黒歴史?
小猿が背後に迫ってきていたのは、全く気が付いてなかった。
つい今までの俺の脳内には、どうやってあの3匹のトンボをあの場所から引き剥がすか、それだけしか無かったから。
「痛いな……」
だから、覚えておこう。この痛みと共に……ダンジョン内ではいかなる理由であれ、周囲の警戒を怠ってはならないと。
小猿に殴られジンジンと痛む右肩を押さえながら、俺に攻撃を当てて、ニタニタと笑いながら喜ぶ小猿を睨む。
「(……痛みからして、骨に異常は無い。酷くて腫れる程度の打ち身だろう。でも痛みでどうしても右腕の動きが鈍くなる)」
少なくともある程度痛みが引かなければ満足には戦えない。
後悔と自分への叱咤は先送りにして、必死に考える。
小猿の声と殴られた時の物音で、多分トンボ達には気付かれただろう。ここまで来るのに後数秒も無いだろう。
「キキッ」
再度飛び掛って来た小猿の攻撃を避け、そして……とうとう物音を確かめにトンボがやってきた。
「ウキッ!?」
小猿もトンボの存在を視認すると、驚いて声を上げる。その声には心無しか、恐怖が滲んでいた様な気がする。
「……!」
巡回に来たトンボな、俺と小猿の存在をその複眼で捉える。
遠くからでも見えていたが、やはり近くで見ると驚くべきはその図体の大きさだろう。トンボの全長は少なくとも1mはあり、頭部だけでも両手で抱えるぐらいの大きさがあった。
そんな大きな顔をしていれば、当然複眼も大きくなっている訳で……
「うえっ……」
体がブルりと震える程、それを気色が悪いと感じる。虫系統はどうやら苦手らしい。
気持ちの悪いトンボの複眼に見つめられると、ゴリゴリと戦意が削られていくのを感じる。
だがそんな余裕を感じてられるのも今のうちだった。
「……!」
つい先程まではやや緑色だったトンボの複眼が赤く染まる。それに伴いトンボから感じていた警戒心が、殺意に切り替わった。
どうやら俺と小猿は守っていた宝箱を狙う存在だと認識されたらしい。
そんな存在を宝箱を守っていたガーディアン的存在が許すはずも無く……トンボの羽の羽ばたく速度が上がる。
風圧が発生しているのか周囲の草木が揺れていた。
「……ウキ」
「……」
小猿も俺も、トンボの次なる動きを警戒して、いつでも対処出来るように備える。
1秒か2秒ほどの膠着状態が発生し、そして場面は急変する。
「……マジか」
どうやらトンボは確実に俺達を排除するつもりらしい。
宝箱を守っていたはずの他2匹のトンボが、目を赤くしてここに現れた。
俺のことを見つけたら、真っ先に飛びかかってくる小猿が、恐怖する程の存在が3匹……絶体絶命と言っていいだろう。
「ウキ」
小猿がチラリと俺の方を向いてきた。
人間とモンスター。ダンジョンを探索し始めてまだ数時間もそこらの俺だが、この2つの存在は完全に敵対関係である事は理解出来る。
だがそれでも小猿の目を見れば、小猿が何を言いたいのか、すぐに分かった。
一時休戦。
この絶体絶命の状況に置いて、助かるためには逃げる事に徹するのみ。今俺と小猿が戦ったとしても、何も利益は生まれない。
俺は無言で小猿に頷きを返し……俺と小猿は示し合わせていたかのように、同時に動き出した。
小猿は機動力の高い木々の間を飛び回る、お得意の移動法の為に近くの枝を掴もうとジャンプをして……俺は、そんな小猿の体を掴むために手を伸ばす。
「ウキッ!?」
俺の唐突な行動に驚きの声を上げた小猿。
言葉にすれば「一体何をしてる!?」と言った感じだろうか。
目的はただ一つ。俺が逃げる為の時間稼ぎだ。
俺は掴んでいた小猿を投げ飛ばす。もちろん逃げる俺達を追いかけようとしていたトンボ達の方に、だ。
「ウキ……」
絶望の表情で投げ飛ばされる小猿を尻目に俺は走り出す。
宙を舞う小猿に対し、トンボの内1匹が体当たりをする様に突撃をして……小猿の体が高速振動するトンボの羽によって真っ二つに切断された。
……なるほど。トンボのあの羽は移動手段であり攻撃手段でもあるのか。
結局小猿を投げ飛ばしても、コンマ数秒しか時間を稼げなかったが、気をつけなければいけない事を1つ知る事が出来た。
これを知っているのといないのじゃ、雲泥の差だろう。
「……!」
「……!」
「……!」
ブンブンと耳障りな羽音を立てながら、トンボ3匹が後ろを追いかけてくる。
もし追いつかれればあの小猿の様に俺の体は真っ二つ。当たり所が良ければ腕一本程度済むだろうが、そもそも止血手段も持ってない俺にとって致命傷なのに変わりはなく。
