第36話 満月が昇る前に 2 「土神さま、お願いがあります」
龍絵とランは、玄関から入ってダイニングキッチンへ急いだ。
「あれ?早かったね。タエちゃんだけ?おばさんは?」
トイが、驚いて言った。
「おい、何でランが一緒なんだ」
秋人も驚いた。
五分前、秋人の母親と龍絵は、先に食べ終わってコンビニへ出掛けた。
龍絵が、アイスを食べたいと言ったからだ。
けれど、秋人とトイは食卓を囲んで、まだ箸をつけていなかった。
それぞれの器には、――銀色の四角い器は二つあった――マグロにイカに、炙りサーモン、海老にウニ、イクラ。タイとアナゴまで入っていた。
「わあ、すごい!八種類あるよ!あっ、玉子焼きも付いてる。お昼から御馳走だね!」
ランが覗き込んで、鼻をひくつかせた。
「ランちゃんも食べる?座っていいよ」
トイが気前よく言うと、龍絵が遮って話した。
「私たち、お寿司を持って、スシ・ポンドに戻らなきゃ。瀬奈ちゃんが、魔女ばあさんに食べられちゃうの」
龍絵から説明を受けて、魔女ばあさんが死んでいなかった事実は、二人を驚愕させたが、理由は納得した。
「そうか、殺せないのか。残念だ………」
心底悔しがるトイを小突いて、秋人が怒鳴った。
「小菊さんと静花さんは、おまえの為に諭したんだぞ!復讐なんて出来ねえんだよ!これで、悔いなく成仏できるだろ」
(アキくん!それを言っちゃダメだよ!)
龍絵は、胸の内で叫んで、ちらっとトイを見た。
トイは俯いて、微動だにしなかった。
(とーくんは、私たちと一緒にいたいんだから……)
ランが立ち上がって、前足で龍絵のスカートを、くいくい引っ張った。
「急ごうよぉ」
「あ、うん、そうだね。アキくん、とーくん、ごめんね。私たち帰るから、これ貰って行くね」
龍絵は、後ろ髪を引かれる思いだった。
それは、ランも同じだが、今は人質になっている瀬奈が心配でたまらなかった。
(これが最後だよね)
過去へ来たから知っている――帰る未来に、トイはいない。
器を重ねて両腕で抱えた。
「………とーくん、またね!」
トイが顔を上げると、ランが勢いをつけて、龍絵の頭上に飛び乗った。
龍絵とランが、無事に帰ったのを見届けても、二人は何も話さなかった。
器ごとお寿司を持って行かれて、秋人とトイは、昼食を失った。
部屋の空気は、どんよりと重かった。
トイと秋人は、無言で椅子をひくと、冷蔵庫と戸棚を漁った。
結果、鮭茶漬けと漬け物だけという、侘しい食卓になった。
「………僕、もうちょっと早くに、君たちと出会いたかったよ。そうしたら、毎日が楽しかっただろうね」
さびし気な笑みを浮かべて、トイが言った。
あったかい光が部屋に満ちると、秋人は、無理にでも笑顔をつくって見せた。
「………遅くないだろ。俺は、毎日すっげえ楽しかった。死んでも親友だからな。だから次は、父ちゃんと母ちゃんと来いよ。お盆の森で待ってる」
「……うん」
「またな」
「またね」
光が消えた後、龍絵と母親が戻るまで、秋人は、椅子に座ったまま項垂れていた。涙が頬を伝ったのは、龍絵を抱き締めた時だった。
「とーくん、帰ったんだね」
龍絵も、秋人をぎゅっと抱き締めた。
「お盆の森があって良かったね」
龍絵が涙声で言った。
(ランちゃんとタエちゃんが戻るまで、あたしも頑張ろう!)
瀬奈も、即席の作戦を練って実行した。
「魔女ばあさんは、お寿司を食べたら、あたしたちを、焼き魚にするつもりでしょ?」
「おや、勘の良い子だね。なんだい、刺身を所望かね?」
魔女ばあさんは、ギロリと瀬奈を見た。
「生きたまま切られるなんて、絶対に嫌!」
瀬奈は即座に否定した。
「でも、火はどうやって熾すの?」
魔女ばあさんは、右手を高く伸ばすと、手首を二、三度くるくる回して、木のステッキを取り出した。
「火より、自分の心配をしたらどうだい。わしは魔女だ、何でも出来るさ」
魔女ばあさんは、ステッキを六回振って……巨大なコンロ、大きな焼き網、沢山の炭と薪、そして新聞紙を何枚も、最後にマッチ箱を取り出した。
これで準備が整った。
「あとは、おまえたちだけさ。でっかい鯉にして、喰い尽してやるよ。ひっひっひっ、ああ楽しみだ!特におまえだよ、400%なんだからね」
魔女ばあさんの大きな口から、涎がぼとぼと流れ出た。
「いーひっひっひっ。お寿司を食べたら、今日のデザートは焼き鯉さ!」
満足げな顔で、にやにや笑う魔女ばあさんを見て、瀬奈が指摘した。
「やっぱり火がない。刺身で食べられちゃう!痛い死に方なんて、一番嫌!どうしよう、困ったわ。どうしたらいいの!?」
瀬奈は、おろおろしながら、大粒の涙をぽろぽろ零した。
それから、わざとらしく溜息を吐いて俯いた。
「おまえは、脳が無い子だね」
魔女ばあさんは、目を丸くして瀬奈を見た。
「マッチを擦らないで、どうやって火を熾すのさ」
魔女ばあさんは呆れ返って、瀬奈を頭の悪い子だと決めつけた。
「こんなバカなら、悪さもすまい。これから、わしが火を熾してみせるからね。ようく見といで。これだけアホな子を鯉にしたら、不味くて食えたものじゃない。少しは賢くおなり!」
魔女ばあさんは、ぶつくさ言いながら背を向けて、一心不乱に、新聞紙を丸め始めた。
瀬奈が顔をあげて、にやっとした。
龍絵からこっそり手渡された茶色い飴玉を一つ、ぽとりと地面に落とした。
すると、飴玉は地面で一度跳ねて、ポンッと小さな音をたてると、白い煙をもくもくと上げた。
「ぴゃいっ!」
幼子の声がして、煙の中から、土色の着物を着た男の子が出現した。
「おねえちゃんが、僕を呼んだの?」
年は五・六歳くらい、肩につく緑色の髪に赤毛が混じって、光が当たると銀色に輝いて見えた。
瀬奈は、急いで天代のチョコレートを差し出すと小声で言った。
「土神さま、お願いがあります」
「天代のチョコだ!僕にくれるの?」
土神の青い目が、ぱっと輝いた。
瀬奈は、魔女ばあさんの曲がった背をちらりと見遣って、口早に懇願した。
「はい差し上げます。ですから、どうぞ願いを叶えて下さい。魔女ばあさんが、火を熾せないようにして下さい!」
土神は、チョコレートを受け取って口に入れた。
もぐもぐ何度か口を動かして、ごっくんと飲みこむように咀嚼した。
それから徐に口を開いた。
「おいしかった~ごちそうさま。うん、いいよ。助けてあげる」




