甲殻虫の群れ
「はっ!……ふっ!」
「「「「「キチチ」」」」」
飛び掛ってくる甲殻虫の軌道を鉄の戦槍で逸らしながら、後続をしゃがんで避け、足元に居る甲殻虫を蹴飛ばす。
「クソ……数が多すぎる!」
モンスターの行動が途切れた隙に、周囲を見回す。
一息入れる瞬間でもあるその隙に、新鮮な空気を吸い込んで酸素を補給しなければならないほど、現状の俺は切羽詰まっていた。
……眼前に広がるは甲殻虫の群れ。
俺は今、絶体絶命の危機に陥っていた。
事の始まりは、ただ『黒岩窟』の第2階層を普通に探索していただけの時だった。
「キィー!」
コウモリの攻撃を避け、振り回されることなく扱えるようになった鉄の戦槍で反撃をしていた時。
「……ん?」
真っ二つに切り裂いて倒したコウモリのドロップアイテムを拾っていると、ダンジョン全体が微かに揺れる。
地震のような揺れでは無い……ほんの一瞬、衝撃が遠くから伝わってきたような、そんな小さな振動。
「……」
自然現象だとは、考えにくい。
ダンジョンの内部で振動を生むような事が出来るのは、俺かモンスターぐらいしか存在していない。
モンスターによる仕業だとしたら……俺の警戒心が一瞬にして最大まで引き上げられる。
「また揺れた……近づいてきてる?」
振動の間隔は少しずつ狭まっているのし、振動も徐々に強くなっていきている。
揺れの発生源が近づいていると考えるには十分な情報だ。
「すぅ……ふー」
深呼吸をして覚悟を決め、鉄の戦槍をグッと握りしめて静かに前に進む。
振動の発生源がモンスターなら、逃走も視野に入れつつ様子を見る。もしモンスター以外なら、原因の解明。
「その可能性は低そうだけど……」
揺れは不規則だ。生き物が生み出しているものだろう。
この階層を揺らす程力が強いか、身体が大きいか……その両方か。どんなモンスターかは分からないが……
「見ておく分には越したことはない」
『黒岩窟:第2階層』では、これが日常なのか……はたまた何らかの異常なのか。知っておかねば、この先安心して探索を続けられない。
「……音?」
洞窟内を進んでいくと、揺れと共に地中から音が響いてきた。丁度目の前がT字路なので、どちらに進めばいいのか、壁の岩端に耳を当て音の方向を探る。
「右側……というか、近い?」
ドォン……と響くような大きな音。爆発音では無く、どちらかというとこの洞窟の岩壁や地面に何かが強く衝突するような、そんな音が近場から鳴っている。
パラパラと天井から砂が落ちてくる中、恐る恐る曲がり角に隠れ、顔を僅かに覗かせて先を見る。
真っ直ぐな道では無いから、奥までは見えないが……振動の間隔はもうほぼ無いに等しい。
──来る。
「……はぁっ!?」
姿を現したのは、大量の甲殻虫だった。壁や天井にまでびっしりと隙間が無くなるくらい大量だ。
甲殻虫は黒い色をした岩のような外殻持っているから、洞窟全体に影が落ちているかのように見える。
俺にとってはゾゾゾ、と鳥肌が立ってしまうくらいに気持ち悪い光景だが……少し違和感を感じる。
というか大量の甲殻虫が、揺れと音の原因とは考えにくい。それに少し様子がおかしい。
そもそも何故そんなに大量に居るのか。何故……一斉に同じ方向に向かって進んでいるのか。
──まるで、もっと強大な相手に追われているみたいじゃないか。
「……っ!?」
そして、一際大きな揺れを感じた瞬間……地面を突き破るようにして巨大なモンスターが姿を現した。
「キシャァァァアア!」
『それ』は顔の全面が夥しい量の牙を有したミミズのようなモンスターであった。
『それ』は洞窟内をギリギリ通れる程体が太く、全長が見えないほど長いモンスターであった。
『それ』は数十匹の甲殻虫を丸呑みし、捕食しながら……こちらに進んでくる。
「……やば!」
俺はすぐにあれは自分の手に負えないと判断し、来た道を引き返す。
ただでさえ、甲殻虫だけでも数匹と戦うだけで苦戦を強いられるというのに!
