ボス戦
……とうとうこの日がやってきた。
満腹までは食べず、空腹に苛まれない程度の朝ご飯を食べ……シャワーを浴びて眠気の一切を消し去る。
この後の戦闘で怪我がないように、入念にストレッチをして体を伸ばす。
「すー……ふー……」
呼吸を整えながら、ダンジョンに出向くための準備を進めていく。
まずは足元から。楽なサンダルから革のブーツに履き替える。ズレないよう、脱げないよう紐をしっかりと結ぶことも忘れない。
太ももに鉄の投剣を収めたホルダーを巻き固定すれば下半身はこれで完成だ。
「……やっと手に入ったなぁ」
そして上半身の装備を着る……前に、黒鉄色の軽鎧を撫でた。
そう……とうとう俺が求めて止まなかった、胴体の装備が今日手に入った。
装備の名前は『魔鉄の軽鎧【黒魔】』……胸全体を覆う魔鉄で出来た軽鎧と、肩や肘にプロテクターとして魔鉄の鉄板が貼られたロングコートがセットの防具だ。
ロングコートには、魔鉄が織り込まれていて魔力の伝達率を強化するという効果があるらしい。
今までの魔鉄装備はレア度がコモンだったが、この『魔鉄の軽鎧【黒魔】』だけがレアのアイテムだった。
出来れば全身を覆うようなそんな大きな鎧が欲しくはあったが……流石にそうも言ってられない。
次に魔鉄シリーズの装備が目玉商品として並ぶタイミングはいつになるかは分からないし……何よりピンポイントで胴体装備が手に入るのかも分からないのだから。
【黒牙】と続いて【黒魔】という新しいシリーズ……名前や効果からして、魔法を使いながら戦う人に向けた防具だろう。
「黒牙が攻撃力とっかみたいな感じだから……もしかしたら複数シリーズがあるのかな?」
防御力特化の魔鉄シリーズ、なんてあるかもしれない。
見事に胴体装備と腕装備が違うシリーズの魔鉄装備になってしまったが……それもまた一興ではある。
「よい……しょ」
軽鎧を体に合わせ、ベルトで固定していく。篭手と装備のデザインが違いすぎる所はあるが……使われている素材が同じだから、何とか統一感的な物は感じれた。
そしてロングコートを……と行く前に、先にベルト類を腰に回す。今日はボス戦のみの予定なので、いつもは水分補給の水の分も回復ポーションがポーチに詰められている。
そうしてベルトを身につけたら今度こそ、ロングコートに袖を通していく。魔鉄が織り込まれていると言っても、別にコート自体に重量はそこまでなく、むしろ軽い方だろう。
「うん……いいねいいね」
魔鉄の篭手【黒牙】も付けて、ほぼ全身魔鉄装備となった自分の全身を姿見で見る。
自分が黒髪な事もあって、全身真っ黒っていう感じだが……装備にオシャレを求める立場ではまだ無い。まあ、この装備でも十分カッコいいとは思うが。
「いくか」
最後に魔鉄の盾と鉄の戦槍を持って、拠点の掲示板に向かう。
『水妖宮:ボス部屋』……出来れば、集会所の方の掲示板で纏められているダンジョンの情報を読んで、どんなボスなのか事前に知りたくはあった。
ただ集会所への入口が現れるかどうかは運次第なので……出ないものはしょうがないだろう。
看板の文字に触れて、第3エリアのボス部屋への入口を開く。
「……あんまりいつもと変わらないな?」
壁や床の様子は今まで見てきた『水妖宮』の階層とほぼ変わらない。
変化があるのは、こんなに広い部屋は今までは無かったって事と……ただ海の中って感じの景色が見えるだけだったが、ボス部屋からは水中に沈んだピラミッドのような物が見えるぐらいか。
多分あのピラミッドが第4エリアの場所という事なんだろう。
「……!?」
そんなこんなで、部屋の中心に向けて歩いていると半透明の壁の奥、景色として存在していた海から……つまりダンジョンの外から、大きな影が迫ってきた。
この部屋を軽く超えるような、巨大な影。
「──」
びっしりと吸盤が並ぶ触手を複数本蠢かせ、横長の瞳孔で外から俺を睨んでいる。体色こそ青紫色をしていて見覚えはないが……顔の後ろに丸く膨らんだ頭のような胴体、そして8本ある吸盤の付いた触手。
タコだ……超巨大なタコのモンスターが、この部屋の外にある海から俺を狙ってきている。
「怖すぎっ!」
演出の一環なんだろうが……まさかエリアボスが、エリアじゃなくて背景の海から来るとは思ってもなかった。
最初は影として輪郭ぐらいしか捉えられなかった巨大生命体が真っ直ぐこの部屋に向かってくるのが、不気味すぎてもう既に恐怖心でいっぱいだ。
「──」
「……おいおい、マジかよ」
タコは、何とかしてダンジョン外から部屋の中を侵蝕しようと、触手をダンジョンの外殻に突きつけていた。
触手に押されるように、部屋の壁にビシビシと罅が走り……ダンジョンと外を隔てる境界が崩れていく。
罅が漏れた海水がチョロチョロと部屋の中に入っていくる。今はまだ軽い水溜まりを生むくらいだが……大きな穴の1つでも空いてしまえば、一気に海水はこの部屋を満たしていくだろう。
「時間制限ありって事か!?」
このまま触手が壁を突き破って穴を開けるんじゃないかとヒヤヒヤしたが、そんな事は無いらしい。あれだけ触手を突き立てられても壁には罅が入るだけで、穴が空くことはない。
