12 焔
完全に混乱する俺を引っ張るようにして、太陽が体育館まで連れてきてくれた。途中で気がついたが、俺は太陽と同じ学ランを着ていた。
俺はしがないサラリーマンであり、学校は十年以上前に卒業した。スーツならともかく、学生服など、二十年近く袖を通していない。それがいつのまにか着せられていた。そもそも、学ランを着てベッドで寝ていたようだ。体育館へ行く道すがら聞いたところによると、太陽と初めて会ったのは昨晩のことらしい。軽く自己紹介をしただけらしいから、今朝の俺が変だとは思いつつ、さほど気にしていなさそうだった。どうも俺のことを、寝起きがとてつもなく悪いやつと思っていそうな雰囲気である。何度か、「目、覚めたか?」と聞かれた。
状況が全く把握できていない俺は、言われるがまま太陽について行っている。おっさんのはずが学生になっているなど困惑しかないが、壮大な実験とかドッキリとかかもしれないからな……。状況もわからないので、今は大人しくしていよう。
半ば現実逃避のようなことを考えていると、体育館の入り口にいくつかの行列ができているのが見えた。
「学生証を用意しておけよー」
入り口の横に立つジャージを着た男――おそらく教師だろう――が、そんなことを言っていた。体育館への入場に学生証の提示が必要らしい。面倒なことをするなと思いながら、ポケットを探ると、手帳が胸ポケットに入っていた。
取り出してみると、手のひらサイズの手帳にカバーが巻かれていて、表面には生徒手帳と箔押しされている。裏側にはポケットがついていて、その中にカードが入っている。それが学生証のようだ。
学生証には、顔写真と名前、所属クラスや生徒番号といった個人情報が刻まれている。
「どうした?」
俺は学生証の写真を見て固まってしまった。その間に列が進んだが、それに続かない俺に太陽が声をかけてきた。
「あ、いや、なんでもない」
とりあえず写真を見ないようにして、個人情報を確認する。
氏名 河合 満月
所属 高等部 1年 4組
生徒番号 41020080
俺の本名。所属は高等部。ドッキリや冗談にしては手が込み過ぎている。生徒手帳や学生証はしっかりしたもので、小道具として用意されたもののようには見えない。
次に、あえて見ないようにしていた、写真に目を向ける。
まず目に入るのは金色。髪の毛の色だ。しかも、髪型は坊主。トップにボリュームを残したオシャレな坊主ではなく、野球部員がしているような五分刈りの坊主。街中で見かけたら、それとなく距離を取りたい風貌をしている。学生証の写真には不釣り合いすぎて、脳が直視することを拒否する。
金髪坊主以外は、見慣れた自分の写真だった。しかしどこか幼さがある。
髪型と髪の色を含めたこの姿には、実は見覚えがあった。
俺は高校時代野球部に所属していた。弱小で地方大会の一回戦を突破できたら大金星というような高校であったが、野球部員はみな坊主にしていた。補欠であった俺も例外ではなく、高校の三年間は坊主で日々を過ごしていた。
もちろん金髪などという目立つ髪色ではなく、黒髪だった。
しかし、3年時の秋の文化祭での話だ。文化祭のステージで、ダンスを披露することになった。野球部を引退した3年の有志が集まり、受験勉強から逃避するようにダンスの練習をした。野球部では補欠だった俺だが、ダンスは何故かそこそこ踊れたので中心で踊ることになった。
そして当日。誰が持ってきたのか、髪を金色に染めるヘアスプレーで、野球部有志一同は金髪坊主集団と化したのであった。
その中でも、俺は中心で踊っていたことと、名前が満月だったこともあって、かなりの話題となってしまった。
卒業までの短い間ではあったが、「満月頭の満月くん」としてちょっとした人気者? になってしまったのだ。金髪坊主だったのは、文化祭の時だけだったのだが。
その時に撮った数枚の写真に写っている自分と、この学生証の写真の人物はよく似ている。
いや、認めよう。これは俺の写真だ。だが、こんな写真を撮った覚えはない。あの文化祭の時にも、学生証に印刷されるような写真を撮ったとは思えない。
そこで俺はとんでもないことに気がついた。
今日はまだ鏡を見ていないが、もしや……。
「太陽、鏡持ってる?」
後ろに立つ太陽を振り返って尋ねてみた。
「いや、持ってないけど?」
ダメか。スマホはあるが、今は取り出していい状況ではなさそうだ。
「ほら」
「ん?」
再び前を向くと眼前にカードサイズの鏡が差し出された。
「使うんだろ?」
「――ありがとう」
突然の申し出に驚きつつも、差し出された鏡をとっさに受け取ってしまった。差し出し主の女性に目を合わせて、礼を言う。
ゆったりとウェーブがかかった髪は、背中の半ばほどまでの長さ。基本的には黒だが、そのところどころに赤いメッシュが入っている。アーモンド型の目は知的で、どこかミステリアスな雰囲気を漂わせている。整った鼻筋や引き締まった口元とあわせて、ほとんどメイクはしていないようだが、華やかさがある。
だが、何より目立っているのはその服装だった。制服はブレザー。これは問題ない。ゲームでも、女子の制服は中等部はセーラー服、高等部はブレザーだった。
問題は、ブレザーの上に羽織っている光沢のあるジャンパーである。
その背中にはド派手な鳥が刺繍されている。その鳥は全身燃えるような朱色で、その翼は大きく羽ばたいている。長い尾羽がたなびいて、悠々と空を飛ぶ様子が表現されている。
いわゆるスカジャンというやつだ。彼女の髪の間から時折姿をのぞかせるそのド派手な鳥は、なぜか神聖ささえ感じさせる。
……どヤンキーじゃん! めちゃくちゃ怖そうな人から鏡を借りてしまった!
