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出会いと決別




「うん、やっぱりコーヒーだ」


 香ってくる匂いの正体はやはりコーヒーだった。

 中に入ってみるとカウンターの上にはコーヒーメーカー……というかコーヒーがメインではあるけど他の飲み物をありますよ、といったドリンクバーが設置されている。

 

 カウンターのすぐ横の自販機は、全面がカラス張りで数字を入力して中の商品を選択するもので、お菓子から始まり簡単な軽食までバリエーションは豊か。

 他にも飲み物を売っている普通の自販機もある。

 

 確かに内装は木目調の落ち着いた雰囲気の家具と、カウンターに置いてあるものは、明らかにここがお店である事を主張しているが……最初に抱いた印象である喫茶店というには、あまりに自由すぎる。


「ここは……?」


 取捨選択の部屋の入った時のように、白チョークの説明はいつまで経っても現れない。

 一応暫定喫茶店として扱おうか、と考えた瞬間……


「ふふ、ここは集会所と呼ばれている場所だよ」

「……っ!?」


 後ろから声が掛かった。

 咄嗟に振り返り、声の聞こえた方を向くと一人の女性がテーブル席に座りこちらを見ていた。

 まさか自分以外の人間がここに居るとは……観葉植物の隠れていて、入ってくる時に気付けなかった。


「驚いてる。ふふ、こっちおいで……いろいろ教えてあげよう」


 女性がそう言って俺の事を手招きする。

 初めてダンジョン内で出会った俺以外の人間……それも多分凄い美人の女性。

 そんな存在に笑顔で手招きされると、不思議と抗おうとする気持ちは湧かなかった。


「君は……見た感じ『淵樹の密林』をクリアしたばかりの子、だな?」

「え?……そうだけど」


 女性の対面に座ったところで、女性が口を開いた。


「うんうん、雰囲気が初々しくて良いね」


 女性はにこやかに俺の事を見ながら頷いている。

 ……確かに俺はダンジョンに来てからそこまで日にちが経ってないけど、そんなに分かりやすいか?


「さて、いろいろ教えてあげようとは言ったものの……何から説明したものか。君の方で質問はあるかな?」

「質問……じゃあ、俺はこのダンジョンには俺一人しか居ないと思ってたんだけど」


 実際、そのダンジョンに来てから他人の痕跡を見たことは無かった。

 石レンガの拠点も俺以外の人間が使ってるところは見た事がないし、何より『淵樹の密林』のボスを倒した時に拠点発展チケットが使えたように、進行度が俺に合わせてあったはずだ。

 掲示板に掲載されるダンジョンの階層への看板も……取捨選択の部屋に入った時のチュートリアルも。

 なのに何故、ここに来て自分以外の人間が?


「ああ、それはあながち間違ってないかな」

「……?」

「君のダンジョンには、君一人しか居ない。この集会所が例外、って事だ」


 君のダンジョンには君一人……『君の』?


「君がダンジョンで突然目覚めたように、私もダンジョンで突然目覚めた。この『選定の狭間のダンジョン』はそれぞれの専用のものとして存在してるんだ……もちろん私達以外にもこのダンジョンを攻略している」

「そして……この集会所だけがそれぞれのダンジョンと繋がっている?」

「そう言うこと。飲み込みが早いな……もしかして、君は地球の人なのかな?」


 女性は「さらに日本生まれの人だともっと話が早いんだ」と続ける。

 その言い方ではまるで、地球生まれでは無い人も居るみたいじゃないか、と思い目の前の女性の事をまじまじと見る。


「ん?……ああ、忘れてた。私の名前はルキ。テラル、といい世界からこの『選定の狭間のダンジョン』に転移してきた」


 テラル……聞いた事の無い世界の名前。そんな名前を聞いて『異世界』という単語が頭に思い浮かんできた。

 通りで、地球の人?なんて聞いてくる訳だ。


「次は、君の番。君のことを教えてくれるかな?」


 ルキ、と名乗った女性がテーブルに身体を乗り出して俺の顔を覗いてきた。

 興味津々、という顔で俺を見つめるルキだが……俺はそんな顔で見つめられて固まってしまう。

 