「なんだあのモンスター!?」
俺ですら丸呑み出来そうなくらい大きなモンスターだった。あれがこの第2階層で新しく増えたモンスターの種類の1つだって言うなら、俺は今すぐダンジョンの攻略を投げ出すね。
それかこの階層より下に籠って、お金を稼いで、目玉商品でもっと強いアイテムを揃えてから来るね……例え何日も掛かろうとも!
「あいつは……」
あのデカイモンスターがT字路を通るタイミングで後ろを振り返る。
デカミミズはまた大量の甲殻虫を捕食しながら、岩壁を削り……俺の方では無く、真っ直ぐ道を進んで行った。
T字路の曲がり角が大きく抉られているのを見る、相当な勢いだった事が分かる。
とりあえず、あれと対面する事は無さそうだが……
「うげっ」
たまたま俺の居る道に逸れる事で、デカミミズから逃げ切った甲殻虫数匹が、俺の方に向かって走ってきていた。
「1、2、3、4……7匹か」
どの個体も、デカミミズに追われて気が立っているのか、俺を認識するやいなや、顎を鳴らして俺への敵意をむき出しにする。
「俺はお前らを追ってたアイツじゃないっての……」
こんな事モンスターに言っても意味が無いと分かりつつも、呟かずにはいられない。
青銅の小盾と鉄の戦槍を構える。逃げるなんて選択肢はハナから俺の頭には無い。
この数の甲殻虫と戦えば、無傷では済まないだろうが……あんなモンスターを見て分かった。
俺にはまだまだ力がいる。もっと金を稼ぎ、装備を充実させなければいけない。
「……来いよ」
その為にも、この甲殻虫達から逃げるなんて事は出来ない。
「キチチ!」
俺の言葉に反応したのかは分からないが、7匹居る甲殻虫の内1匹が真っ先に飛び掛ってきた。
ただの噛みつきでは無く、身体を高速回転させブーメランのようにして、だ。
「くっ!」
回避は間に合わず、咄嗟に盾を掲げて受け止める。
高速回転する岩のような外殻が、ギャリギャリと青銅の小盾と擦れる。
その隙を畳み掛けるようにして他の甲殻虫も俺に向かってきた。
「「「キチチ」」」
何とか最初の1匹を別の個体に向けて弾き飛ばす。
狙い通り、弾き飛ばした甲殻虫が空中で別の個体と衝突するのを尻目に、もう1匹を槍で叩き落とし……追撃しようとした所で、足に激痛が走る。
「ぐっ……クソッ!」
青銅の小盾にも噛み付く事が出来る顎の力は、俺の足の肉を容易に噛みちぎっていった。
幸いにも甲殻虫の口はそう大きくは無いから、動けないような程の怪我では無い。
「(危険度の高い攻撃だけ対処して……後は被弾覚悟で戦うしかないか)」
少しでも甲殻虫の数を減らす為に、全力で鉄の戦槍を振り下ろす。
岩のように硬い外殻を割ってしまえば、後は素手でも倒せるくらいに甲殻虫は弱体化する。
今日初めて甲殻虫と戦った時よりも何倍も力を込めて振り下ろした槍は、腕が痺れるような反動と共に甲殻虫の外殻を叩き割った。
「痛っつぅ……」
鉄の戦槍から伝わる反動で腕に、全力を出す為に強く地面を踏みしめたせいで、甲殻虫に肉を喰われた左足に……それぞれ痛みを感じる。
だがそれに気を取られている暇は無い。
「「「「「キチチ」」」」」」
1匹やられて更に激高した甲殻虫が一斉に飛び掛ってくる。
足から感じる痛みを無視して、迎撃体制に移る。
現状、戦える全ての個体が空中に居る。俺の攻撃の後隙を狙ってくる奴は居ないため、今のうちに与えられるだけダメージを与えておきたい。
「お、らぁ!」
鉄の戦槍を振るい、手元で槍を回転させ下から掬うように石突を振り上げる。
青銅の小盾で叩き落とし、落下する甲殻虫を足で岩壁に向けて蹴り飛ばし、身体を後ろに反らして他の攻撃を避けるが……
「い、ってぇなぁ!!」
避け切れなかった個体が、俺の腹に噛み付いて……今度は噛みちぎる事無く、俺の体から離れない。
