第5話 森に射す『光』は《太陽》じゃない!人工の光だよ!
そそり立つヤシの樹々は、おそらく高さ五十メートル越え。
花序の長さは、二十五メートル。
「学校のプール五つ分か……前、来た時は三つだった……クソッ、増えやがって!」
木の葉は歯ぎしりした。その横で、ことりは肩を竦めた。
(前、ね……いつの前だろう)
化けヤシたちは、左に右に次々とうねって、回転まで始めた。
花穂が、バザッバサッバザッと凄まじい音を立てて揺れたので、沢山の巨大ヤシの実が、ゴロンゴロンと耳障りな音を立てて草地を転がった。
「ふん、見てろ。人間が木に負けるか!」
木の葉が拾った実を、部屋の大きさ、部屋数にたとえると、六畳半を三部屋。
普通の男の子が、掴むことすら敵わないであろう三百トンの実を、両手で掬うようにして持ち上げた。
(えっ、何する気?)
ことりはぎくりとした。
(……すっごい嫌な予感がする……)
木の葉は、よたよたしながらも、真正面のヤシに狙いを定めて振り上げた。
「自分で片付けろ、やーい!」
アホ丸出しの声を上げて実をぶん投げた。
「ぎゃあああ!何してんのおおお!」
ことりは悲鳴を上げて短髪を搔き毟った。
木の葉が放った実は、奇跡的に前方へ飛んで、回転を続ける花穂に当たった。
弾き飛ばされたが、そのせいで化けヤシたちの怒りは最高潮に達したようだった。
五本が同時に、先の尖る花穂を手のように使って、巨大な実を直接二人にぶつけ始めたのだ。
しかし、木の葉は挫けなかった。怯むことなく立ち向かった。
「くらえ、トルネードスピン!」
技の名前らしかったが、ことりは非常に危ぶんだ。
(今度は何?)
木の葉は、さっきより一回り小さい実を両腕に抱え込んで、くるくる、ぐるぐる三回も回って、前に放り投げた。
「おえ、気持ちィ。ふらふらする……」
実は飛ばずに転げ落ちた。木の葉は、目が回ったと言ってしゃがみ込んだ。
「大丈夫?立てる?」
手を差し伸べようとして、ことりは、はっとした。
周囲に殺気がみなぎっていた。
弱った木の葉を、化けヤシたちが狙っている『これは大チャンスだ!』と、鋭い花穂を広げて喜んでいる、そんなふうだ。
(もう自棄だ、とにかく隙を狙おう)
信じる友を間違えたが、自分の責任だ。
「木の葉は座ってて。木の葉には散々助けられたから、今度は僕が護る!」
(ヤシとヤシの間に突破口を作るしかない)
ことりも応戦したが、その戦法を見て、木の葉は十秒声を失った。
(――――??)
ことりが選んだのは、八畳半を五部屋、五百トンある実だった。
それを右足で蹴って、易々と飛ばしたのだ。
化けヤシたちも五秒だけ止まったが、飛んでくる実を、さっと躱した。
ことりは蹴鞠でも楽しむかのように、臆することなく蹴り続けた。
選ぶのは、どれも八畳半を五部屋、或いは十畳を三部屋、三百トンの実――
木の葉は魂が抜けたような顔をして、ことりの背中を見つめた。
(こいつ、どうやって、何が目的で入学手続きを取ったんだ……?)
ことりの脚力と的中率は、いい線をいって、見事命中!
