21 豪炎と界
「焔、ここにいたのか」
道場に、スーツの男性が入ってきた。道場の清浄な空気が、更に清められたような気がする。
細身で長身のその男性は、まるで猛禽類の様な鋭い視線をしていたが、全体の物腰は柔らかい。どこかで会ったことがあるような気がするが、どこだったか。
「親父。今日は早かったんだな」
「ああ。ただいま。界くんのおかげで、早く仕事が終わったよ。獅子倉さん、申し訳なかった」
「いえいえ、旦那がお役に立ったならよかったです」
獅子倉? 界? 旦那?
まさか、美雨の旦那は獅子倉 界なのか!?
獅子倉 界は、サイガク1の登場キャラである。
猪突猛進を絵に描いたような脳筋キャラで、ライオンのようなボサボサの髪と、大きな身体が特徴だった。
俺はパーティーにほとんど入れたことはないが、主要キャラだけあってなかなか強いらしい。
パーティーに入れていなくても、イベントをおバカな言動で盛り上げてくれたので、人気も高かったキャラクターだ。
しかし、その印象が強いので、結婚して子供がいる姿が想像できない。
しかもその結婚相手が美雨だとは。
絶句していると、道場の入り口をくぐるようにして、大男が入ってきた。
サイガク時代より、更に一回り大きい。焔の父親も長身だが、それよりも大きい。鍛えられた腕や胸板も合わせて、横幅も大きい。まるで、小さな山がそこに鎮座しているかのような存在感がある。
「お父さーん!」
律ちゃんが界に飛びついた。
「おお。律。いい子にしてたか?」
「してたー」
ガシッと界にしがみついて、律ちゃんは嬉しそうだ。
「こらー、お母さんをのけものにするなー」
美雨も界へと突進して、ガシッとしがみつく。
というか、あれはほとんどタックルだな。俺だったら吹っ飛びそうな一撃を受けても、界は微動だにせず、ガハガハ笑っている。
獅子倉ファミリー、なんだかすごい存在感だ。
威厳のある焔の父親だが、獅子倉ファミリーの前では存在が霞んでいる。
しかし、慣れているのか焔もその父も全く気にしていなさそうだ。
「おや、はじめまして。焔の……友人、かな?」
友人のあたりで、鋭い視線で睨まれた気がする。
「は、はい、そうです。友人の河合です。初めまして!」
怖い。
「今日クラスメイトになったんだよな」
「ほう、今日? うちにまで連れてくるとは、早速、仲良くなったんだな」
言葉の端々に異様な迫力がある。
「ああ。とある事情でな。お、そうだ。親父、よかったら満月を鍛えてやってくれよ」
は? なんて? なんで?
「ふむ。今日は界くんのお陰で楽ができたからな。少し身体も動かしておくか」
やる気満々の焔の父上。
「いや、俺……僕は、そろそろお暇しようかと」
「まぁ、そう言うな。軽い運動だ」
ぎゃー!
焔の父親は、武道のミナヅキ流当主にして、砕魔師の裏ミナヅキ流の当主でもあるらしい。名は、水無月 豪炎。
その名を聞いて思い出した。彼も、サイガク1に登場するキャラであった。
ストーリーの最後に、体育館で邪心を集める術式を展開していた中にいた一人だ。サブキャラクターではあったが、イベントをこなせば仲間にすることも可能らしく、かなり強いキャラクターらしい。そういえば、最後のプレイ時に、次は仲間にしてみようかと考えていた。俺は仲間にしたことがなかったので知らなかったが、その実力の一端を今日見せつけられた。
何をされたかも分からず、畳に何度転がされたことか。痛みはほとんどなかったが、ボコボコにされすぎて心が痛い。
しばらく俺をもてあそんだ後、「いい運動ができた。焔と仲良くしてやってくれ」という言葉を残して豪炎さんは道場から出ていった。獅子倉ファミリーも、いつの間にかいなくなっていた。
「満月〜大丈夫か〜」
「大丈夫な、ワケ、ないだろ」
身体は動かさないと言われていたので俺は制服のままだったが、結局汗だくになってしまった。
「ま、いい運動になっただろ? 動けるようになったら送って行くよ」
その言葉を聞いて、俺はすぐに起き上がった。
散々転がされた割には身体に痛みはなかったし、疲労はあるが動けないほどではない。それよりも、焔と長時間二人きりだったと豪炎さんに思われる方が怖い。
「よし、帰ろう!」
「思ったより元気だな。親父が気にいるわけだ」
多分違うと思う。娘に近づく羽虫を牽制しただけのような気がする。
だが、確かに勉強にはなった。体の運びや砕魔力の練り方は洗練されていて、感動するほどだった。
本来なら、簡単に指導を受けることもできない立場の人のはずだ。ありがたい機会だったと思うことにしよう。
道場から外に出ると、すでに暗くなりはじめていた。スマホの時計を見ると、17時半を回っている。
寮の門限は20時なので、まだ門限破りにはならないだろう。
「今日は本当にありがとう。なんとか、サイガクでやっていく自信がついたよ」
空から特訓を勧められた時、断らなくてよかった。
「幽素の流れと、砕魔力の練り方をいきなり覚えられるとは、正直思ってなかった。今まで器が鍛えられてなかったのが不思議なくらいだよ、満月」
ぽんぽんと優しく肩を叩かれた。
「私もうかうかしてられないと思ったよ。明日からも頑張ろうぜ」
「うん、頑張ろう」
広い敷地ではあるが、しゃべりながら歩いているとすぐに門までたどり着いてしまった。
「ここでいいよ。今日はありがとう。本当に感謝してる」
少し名残惜しいが、あまり焔を連れ回すわけには行かない。彼女はまだ道着を着ているから、ここで別れるのがいいだろう。
「学校までの道は分かるか? 送っていくよ」
めちゃくちゃ面倒見が良い。だが、大丈夫だよ、とやんわり断る。あまり迷惑はかけたくないし、もし寮まで送ってもらったら、その後焔が一人でここまで戻ってくることになる。
彼女が強いのは十分理解したが、それでも夜道を一人で歩かせたくはなかった。
「分かった。気をつけて帰れよ。また、明日な!」
「うん、今日はありがとう。明日学校で」
焔に手を振って水無月邸を後にした。焔も手を振りかえしてくれた。
俺が元々いた世界からサイガク2の世界に入り込んで、まだ24時間も経っていない。そんな短時間で、元の世界の三十五年間ではついぞ体験したことのない、女子との別れ際のキュンキュンするやり取りを経験してしまった。
なんだか、この世界で楽しくやっていけそうだ。ふと、そんなことを思った。
帰りに、俺の新しい青春に祝杯でもあげるか〜と、うっかり酒を買いそうになったことは内緒にしておこう。