かと言ってタコボスがそれで諦めてくれるはずも無く……触手の半ばを包むように魔法陣が浮かび上がった。
触手を包んでいた魔法陣は部屋にも浮かび上がり……
「クソッ!……そういう事か!」
部屋の中にタコの触手が転移してきた。
あの魔法陣からはタコの触手だけではなく、海水も転移してきている。それこそ壁の罅なんか目じゃない量の海水が。
「魔力強化!」
初っ端からリソースを吐き出していく。と言っても魔力を全部使い切りはしない……5秒程度の魔力強化を使用するだけ。
この5秒の魔力強化で情報を集める。魔法陣から触手を押し返せば良いのか、それとも触手を切り落としてタコの手を引かせれば良いのか。
「はあっ!」
まずシールドバッシュで触手に全力で体当たりをする。
外から触手を押し返すようにしてみたが……触手はピクリとも後退せず、逆に俺が触手にバシッとはたかれてしまった。
「グッ……ゲホッ!」
胸を触手に叩かれて、押し出された肺の空気げ咳となって排出される。
魔力強化のおかげで俺の耐久力と、魔鉄の軽鎧が硬質化されていたから何とか咳一つ程度で済んだ……けど、魔力強化無しで喰らったらダメージを喰らうこと間違いないだろう。
「……っ!」
床の水溜まりがどんどん大きくなっていく中、水を蹴り飛ばしながら今度は鉄の戦槍を触手に向けて振るう。
一撃では触手を丸々切り落とすには穂先の長さが、触手の太さに対して足りてない。魔力強化中である事を利用して、体を無理矢理動かして、何度も同じ場所を切り裂く。
肉厚な触手を1回1回切っていくのは少々骨が折れるが……5秒の魔力強化だけで、触手を1本切り落とすことが出来た。
「──!」
根元からバッサリなくなった触手をタコボスは引っ込めていく。魔法陣から触手が引っ込んで、そして砕け散ると漏れ出ていた海水も止まった。
「──」
ダンジョンの壁越しに響く、笛を何重も重ねたような低音のタコボスの声が響く。
タコボスの口に見て分かる大量の水が吸い込まれ、魔法陣が浮かび……部屋にも魔法陣が現れる。
──魔法陣は俺を狙ったような向き。タコボスに吸い込まれた水。
「クッ……!」
射線上から対比するように床を転がって回避をすると……タコボスが大量の水が吐き出され……魔法陣を伝って部屋にハイドロポンプのような勢いで水が飛び出してきた。
魔法陣から一直線に壁まで向かった水流は、壁に突き当たり爆発音のような勢いの水音を立てて散る。
……もしタコボスのブレスに巻き込まれてたら、俺もあんな勢いで壁に激突してただろう。もう魔力強化は切れているから、多分少なくとも背骨に罅は入るかもしれない。
「それに、攻撃のバリエーションとしても部屋の中に水入れてくんのかよ……!」
今のブレスで床全体に水が行き渡った。水位約5mmって所か。部屋の大きさに救われて、今のところほぼ誤差程度の水位だが……これがもしくるぶしまで溜まったら、まともに走るのも難しくなるだろう。
「やっばいな……初の撤退も視野かも」
ブーツを履いてるからくるぶしまで大体7~8cmくらいか?……15cmくらい水位が上がってきたら速攻で逃げよう。
そこが多分走れなくなる分水嶺の高さだ。
この俺の焦りがタコボスも分かっているのか、触手を部屋に突き立てて、罅を新たに生み出してくる。
2箇所……5箇所……どんどんと増えていく罅と浸水。
この部屋の壁を突き破って来れないって最初に分かってるから、また触手を部屋の中に転移させれば良いものを……思わずタコボスを睨む。
「──」
「はっ……このタコ野郎が……!」
俺の焦った姿を嘲笑うかのように、タコボスの瞳孔が歪む。それを見て、悪態を吐かずにはいられなかった。
今まで戦ってきたどのモンスターよりも、このタコボスは狡猾で残忍で……感情豊かだ。
「……さっさと来いよ!!」
壁の外のタコ野郎にも聞こえるぐらいの声量で叫ぶ。
嘲笑を続けるタコボスは新たに触手を2本、この部屋に転移させてくる。
「ふっ……!」
さっきも言ったように、このタコボスは感情豊かだ。俺の焦りを嗤い、そしてそれを加速するように部屋の中に水が溜まるのを早めて来たのを見ると、性格も悪いんだろう。
自分の絶対的な優位を悟っているからこそ、俺を舐め腐ってもいる。
だからこそ、タコボスは俺の声を聞いて新たな触手を部屋に転移させてきた。俺を追い詰めるだけなら、ただ時間をかけてなからブレスを連発すれば良いだけだ。
だがそうすると俺が撤退するからと、わざわざ俺を弄ぶ為に触手を部屋に伸ばしてくる。
「んぐっ……!」
触手の叩きつけを魔鉄の盾で何とか受け流し、さらに伸びてきた別の触手の下を転がるようにして避ける。今更服が濡れるなんて事は気にする余裕は無い。
「──」
笛を何重にも重ねたような低音が響く。
……嗤っているんだろう。2本の触手を掻い潜りながら、何とか槍を振るう俺の必死な姿を。
せいぜい俺をいたぶって遊んでればいい。俺が必死に牙を隠し研いでいるとも知らずに。
お前のそれは強者の余裕では無く、強者の傲慢だ。
「傲慢の先に待つものは……破滅だって相場が決まってるんだよ」




