終わりと始まり
「……え、なにここ……?」
目が覚めると知らない部屋に居た。最低限の金属フレームとマットレスだけて構成されていたベッドで寝ていた。
寝惚けた頭で、ベッドから起き上がり周囲を見回す。
見えるのは石レンガで出来た小さなの部屋……無機質で肌寒さを感じるこの部屋、元々の俺の部屋とは全く違う内装だ。
本当にここはどこだ?俺は昨日の夜、面倒な課題を終わらせて、友達とげーむ?をして寝た、はずなんだけど……
「いや、は?……なんだ?なんか、何にも分からねぇ!?」
げーむってなんだ?課題ってなんの?……思わず頭を押さえる。頭が痛い、いや痛覚を感じている訳では無い。強い違和感だ……そう、違和感。普段感じるはずのない脳を直接撫で回されているような、そんな不快な感覚。痛みと錯覚するほどの。
冷や汗が止まらない中、自分が知っている事をなんでもいいと、思い出そうとして必死に頭を回す。
「俺は、俺は……に、日本に住んでたこう、校生で……家族、いもうと……そう妹が居たはず……居た?」
頭に浮かんだ事を全てをブツブツと呟き忘れまいと反芻する。
少しずつ自分を思い出せる。思い出せるが……砂をすくっても手のひらからサラサラとこぼれ落ちてしまうように……思い出した途端に忘れていってしまう。
「はっ、はっ……!」
上手く呼吸が出来ない。
家のすぐ目の前に、バス停があった。公園もあった。良く近所の子供が遊んでいるような。タイミングが悪いとバス待ちの人と鉢合わせて気まず……ばす?ばすってなんだ?
おや、そう親。子供は母親と父親が居てやっと誕生するはず。俺も、親が居るのか……?
スポーツ、が好きだった気がする。体を動かすのが好きで……父親によく付き合ってもらっていた。父親に、顔も名前も思い出せない父親に。
そして、僅かに手のひらの上に砂が残るように、朧気な微かな記憶しか俺には残らなかった。
「おれのなまえ……俺の、な、なまえ……名前は……」
ふと、馴染みのある名前を思い出した。多分自分の名前だろうか、よく呼ばれていた気がする。その名前を口に出そうとして……舌の上で文字が砕ける。はく、としか口が動かなかった。
とうとう立っていられなくなった俺は膝をつく。ほとんどが消えてなくなった。
自分がどんな顔をしていたのか、どんな名前をしていたのか……思い出せない。
「っ……く、ふっ……ぁぁ」
蹲り、胸を掻き抱く。涙が止まらない。
……何を忘れているのか、それすらも忘れてしまった。何を失ったのか、それが自分にとってどれだけ大切だったのか……それすら分からない。
俺は今、なぜこんなにも悲しいのか。なぜ涙を流しているのか。それが、分からない。
「ぅあ……ああああああああぁぁぁ!!!」
自己の喪失。
「……あれ、俺、なんで泣いてんだ?」
なんかが凄く悲しくて怖くて、泣いてたような気もするけど……なにが悲しかったんだろうか?