「俺の、名前……」


 今の俺には名乗る名前が無い。

 記憶を失う前の俺の事は全く覚えて無い。それに思い出したとしても、前の俺の名前は名乗りたくない。


「名前……うーん……」

「……別に無理に名乗らなくても大丈夫だよ?」


 俺が自分の名前をどうしたものかと悩んでいると、ルキが困惑の表情を浮かべながらそう言ってきた。

 ああ……これが気を使われる、という事か。

 だが一人でダンジョン攻略をして来た今とは違い、こうして他人との交流があるのなら名乗る名前があった方が良いだろう。


「いや、実は……このダンジョンに来る前の記憶が無いんだ。全く無いって訳じゃないんだけど……自分の事は一切思い出せない」


 名乗る名前が無いと打ち明けるにしても、理由が必要だと思い記憶喪失な事も打ち明ける。


「それは……だ、大丈夫なのかい!?」

「記憶喪失自体は大丈夫……ここで生きていく分の知識はあるから」


 積極的に記憶を取り戻そうとは思ってない事は話さない。

 突然記憶喪失だと打ち明けられるだけでも困惑ものなのに、完全に俺個人の事情を今日会ったばかりの人に話しても、余計な事だろう。


「だから、名乗ってもらっても……名乗り返せないんだ」

「そうか……記憶が無いのなら、そうだね」


 ルキは興味津々といった勢いを急に萎ませて、口元に手を当て黙り込む。

 ……申し訳ない事をしてしまったかもしれない。

 もし俺がもっと早く、今の俺の名前を考えていたら、ルキの興味も無下にすることは無かったのに。


「……ふむ、記憶喪失の事ってどのぐらい聞いても大丈夫なのかな?」

「え?……あー、俺としては……気にしてないからいくらでも平気、だけど」


 黙っていたルキが、突然口を開いて記憶喪失の事を追求するように聞いてきた。

 ……まさか、ルキの方から聞き出してくるとは思わなかったから、俺も思わず困惑して返事がつっかえる。

 傍から見た俺は、訳アリの触れづらい人間か、記憶喪失を自称する異常者のように映っていると思っていたが、ルキにとってはそんな事なかったらしい。


「じゃあ、え、遠慮なく聞いてみるけど……記憶を取り戻そうとかは思ってたりする?」


 ……さっき話さないでいたのも、ルキには余計な気遣いだったか。ここまでくれば、全て洗いざらい話してしまおう。


「記憶は、取り戻そうとは思ってない。何を忘れているのか、それすら忘れている事もあるし……ここでは記憶の手掛かりになりそうなのも無いだろうし」


 もちろん記憶を失う前に関わりのあった人の事すら忘れているので、そういう人……例えば家族とかには申し訳無いとは思うけど……


「もし、記憶を取り戻したとしたら……俺が『俺』じゃなくなっちゃいそうで、それが少し……怖い」

「……」


 今の人格を構成している『俺』は、記憶を失ってから新しく作り出された『今の俺』だ。

 だけどもし、失った記憶を思い出してしまったら『前の俺』の人格が『今の俺』の人格を塗り潰してしまうかもしれない。

 もちろん、記憶を失ったとしても俺は『俺』のままかもしれないが……それを証明しようも無い。


「今感じている色んな事は『今の俺』が感じてる事だから、俺は俺として生きたい……かな」

「……そっか」


 ルキが優しい顔をして俺の事を見つめる。

 ……こんな事を、初めて会った人に話すつもりなんてなかった。

 だけど、どうしてだろうか。ルキに対してはこうも簡単に、俺すら心の奥底にしまって考えないようにしていた弱音を出してしまう。

 

 ……目、かな。ルキの俺を見る目が、ずっとずっと優しいものだったから話してしまうのかもしれない。

 視線だけじゃない。仕草や表情だって、ずっと俺の事を気遣ってて、この人は信頼出来る人だと思わせてくる。


 それに合わせて、俺も心のどこかで弱音を吐きたいと思っていのかもしれない。ずっと独りだったから、人との関わりを求めてたのかもしれない。

 ……『俺』に、他人との関わりなんて今まで無かったから。


「じゃあ、早く『今の自分』を形容する名前を考えないとね」

「……!」

「名前って、その人個人の事を表す記号なようなもので、その人の事を定義するものだと私は思うんだ。だからこそ、過去と今を区別する為にも、今の自分の名前が必要なんじゃないかな」


