はどんどん大きくなっていく。その音の大きさ故に、俺は足音をなるべく立てない様になどせず、歩くことが出来た。
「……宴?」
そうして木々の隙間から見えきたのは、大きなかがり火の周囲を囲うように広がり、太鼓の音に合わせて踊る子猿たちの群れ。
見える子猿の顔はどれも楽しそうにしていて、少し赤みがかっている。
夕暮れの太陽に照らされたわけではないそれは……
「もしかして酔ってるのか?」
俺が宴と第一印象を抱いた通り、子猿たちは本当に宴を開催しているのではないか。
酒を飲み、踊り、騒いではしゃぐ。宴とはそういうだと俺は認識している。その認識に照らし合わせれば……小猿達は相当出来上がっていると言えよう。
「ウキッ!」
「ウキ~」
「ウキキ」
「ウキ」
「ウキ」
30体以上の子猿がかがり火の周りをくるくる回って踊っている。
それに何より……一番目を引くのは太鼓を叩いている特に図体の大きい個体。
子猿というより親猿というべき見た目をしたそいつは、子猿をそのまま大きくしたようだ。
茶色い体毛に、異様に長い腕。可愛げが無く、狂暴性が一目で感じられるような醜悪な顔。
子猿は大きくても1mといった所の大きさをしているが、親猿が少なくとも背の低い人間と同じくらいの身長があった。
大きい分、見た目から感じる威圧感は増えていて正面から戦うのは勘弁したい。トンボと戦った後なら、なおさらだ。
「(真っ先にあいつを倒す)」
宴をしている子猿たちと戦うための作戦を静かに息を潜めて組み立てていく。
ありえないとは思ったが、やはり奴らは酔っている。酒に酔い、雰囲気に良い、楽しさに酔っている。なぜそうなっているかは分からないが、誰も彼もが隙だらけだった。
だからその隙を狙う。まず初めに親猿を殺す。このままバレないよう、親猿の背後に周り……鉄の戦槍で背中を一刺しする。どこを狙うか、なんて迷う余裕すらあるだろう。
そして親猿の突然の死と俺の登場に混乱する子猿を一掃する。そこでなるべく数を減らしたい。その後の戦闘が楽になるから……そうだな、槍を持ってないグルグル回るだけでも結構な範囲を攻撃出来るから、それでいこう。
そして残った残党を始末する。
酔いの回った子猿など、今の俺の敵では無いけど、一対多の戦闘じゃあ万が一があるから最後まで油断は出来ないから、気は抜かない事。
「(よし、作戦実行だ)」
大雑把だが作戦が決まった。穴も探せばあるような作戦だが、子猿達の様子を見ればそれで十分だと理解出来る。
なぜこの猿達はこんなにも浮かれているのだろうか、と考えつつも、静かにバレないようにひっそりと親猿の背後に回っていく。
地面に伏せ、淵樹や背の高い草などの死角を存分に利用して、 自分の姿を隠し……出来る限り最初の標的である親猿に近づく。
「(猿達の宴会場は開けてる。槍を存分に振り回しても障害物は無い。強いて言うなら大きなかがり火だけど……)」
そのかがり火も崩して利用すれば、更に子猿に混乱を与える事も出来るだろう……と場所の確認も忘れない。
もう二度と振るった槍が木に引っかかる、なんて無様な事はしない。
「(3……2……1)……フッ!」
心の中でカウントダウンをして、淵樹の影から飛び出す。
槍の穂先を前方に突き出したまま、親猿の背後に接近し……その勢いのまま、鉄の戦槍は親猿の胸を貫いた。
「ヴ……ギィ!?」
親猿は自分の胸から突然生えた鈍色の太い刃を見下ろし、驚愕と苦痛の声を上げる。
そして下手人である俺の姿を見る為に、後ろを振り返ろうとするが、俺がなるべくこの一撃が致命傷となる様に槍を捻りながら引き抜く事で、それは叶わなかった。
「ウキ……?」
突然、太鼓の音が鳴り止んだ事に疑問を抱いた子猿が親猿の方を見上げる。
そして口から血を吹き出しゆっくりと地面に倒れる自分達の親玉と……その背中から血に濡れた槍を持った俺の姿を視認する。
「ウギッ!?」
1番近くに居た子猿をかがり火の方に蹴飛ばし、かがり火が子猿の全身を火で包みながら崩れ落ちていくのを尻目に、鉄の戦槍を離さないように両手で掴んで、腕も槍も精一杯伸ばして体を回す。