そんな事よりも、一番の問題はこの見覚えのない部屋の事だ。ここは一体どこなのだろうか。
「あー……頭が回らない。なんだっけな……ここが見覚えない場所って事、ぐらいしか覚えてないな」
必死に何かを思い出そうとしてたのは覚えてるが、思い出せるのはそれだけだった。
心当たりのない精神的疲労を感じつつ、立ち上がり着ている服の汚れをはたく。
……思いっきり寝間着だな。Tシャツと長ズボンで、というか裸足か。通りで床の冷たさを感じる訳だ。
「……探索するしかないか」
石レンガで出来た灰色一色の部屋。すぐに目につくのはさっきまで俺が寝てたであろう無い簡素なベッド。
顔を近づけてマットレスの匂いを恐る恐る嗅いでみても、なんか新品っぽい匂いしかしない。
「手掛かり無し。じゃあ次は広さ?んー……3m×3mくらいありそう」
5畳くらいの部屋ってところだろうか?まあ、自分で言っておいて『5畳』ってなんなのか分からないのだが。
「でも扉が無いな」
扉が無いという事は外に出られないという事。さらに言えば窓のようなものも無い。
まさかここ監獄だったりするのだろうか。ベッドしか無い部屋に閉じ込めて、終身刑的な。
「何も自分のことを思い出せない分、否定材料が無いな。とりあえずこの部屋からの脱出を考えなければ……」
ベッドの下に秘密の隠し道も無いし、壁や床も全部石レンガ……調べられるものが少ない。
すぐにどうすればいいのか、分からなくなってしまった。
「……どうしよう」
呆然しながら壁をドンドンと叩いてみる。
「誰か居ないか、ここから出してくれ」と叫ぼうとして……違和感を感じた。
「なんか、音が響いてる?」
試しに別の壁を叩いてみると、手が壁にぶつかる無機質な音が鳴るだけだった。戻ってさっき叩いた壁をもう一度叩いてると、別の壁の時と違う余韻のような音の広がりが。
「こっち側になんか空間あるな……」
新たな部屋かどうかは分からないけど、音が響くだけのスペースは空いてるみたいだ。
どうにかこうにか、向こう側への道が開いたりしないだろうか……そう思いながら石レンガの壁をぺたぺた触っていると、一つだけ感触の違うレンガを見つけた。
「……押せる?」
石レンガのボタン、とでも言えばいいのだろうか。たまたま指先が触れた石レンガの表現が僅かに沈んだ。
石レンガで出来たボタン、というよりかは石レンガに見せかけた別の素材のボタンに感じる軽さがある。
試しにグッと押し込んで見れば、カチリと音が鳴りボタンは沈んだままになる。
そしてそれがきっかけで部屋が揺れた。壁の一部が自動ドアのように動いている。部屋が揺れたように感じるのは振動が原因か。
「……隠し扉って訳ね」
数秒もすれば、長方形の穴が空いたように壁の一部が無くなっていた。さっきまであったボタンも見えない。一度きりのギミック、という事だろう。
謎解きみたいだ。焦りもしたけど、こういうものもある理解できた今は、少し楽しさすら感じ始めてきた。
ひた、ひた……と足音を鳴らしながら扉を潜り、ベッドのあった部屋から外に出る。
「ばい、てん?」
待っていたのは相変わらずの石レンガで出来た壁と床。天井からランタンが垂れ下がり、広い広い部屋を照らしているが……何より目を引くのは、部屋の設備だった。
売店のように見えるそれは、コンビニやスーパーで見るようなレジの機械が置いてあるカウンターに、陳列棚には商品が並んでいて……ドリンクコーナーまである。それにATMのようなものも。
「……あー」
思わず唸る。どうやら……いや、やはりと言うべきか。俺は沢山の記憶を失っているらしい。
コンビニやスーパーという物が、ものを買える場所を指す言葉なのは辛うじて理解出来るが、自分が利用したことがあるか、それがどこにあったのかなどがさっぱり分からない。
レジやATMも見覚えがないはずなのに、使い方が分かる。
「……まあ、いっか」
忘れてしまった物は仕方ない。思い出さなきゃ、という気がしないのでそこまで大切な物でもなかったのだろう。
そんな事よりも今俺が置かれている現状の方が優先度が高いだろう。
目的がズレてしまったな、と思いながら周囲を見回す。
売店には人一人見当たらなかった。使われていた形跡もパッと見では無いように思う。
ベッドのあった部屋……寝室しかり、この売店のある部屋しかり……どこまでも、無機質さというものが感じられる作りだ。
「誰か居ませんかー!」
とりあえず声を上げてみる。人の気配は感じられないけど。