俺とトンボの命を懸けた追いかけっこが始まった。
「……こう言うのを鬼ごっこって言うんだっけか」
うっすらと脳内に浮かび上がってきた記憶は至極どうでもいいものだった。こんなもの思い出して一体どうなるというのだ。
俺は余計な思考を振り払い、少しでも時間稼ぎになればと思い、逃げる道中に拾った石ころをトンボに向かって投げる。
直線での移動はなるべく避け、淵樹でトンボの視界を少しでも遮るように、時にはさっきみたいに石を投げたりして邪魔をしながら、密林を進んでいく。
途中で小猿や毒ヘビなど他のモンスターとすれ違う事もあったが、全てバーサーカーモードのような状態のトンボに切り殺されていた。
モンスターによるモンスターの殺害なので、硬貨などアイテムは一切ドロップする事はなかったが、良い時間稼ぎにはなっていた。
そんなこんなあり、俺はトンボからギリギリ逃げられている。だがそれもそう長くは持たないだろうが……俺もなんの策も持たずに逃げていた訳ではなかった。
「見つけた!」
前方に見えてきたのは、毒ヘビの住処だ。
なし崩しではあったが、全てのトンボが俺の事を追いかけてくれたお陰で、最初の方に考えていた策を実行する事が出来た。
さらに見かけたモンスター全てを倒すというトンボの状態も踏まえれば……この上無い好条件が揃っている。
毒ヘビの住処がもうすぐ目の前まで迫ってきているので、俺は予め拾っていた石ころを、毒ヘビの住処に向けていくつか投げる。
トンボの気を引いてもらうために、毒ヘビ達には沢山顔を出して貰いたい。その為に先に住処に刺激を与える。
「……よし!」
狙い通り、俺が投げた石ころは毒ヘビ達には攻撃と見なされたのか、淵樹の洞や地面の穴から続々と毒ヘビが顔を出す。
パッと見では詳細は分からないが、少なくとも10体以上は居るだろう……中々におぞましい光景ではあるが、今の俺にとっては頼もしい囮だった。
何匹もの毒ヘビが集まっている所に突っ込むのはとても勇気が必要だったが、全速力で走っているから通り過ぎるのは一瞬。
すぐさま踵を返し、トンボが毒ヘビ達と戦い始めたのを確認しつつ、俺は来た道を引き返していく。
「はっ!はっ!はっ!……急げ!」
制限時間はトンボが帰ってくるまでとあやふやな時間。
贅沢を言えば、全てのトンボが毒ヘビに倒されたらなとは思うけど、トンボの強さを考えるに望み薄だろう。
だからトンボが毒ヘビを倒し切り、姿を消した俺に気付いて宝箱の場所まで戻ってくるまでに、俺は宝箱を漁り石レンガの拠点まで戻る。
「クッ……アッハハハ!」
後ろからあの不快な羽音が聞こえない事を確認して……思わず笑いが込み上げてきた。
宝箱を漁る事が出来る。宝箱……宝。そう、宝だ。
記憶を失ってから初めて感じる高揚感に、自分が抑えられない。急がなければいけない現状で、笑っている余裕など無いというのに、感情を抑える術も忘れてしまっているからどうにも出来ない。
「あは、宝箱!」
数分もしないうちに、宝箱があった位置まで戻ってくる事が出来た。
「何が入ってるのかな、何があるのかな?」
すぐさま宝箱を開ける為にしゃがみ、蓋の留め具を外す。
その時点で俺のテンションは最骨頂にまで上り詰め、震える手で何とか宝箱の蓋に手を伸ばす。
「おおっ!?」
宝箱の蓋を1cmほど開けた瞬間、宝箱から光が溢れ、ポンッ!と小気味の良い音と白い煙が発生する。
煙は1秒も掛からずに薄くなり……木製の宝箱が忽然と姿を消していた。
「おおお!!」
その代わりに宝箱のあった場所には、宝箱の中身と思わしきアイテムが佇んでいた。
「武器だー!槍だー!」
思わず叫んじゃったけど、真っ先に目に付いたのは金属製の槍だった。装飾とか最低限だけど、その無骨な輝きが、とてもかっこいい。もう既にこの槍が好きになっちゃったかも!
ただ1つ気になる事は……
「あは!あの宝箱の中にどうやってこんな長いもの入ってたんだろー!」
でも考えても仕方ないからいいや!と疑問に思った事を笑い飛ばしながら次に目を向ける。
そして見つけたのは小さな小袋だった。薄手の布で作られた手のひらに乗るサイズの小袋には……どうやら硬貨が入っているっぽい。
ジャラジャラと音がなり、チラリと中を覗くと銀色の丸い硬貨が。
「おっかね!おっかね!」
お金って言うだけで、もう嬉しい。
小袋のすぐ横にあったのはガラスの小瓶。中身は緑色の綺麗な液体で……コンビニのドリンクコーナーでも見た覚えがある。『回復ポーション』ってやつだったよね!?