子猿が槍にぶつかったであろう衝撃を感じても、体を回し続ける。さすがにこれ以上は自分の目が回ってしまうって所で回転を止め、顔を上げると阿鼻叫喚の光景が広がっていた。
……もちろん、子猿達にとっての、阿鼻叫喚の光景だ。
「ウキ……ウキ……」
痛みに呻く子猿達。当たり所が悪く真っ二つにされているもの、体のどこかを切り落とされているもの、少し切り傷が出来たもの、柄に当たって体の骨が砕けたもの……子猿の状態は様々だ。
びっくりするぐらい数が減っていた。あれだけいた子猿達の動ける個体はもう5体程度しか残っていない。
「ウキ!ウキィィ!!」
俺が想像以上の戦果に驚いていると、傷を負わずに無事だった子猿達が、顔を憤怒に歪ませて飛びかかってくる。
それらをとりあえず槍で捌けるものは捌き、それ以外は蹴りや殴り、そして回避してやり過ごす。
「ヴギィ!!」
掴んだ子猿を崩れたかがり火の未だ燃え盛る薪の山に投げる。
痛みで地面を転がる子猿の体を踏み潰し、飛び掛ってきた子猿を槍で貫く。
槍の重さに自分の体が振り回される時もあったが、それを利用してわざと体制を崩して子猿の攻撃を避ける事もした。
動ける子猿達はあっという間に全て倒すことが出来た。もう残すところは、重傷を負って動けずにいる数少ない子猿のみ。
地面には子猿達のドロップしたカッパーコインが大量に転がっているのが見えた。
この数十秒でありえない量のお金を稼ぐ事が出来たが……本音を言えば、決して気分が良い訳ではなかった。
「ウキ……」
なぜ、そんなにも恐怖の目で俺を見上げるのだろうか。
「……キキ」
なぜ何も物言わぬ骸と貸した子猿に、そこまで縋るのだろうか。跡形もなく爆散する同胞を見て、なぜ絶望する。
なぜ、なぜ、なぜ?
「お前らはモンスター」
そして俺は人間だ。
お前らと俺は敵対関係で……お互いにお互いを殺そうとするのが普通だろう?
まだ2日目しかこの場にいないが……それがこのダンジョンの摂理なんじゃないのか?弱肉強食を地で行くような、そんな野蛮な場所がダンジョンなのだろう?
「……分からない」
今日、1番初めに倒した子猿は俺が殴り殺しても最後まで俺に敵意があったと言うのに……今は怪物のような目で見られている。自分達の幸せで楽しかった時間をぶち壊しにした存在だと、憎しみを込められた目で見られている。
「気持ち悪い……」
胸の奥がぎゅっと掴まれたような感覚。
今までモンスターとの戦いでこんな感情を抱いた事がないのに。
この戦闘を始める前も……こいつらを全員倒した時、合計でいくら稼げるんだろうな、なんて呑気な事を考えられていたのに。
「ウキ……」
「っ!」
どうしてこんなにも、トドメを刺す為の手が震える?
「……おえっ」
……俺は気付いたらダンジョンに居たんだよ?
普通だったらこんな武器を持って、敵と戦うような野蛮な生活とは程遠い日常を送っているはずだったのに。
自分の住んでいた場所からこんな場所に拉致されて、しかも自分に関する記憶とかその他たくさんの記憶も失って……
ここに来たせいで、自分のアイデンティティすら失ったのに……生きる為に戦いを強制される。
その結果、なんで俺がお前らから悪者みたいな扱いを受けなきゃなんないの?
俺だって生きたかっただけだよ。そうしなきゃ生きれなかったんだよ。
「……楽しんだのがいけなかったの?」
これから先、どれだけここを過ごすかも分からない。そんな不安を感じながら、少しでも前向きに居ようとやる事に楽しさを見出したのは悪い事なの?
「ねえ、なんで……」
俺には記憶が無いの?
それがあれば、この感情への疑問の答えが見つかるかもしれないのに。こんな思いをしなくて済むかもしれないのに。
「……」
生き残っていた最後の子猿に槍を突き刺して、崩れ落ちる。
なぜか溢れてくる涙を拭うこともせず顔を上げれば、夕日が目に映った。
……自分はこんなにも醜いというのに、夕日だけは初めと変わらずずっと綺麗なままだった。