だが俺の体から離れないという事は、身動きが取れないということで。
盾を持っている方の手を貫手の形にして、無防備になった甲殻虫の柔らかい腹部を貫く。
びちゃびちゃと甲殻虫の体液から俺の手や足元を濡らすが、これが致命傷となった甲殻虫は俺の腹に噛み付いたまま爆散する。
それに伴って、爆散した甲殻虫が撒き散らした体液も消え去った。
「はぁ、はぁ……まず、1匹!」
いや、外殻を砕いた奴もほぼ倒していると言って良いだろう……これで2匹。
それでもまだ、5匹の甲殻虫が俺を狙っている。
俺の消耗なんか関係無いと言わんばかりに、準備の出来た個体から俺に飛び掛ってきた。
これで回想は終わり……そして場面は冒頭に戻る。
「「「「キチチ」」」」
「はぁ……はぁ……」
腹の傷は運が無かったと自分に言い聞かせる。
身体を反らした事で鉄縁の革鎧が僅かにズレた所に攻撃を喰らってしまった。半歩前に居れば革鎧で防げた筈だ……たまたま立ち位置が悪かった。
だがこれからは自分の位置にも気をつけなければ……運が悪いとは言え、同じ事を二度も繰り返してはいけない。
「キチッキチッ」
「ふっ……」
顎をカチカチと鳴らし、天井から落ちてくる甲殻虫を躱し、そしてそれに合わせるように飛び掛ってきた高速回転する甲殻虫を青銅の小盾で受け流す。
──足元。
「……見えてんだよ!」
直感が視界の端に映っていた個体の行動を捉える。
俺は足に噛み付こうとしていた甲殻虫を踏みつけ、そのまま体重を掛けていく。
「キチチ」
「キチ」
バキバキと外殻から音を鳴らす甲殻虫を助けようとしたのか、残っていた個体が一斉に飛び掛ってくる。
──手数が足りない。被弾覚悟で攻勢に出た方が、結果として戦いは早く終わるだろう。
……直感とは、無意識レベルで収集した情報を、同じく無意識に近い思考で精査し、瞬時に導き出された結論の事だと俺は思っている。
「……ハハッ!」
第六感や勘に近いものだが、ただの当てずっぽうではなく、紛れもない『俺の思考』だ。
そんな思考が、被弾してまで手数を増やせと訴えてくるのが……もう1人の自分からの無茶振りな様な気がして、思わず笑いが出てしまった。
「キチチ……」
グチャ、と足元の甲殻虫が体液を撒き散らしながら潰れる。
飛び掛ってきた甲殻虫達からバックステップで距離を取ながら、俺は……青銅の小盾を左腕に固定していたベルトを緩めた。
カランコロンと音を立てて、盾が地面に転がる。
青銅の小盾を外した事で随分と軽く感じる腕で、腰の後ろのホルダーから鋼鉄の手斧を引き抜く。
「あと4匹」
防御を掻き捨てた……鋼鉄の手斧と鉄の戦槍の、変則二刀流。
「「「「キチチ」」」」
盾や槍より遥かに小回りの効く手斧をまず振り上げる。
いとも簡単に甲殻虫の腹部に食い込む手斧の刃で、そのまま甲殻虫の身体を引っ掛けるようにして、すぐ横に並ぶ別個体にぶつける。
「グッ……」
確実に一体倒す為に避けたり防いだりせず、鉄の戦槍を振りかぶっているから、無防備になった右腕の肉が食いちぎられるが……それにやり返すように、思い切り振りかぶった槍を振り下ろす。
「あと、2体」
高速回転して飛び掛ってくる甲殻虫を、鋼鉄の手斧と鉄の戦槍で受け止めると、また足に痛みが走る。
今度はただ体当たりされただけのようだが、岩に足をぶつけたような痛む。
「あっはは!」
足元の甲殻虫を蹴り上げ、手斧で薙ぐ。
壁まで飛んでいった甲殻虫の後を追い、外殻を何度も何度も何度も手斧で叩いてボロボロに砕き割る。どうやら、外殻が割れるよりも……中身に限界が来る方が早かったらしい。
最初の方に外殻を砕いてそのままにしていた甲殻虫が、たまたま壁際でぐったりとしていたので、そのまま踏み潰して……
「ラスト、1匹」
後はもう、楽勝だった。