でも内容量はこっちの方が少し多いかも
「……え、これだけで少なくともシルバーコイン1枚節約じゃん!」
そっと慎重に慎重に……小袋と共に腰のポーチの中にしまう。もし割れたりしたら泣いちゃう自信があるもん。
「これだけかな……?」
槍と小袋と小瓶で終わりかな?
もし見落としてたら最悪だから良く探して〜……うん、もう無さそう!
「よーし、じゃあ早く、かえ……ろうか、な?」
トンボが戻って来るまでに帰ろうと、立ち上がると同時に背後からあの羽音が聞こえてきた。
やばい……とうなぎ登りだったテンションが真っ逆さまに沈んでいく。
サーっと血の気が引くのと同時に、浮かれていた自分が冷静になっていく。
追い付かれた。
そう思った瞬間、俺は後ろを振り返りもせずに宝箱から出た槍を握りしめて走り出していた。
「やばい、やばいやばい!」
金属製の槍が重くて早く走れない。それに長さもあるから周りの木にぶつかってしまう。
記憶喪失になる前も、恐らく本物の槍なんか持ったことのない生活を送ってきたのだろう。
持っているだけなのに扱いがヘタなのを自覚してしまう。
それに、ポーチの中の回復ポーションにも意識が割かれてしまう。割れたりしたらせっかくの1シルバーコインが……という思考が、なりふり構わずに走らせてはくれない。
「フッ……フッ……!」
ブブブと羽が真後ろで鳴っているを感じる。後ろ髪が風圧で揺れ動くのを感じる。
そんな事が分かるほどに、トンボが後ろに迫ってきたいた。
「あった!石レンガの拠点……!」
一番最初に俺がダンジョンに出てきた時の入口が見えて来た。
拠点までもうあと数十mも無い。逆に頭の後ろのトンボの羽は、あと数cmも無いだろう。
死ぬかもしれないという恐怖が俺の足を加速させる。
「ハァッ……ハァッ……」
全力疾走による肉体的疲労と、死ぬかもしれないという状況に置かれてきた精神的疲労が、既に限界に近い。
心臓が爆発しそうだ。足に力が入ってるのかすらも朧気で……だからだろう。
俺は運悪く、露出していた淵樹の根っこに足をひっかけてしまった。
そして何より運が良かったのは、足をひっかけたタイミングとトンボが俺に追いついたタイミングがほぼ同時だった事。
「おわっ!?」
俺は転んだお陰で、本来なら俺の頭部を切断していたはずのトンボの羽ブレードを寸前で回避し……そして全力疾走の勢いのまま地面を転がっていく。
「痛って……はっ、トンボは!?」
もんどりを打ちながら地面を転がり、ようやく勢いが収まった所で体の節々の痛みを感じながら、慌てて顔を上げる。
まず目に入ったのは体がボロボロのトンボだった。
毒ヘビのあの毒液にやられたのか、顔と羽の一部、そしてあの長い胴体の半分程が溶け爛れていた。
そしてそのトンボが俺を見失ったようにホバリングをしながら周囲を見回している。
「……逃げ、きった……?」
地面についていた手が、ギリギリ拠点の中に入っていた……石レンガの拠点まで俺は転がっていたらしい。
「やった……やったー!」
両手を掲げ、歓声を上げながら後ろに倒れると、背中に石レンガのひんやりとした感触を感じた。
「まさか、初回の探索で宝箱を開けられるとは……」
真横に転がっている金属製の槍。見た感じ、ただの鉄っぽいが……今日売店で売られていた目玉商品の1つが青銅の剣だったはず。その青銅と比べたらこっちの方が遥かに優れているだろう。
もし、売店で目玉商品としてこの鉄の槍を買うとしたらいくらになるんだろうか。今の俺には全く想像がつかない。
そんな物をタダで手に入れてしまった。
しかも他にも、硬貨の入った小袋に回復ポーションまで。
「……ただ、テンションが上がりすぎて幼児退行気味だったのは自分で思い返しても恥ずかしいな」
でも記憶を失ってから初めての、感情を鮮明に……強烈に感じた瞬間だった訳で。
自分を抑えきれなくなるのはしょうがない事だと思う。
「やば、ちゃんと恥ずかしくなってきた」
顔がだんだんと熱を帯びてくる。多分傍から見たら顔が赤くなっているだろう。
あれが、自分の素の姿だとは思いたくないが……自分の一面である事は間違いない。テンションが高い時の俺は、あんなになるのか……
そもそも感情を抑える術を今の俺は知らない。覚えてない。
いつかはまたあの状態が訪れるかもしれないと考えると……またちょっと恥ずかしい。
これが、照れ、という奴なのか。今ここには俺1人しか居ないというのに。