 確かにそう言われると……俺にとって名前というものは必要なものだ。『前の俺』と決別する為にも、早い方がいいだろう。


「でも……名前か」


 これから先、俺が生きている限りずっと名乗り続ける事になるものを……じゃあ、こう名乗ります、なんてすぐには思いつけなかった。


「……君が、覚えているのはどれくらいあるの?」


 俺がうんうんと自分の名前について唸っていると、ルキがそんな事を聞いてきた。


「覚えているもの?……それはそれですぐには出てこないけど……ああ、さっきルキが聞いてきたものだけど、俺は地球の生まれだよ。それも多分日本人」


 すっとカウンターにあるドリンクバーや、横の自動販売機に指を指す。


「ああいうのは、覚えてる。日本にあったものだから」


 この集会所という場所にある物は大体分かる。


「へえ、そうなんだ。じゃあ、日本のどこで暮らしてたとかは?」

「それは分からない」

「何歳?日本では何してたの?そもそも日本ってどんな国?」

「多分歳は16から18の間。高校生……学生っていた方がいいかな?日本、は……」

「覚えてない?」

「……うん」


「それじゃあ──」


 ルキから矢継ぎ早に色んな質問が飛んでくる。

 答えられるものもあれば、聞かれたものが分からなくて答えられないもの、まだ知らないもの、そもそも聞いた事すら無いと感じるようなものなど沢山あり……答えていく度に自分が丸裸にされていくような不思議な気分だった。


「ふむ……ある程度君の記憶喪失具合が分かってきたよ」

「え、本当に?」


 凄いな、まさか今の質問攻めでルキは俺以上に俺の事がわかったらしい。

 もしかして俺みたいな人間に他にも会った事があったりした事があるんだろうか。


「君は記憶には多分だが『経験』というものが重点的に無いんだと思う」

「経験……?」

「うん。じゃあ聞くけど海は知ってるかい?そこに行ったことはある?」

「……行った記憶はないかも!?」


 海……しょっぱい水が大量にある所だった気がする。

 確かにルキの言う通り、俺は海に行った事があるか無いか、記憶には無い。


「他にはこうして人と話した事は……ダンジョンに来てから記憶喪失ならある訳ないか。んー、今私が飲んでるこのコーヒー、飲んだ事は?」

「……無い」

「それじゃあ、1口どうぞ」


 ルキがテーブルに置いてあるコーヒーカップをソーサーごと俺の前に置く。

 コーヒー……確かにコーヒー独特の匂いを嗅いで、それがコーヒーだって認識出来るけど、コーヒー自体の味は分からない。

 カップを手に取って、ほとんど黒に見えるような濃い茶色い液体を見つめる。


 ──やめておいた方が良い気がする。


 直感がそんな警報を鳴らす中、何事も経験だと自分に言い聞かせ、恐る恐る口に含んでみる。


「……」

「ふふ、すごい顔してるよ」


 苦い。

 ルキが笑ってしまうほど顔を顰めるのを自分でも自覚出来るほど、このコーヒーの苦味を許容出来ない。


「苦いもの、ダメらしい」

「そうみたいだね。すごいしかめっ面してたよ」


 カップを置いたソーサーをルキに返す。

 まだ苦味が舌にこびり付いている感じがして、俺はポーチからスポーツドリンクを取り出して、舌を洗い流すように二口飲む。


「これで少しは分かったかな。君はものは知ってても、それを実際に見たり、味わったりする経験が無い」

「うん、身に染みてわかったよ。とりあえず、もう二度とコーヒーは飲みたくないかも」


 良い匂いだと思っていたコーヒーの匂いも、味が苦いものだと理解した途端、それを苦そうな匂いとして感じるようになってしまった。


「ふふ、美味しいのに……そして、私から1つ提案が、あるんだが……」

「……?」


 ルキが若干言い淀む。この話の流れで、何をそんなに躊躇うのだろうと俺が首を傾げていたら、ルキが意を決したように口を開いた。


「君の名前……マシロ、っていうのはどうかな。ほとんどの事を知らない、未体験な君は、まだ何も書かれてない真っ白な紙みたいな、そういう無垢な状態だから……マシロ」

「『マシロ』……」

「今日初めて会った私が、君の名前を考えるなんて、すこしお節介が過ぎるとも思ったんだが……つい、思いついたから」


 マシロ、真白。

 ルキが少し申し訳無さそうにしている中、自分の中で繰り返し反芻する。


「マシロか……うん。今から、マシロって名乗ることにするよ」

「……いいのかい?」

「もちろん!」


 ルキには感謝してもしきれないかもしれない。

 それにお節介だなんてとんでもない。こんなに嬉しい事、この先無いかもしれない……なんて思ってしまうくらいに嬉しいのに。


「むしろ、こんなに素敵な名前をありがとう!」


 俺は湧き上がる嬉しさを抑えきれずに顔が緩むのを自覚しながら、自分の名付け親になってくれたルキにお礼を言う。


「っ!……どう、いたしまして」


 ルキはそう言いながら、コーヒーに手を伸ばす。

 俺は浮かれていて特に気にしていなかったが、ルキの顔と耳は何故か真っ赤になっていた。



 

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