ヤシの実が真っ二つに割れることも十回あったが、樹高五十メートル超えの本体が簡単に倒れてくれるわけもない。
化けヤシたちの怒りは増すばかりだった。
ことりは、どうしても今日中に会いたい人、正確に言えば人ではない、がいた。
だから、隠密に町へ出掛けて、こっそりと部屋に戻る予定だった。
しかし、小守寮のエントランスで木の葉に見つかって、声を掛けられた。
「おい、どこ行くんだ!寮母に言わねえで出る気か?入寮初日から問題起こすなよ!おまえ、牡丹餅も持ってねえだろ」
仕方がないので、事情を掻い摘んで打ち明けた。
すると、思いのほか物分かりのよいルームメイトだった。
「ちょっと待ってろ、牡丹餅取ってくる。案内してやるよ。道、分かんねえだろ?森は俺の庭だぜ。脱走のプロに付いて来い!」
森の入口は南で、出口は北なのだから、真っ直ぐに進めばいい。
ことりは呑気に構えていたが、地理に明るい者が一緒なのは心強い。
親切心のあるルームメイトで良かったと心から思ったのだが、信用したのは誤りだった。
「今日が命日かもしれない」
ことりは半ば諦めかけたが、足元を見てぽつりと呟いた。
「木の葉と僕の影がない!どうして?」
ことりは止まって、持っていた実を足下に転がした。
「日の入りが近い?ううん、違う!化けヤシたちの影はある。どうして僕たちに影がないの……?光の中を進んで来たのに……影は出来るよね?」
ことりは自分の愚かさに眩暈を覚えた。
(どうして気付かなかったのかな、僕もアホだよね……)
今までガムシャラに逃げ回っていたので気付けなかった、それもあるが、一番の失念はそこじゃない。
常識という単語は、お盆の森に存在しないという根本的な考え方を忘れていた。
(僕たちの影は最初から無かった!今の今まで、ずっとだ!)
森へ入る前に、ことりは空を見上げたが、ところどころに雨雲が漂っていた。
青々と茂る若葉に、西に傾く午後の強い日差しが照り付けていた。
若葉を照らしていたのは、疑いなく《太陽》だった。
(夕暮れ前には戻って来られるよね?)そう踏んで傘の心配をしなかった。
スマホは忘れたが、木の葉が腕時計を付けていたので時間は分かる。
それに、牡丹餅を渡せば何の問題も生じない。
ことりは、最後にもう一度だけ、木の葉に確認したのだ。
「本当に僕の分もあるの?」
「おう、任せとけ!」
木の葉は右手でドンと胸を叩いて、自信に満ちた声で頷いた。
「うん、ありがとう!」
《太陽》を背にして森へ入った。
だから、化け樹たちが取り込む光も、本物の日光だと思い続けてきた。
ヒントは幾らでもあったのだ。
永久夏の言葉――俺にだけ光が来る、これが実力の差だ――
「あいつは、『光が来る』って言った……イヤな樹だと思ったけど、《太陽》じゃなくて『光』って言ったんだ《照る》じゃなくて『来る』って言ったんだ!」
ことりは腕組みをして俯くと、ぶつぶつ独り言を言い始めた。
「木の葉が怒鳴ったよね。『何が実力の差だ!』って……僕も、ただただイヤな樹だと感じたけど、実力?って、本当は……《何》を意味するの……?」
ことり自身も、こう言ったのだ――太陽は世界を照らしてるんだ――と。
「……木の葉と僕を照らすのが、本物の《太陽》なら影は出来る。僕たちが飛び入って来た『光』が、日光でなく、木漏れ日でもないとしたら……僕と木の葉にだけ『光が来ていない』とするなら……『光』は化け樹たちを当てている。そう仮定したら……僕たちが踏んで来た光は、化け樹たちが創り出したもので、僕たちが光に飛び移って逃げることを初めから分かってたんだ!僕たちは光の中を進む他ないから、影たちは、逃げ惑う羊を誘い込むようにして、僕たちを誘導してきた……全ては仕組まれていたんだ!実力って、これに関することじゃ……化け樹たちの最終目標は……誘導先にいるのは、赤目守りだ……今時分だと土地柄から考えて日没は七時前」
ことりは顔を上げると、木の葉の左腕を引っ掴んで、強引に引き寄せて立たせた。
「今、何時」
木の葉は不意の行動に驚いたが、急いで腕時計の短針に目を遣った。
「六時だ」
陰たちが二人を追い掛け始めてから、かれこれ四時間。
木の葉とことりは、普通では考えられないほど長い時間と距離を、全力疾走している。
「あと一時間たえて!森に射す『光』は《太陽》じゃない!人工の光だよ!誰かが、化け樹に光を当ててる!スポットライトと同じだよ!」