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2日後、エヴァ・ミールが帰ってきたと知らせが届いた。
荷物持ちの男に手土産を持たせ山小屋へと向かう。来た時とは違い、白い山の峰がくっきり見えるほどの快晴である。
村長宅にて十分な歓待を受け、気力も回復し幾分晴れやかな気分になったポールは、放牧されている羊や牛の群れを横目に細い山道を登っていく。
しばらくすると、山小屋と聞いてはいたが案外しっかりした石造りの囲いがある家屋が見えてくる。アルという少年だろうか、小屋の前で作業している小さな人影が動いている。
ポールは顔の横の髪を指で整え、咳ばらいをしながら少年に近づいた。
「少年よ、ここにエヴァという娘がいるだろう、案内を……!」
ポールの言葉が最後まで続くことはなく、横からの衝撃でゴロゴロと野草の中に転がった。
「ホルガー!」
少年の叫びが響き、ポールは口の中に入った草を吐き出しながら振り返った。白い毛並みの犬が荷物持ちの男に威嚇の唸り声をあげている。怯えて後ずさる男に対し、姿勢を低く今にも飛び掛かかりそうな剣幕である。体当たりしてきたのは、この犬だ。
少年は一目散に小屋に駆け込んでいった。
「エヴァー!やばいよ!不審者だよ!」
犬に対し動けないポールと荷物持ちの男は、犬との睨み合いと早鐘を打つ心臓に冷や汗を流しながら、エヴァ・ミールの登場を願った。
「ホルガー」
小さな若い女の声が小屋から発せられた。
ホルガーと呼ばれた犬は身をひるがえし、素早く少年を守るように侍ったがこちらへの警戒は変わらない。
小屋の入り口でこちらを伺う、灰色のローブの女は短く、
「誰?」
とポールに誰何してきた。
来た時の晴れやかな気分とは一転、想像にしない手荒な邂逅にポールは従者としてのプライドもあり、怒声を発した。
「私は!ヒバリス領の主である、マルツィオ閣下の命を授けるために参じた従者ポールである!」
一張羅についた砂埃を払い、勢いよく立ち上がったポールは女に詰め寄る。が、また唸り始めたホルガーという犬に、
「ゔっ」
と、たたらを踏んで止まった。よく見れば、女の後ろにさらに大きい犬が居る。
「エヴァ・ミールというのはそなたか!?」
出鼻をくじかれた苛立ちを隠さずポールが問えば、女は頷いた。
エヴァ・ミールという女は村長の言う通り変わった娘であった。
村娘といえば、シンプルなワンピースに前掛け、頭巾といった出で立ちが一般的だ。しかしこの娘は修道士のような灰色のローブに、白い頭巾を目深にかぶっている。
白い滑らかな肌に若い娘ということは伺えるが、言葉は少なくこちらに対して胡乱な様子を隠そうとはしない。
先程の騒動もありポールは、威圧的な態度で用件を告げた。
「そなたが作るレースがついた婚礼用のべールを、マルツィオ閣下が所望しておられる。来年の夏までに用意し、使いの者に納めるのだ!」
鼻息荒いポールに、アルはエヴァの怯える様子を見て小さく「あーぁ」とため息をついた。
「ポールさん、ちょっと待ってて」
エヴァの手を引いて、アルは山小屋の中に入っていった。
無作法に取り残されたことにポールは苛立ち紛れに近くの小石を蹴った。
扉越しにわずかな話し声が聞こえるが、睨むホルガーという犬ともう一匹の茶の毛並みの大型犬に、聞き耳を立てることは難しいと、荷物持ちの男と近くの切り株に座って待つことにした。
今更ながらではあるが、従者といえばその領内において領主へのコネがある騎士の卵である。ポールは伯父が領主の騎士であるため、騎士になる資金が貯まるまで従者として仕えている。
領主の命を携えている使者であり、本来であればこのような応対をすれば血を見る罰を与えられても文句は言えないのだが、このエヴァ・ミールの代わりが存在しないため今のところの無礼は黙殺されている。
「おい、ヨーゼフ。シードルは持ってきているか?あれば出してくれ。」
ヨーゼフと呼ばれた荷運びの男は、小さな咳しながら荷物袋から革袋を取り出し、ポールに渡した。
話が終わったのか、ほどなくしてアルが小屋から出てきた。
「中で話をするから入ってくれって。」
ようやくかと鼻を鳴らしたポールは、ヨーゼフを外に残し山小屋の中でようやくいつもの平静を取り戻した。
山小屋の中は手狭ではあるが、小ざっぱりとしていて居心地が良さそうである。整理された生活用品が置かれ、食事の準備中であったのか火の入った窯の上にミルクのスープと置いてある。
ポールは丸太の椅子をすすめられ面食らったが、この家にそれ以外の椅子はなく、アルが壁に寄り掛かった姿をみて、素直に腰を下ろした。
「改めて、私は領主マルツィオ閣下に仕える従者ポールである。」
「エヴァです。その子はアル。」
ポールに頭を下げたアルは、しばらく聞き役に徹するようである。
「先ほどのお話ですが、単刀直入に言いますと無理です。」