……返事は無い。俺の声がこの広い部屋に響くだけ。まあ、そうだろうなとは思っていた。ここには俺以外に誰も存在していないだろうと。
そして、不意にとある壁の方を向く。気になったからとか、たまたま目に付いたから、とかそういう事は関係なく……俺の意思は関係無く壁の方を向かされた、という表現が正しいだろうか。
カツカツ、と音を立てながら綺麗に平面に整えられた石レンガの壁に白い文字がひとりでに現れる。
黒板に教師が板書したような……白いチョークの文字だ。
『ようこそ!選定の狭間のダンジョンへ!』
ダンジョン……覚えのない言葉だ。
それになぜ文字が自動的に書かれるのかも疑問だが、そんな事は知らないと言わんばかりに文章はどんどんと切り替わっていく。
『ここには数多のモンスターが跋扈している危険な場所です!ですが、心配ご無用!モンスターと戦う力のない貴方の為にこの場所には様々なサポートが用意されています!』
カツカツと矢印が追加で描かれ、矢印の先には3つの石で出来た祭壇のような物が壁際に置いてあった。
『見て分かる通り、ここは売店。売られている商品は食料品の他、ダンジョンの攻略に役立つアイテムも!祭壇の上の商品は1日1回、日付が変わったタイミングで内容が更新されます!1度買い逃すと次また同じアイテムに出会えるのは……すっごく難しいかも!』
祭壇の上に浮かんでいる物に目を向ける。
四角形の柱型の台に浮かんでいる物は、剣、ヘルメット、巻物の3つ。
『青銅の剣』
レア度:コモン 値段:1シルバーコイン 98カッパーコイン
[青銅で作られた簡素な剣。武器というより護身用の道具に近い。]
『魔導の兜』
レア度:レア 値段:6ゴールドコイン 44シルバーコイン
[魔力を帯びた兜。古の魔法師が鍛えた知恵の結晶。頭に宿る魔力が、着ける者の術を増幅する]
《魔法ダメージ +8%/魔力回復速度 +5%》
『風鳴のスクロール』
レア:アンコモン 値段:2シルバーコイン 78カッパーコイン
[魔法が封じ込められた特別な巻物。使用する事でスクロールに込められた魔法を発動することが出来る。]
《 風属性魔法『ウィンド』1回使用可能(消費後消滅)》
「なんか……ハクスラの、やつ……みたいだな」
祭壇に書かれたアイテム名とフレーバーテキスト、値段にざっと目を通した後、そんな感想を呟く。
そんなことを考えているうちに、後ろの方でカツカツとチョークの文字が書かれる音がした。
後ろを振り返ると無人のレジの奥の壁に文字が書かれていく。
『お金の稼ぎ方はダンジョンのモンスターを倒す、ダンジョン内で手に入れたアイテムをこのレジで売る、ダンジョンのどこかにランダムで現れる宝箱から手に入れる、の3種類あるよ!』
『通貨の価値はカッパー<シルバー<ゴールド<プラチナの4段階!同種のコインを100枚集めると1つ上のコイン1枚の価値と同等になるから、覚えておこう!』
「なるほどね」
特段、意識して覚えようとしなくても覚えられるようなシンプルさ。分かりやすくて助かる。
『この生活エリアからは、左にある掲示板の文字に触れれば出られるよ!出た瞬間からそこはダンジョンだから、モンスターとの戦闘に備えてね!』
また矢印が描かれ、その先に視線を向けると何も無かったはずの壁にひとつの大きな掲示板が現れる。
掲示板には【淵樹の密林:第1階層】という小さな看板が貼り付けられていた。
『一番上の階層をクリアする事が出来たらこの選定の狭間から解放されるよ!この場所で手に入れたものは全てそのままだから、活用して新たな人生を楽しんでね!』
1番上の階層……それに新たな人生。
気になる単語が目につくけれど、それを現状で判断するには情報が足りてない。額面通り受け取って良い気もするし、そこまで気にする必要はないだろう。少なくとも今は。
『さて、チュートリアルもこれで終わり!レジの上に、初期アイテムを置いておくから、それを活用してダンジョン生活を楽しんでね!あ、それと石レンガで出来た部屋は絶対安全のセーフゾーンだよ!例外無く、モンスターは部屋を認識出来ないし、侵入することも無いし、すべからく戦闘行為が出来ないから、安心してね!』
最後に『健闘を祈ってるよ、バイバイ!』という文字を残して、白チョークの文字は更新されなくなる。
最後の文字も程なくして消えていき、いつの間にかレジの上には白チョークの言っていた初期アイテムとやらが、置かれていた。