「どうした?」
「アッ、イエ」
俺はビビりながらも鏡を覗いた。そしてすぐ目を逸らす。
そこに映っていたのは、どう見ても金髪坊主の俺でした。本当にありがとうございます。
現実を見つめられない俺は、鏡を裏返し、ヤンキーのような装いをした女子に差し出した。
「ありがとう。助かった」
「もういいのか?」
「うん」
カード型の鏡の裏側にはポップなクマのステッカーが貼られていた。鋭い牙と爪を持ち、その爪と牙から赤い液体を滴らせているが、ポップに描かれているのでかわいさが前面に出ている。不気味かわいいというところか。人気のキャラなのだろうか。ちょっと癒される。
「お前――」
「水無月、順番来てるよ」
ヤンキー女子は何かを言いかけたが、太陽の言葉に「おお、さんきゅ」とつぶやくと、鏡を受け取り、学生証を提示して体育館の中へ入ってしまった。
俺の順番が来たので、学生証を提示する。教師は学生証を見たあと、俺の頭をチラリと見て通してくれた。
そりゃあそうだよなぁ、目立つもんなぁ、この頭。頭に触ってみると、懐かしい坊主の感触がした。ヘアスプレーでついた色なら少しは取れるかと思ったが、手には何もつかない。
髪が伸びるまでこの髪色で辛抱する必要がありそうだ。それか、黒く染めるか。
体育館の中にいた教師の誘導に従って、並べられたパイプ椅子に座る。クラス単位で分かれているようで、1年4組の場所は、体育館のはじだった。隣には太陽が座った。同じクラスのようだ。助かった。
少し前の席には、先ほどのヤンキー女子が座っている。赤い鳥のスカジャンが存在感を放っている。まるで背中の鳥に見つめられているような気がする。
「なぁ、太陽」
「ん?」
「彼女と知り合いなのか?」
「彼女? ああ、水無月か。僕もあいつも中等部からのエスカレーター組だからね」
「すごい目立つな」
「そうか? んー、僕たちは見慣れているから」
ニヤッと笑う太陽。
「今は、満月の方が目立ってるよ。よかったな」
水無月という少女は中学時代からあの格好なのか。気合が入っている。
というか、やはり俺は目立っているのか。全然良くねぇ……。
暗澹たる気持ちで入学式の開始を待つことになった。
こんな状況に陥る前、俺はサイガクをプレイしていた。いまいち記憶がハッキリしない部分もあるが、もう少しでエンディングという段階まで辿り着いていたはずだ。
しかし、その直前、陽にそっくりな影が現れた。バグかと思ったが、ゲームから抜けられず、影は色々と理解できないことを言い、目覚めるとこうなっていた。
まだゲームの中にいるのか、それとも夢か、あるいは現実か。せめてゲームか夢だと思いたい。しかし、俺はここが現実であると感じている。ゲームでは再現されていない感覚――例えば鼻がむずむずするとか、背中に冷や汗をかくとか――を先ほどから何度も味わっているし、視覚や聴覚、嗅覚から受け取る情報量がゲームとは段違いだ。
現実感のある夢だという可能性もあるが、今のところ一行に醒める気配はない。
ならば、どうしてそんなことになったかという疑問は置いておいて、ここが現実、しかもサイガクの世界観が元になっている世界だと考えた方がいいだろう。
はっきり言って、それは憧れのシチュエーションでもある。ゲームの世界に転移したい。そう考えたことは数えきれないくらいある。もし本当にゲームの世界に移転できているとしたら、夢が叶ったということになる。
周囲のざわつきが大きくなって、俺は顔を上げた。
男が一人、体育館のステージの中央に向かって歩いていた。手にはマイクを持っている。
間違いない、あれは……。
「はいはい、みんな静かにね」
歓声が上がった。
「まずはみなさん、入学おめでとう」
壇上では、男が話している。結局、男に向けられた歓声はしばらく続き、体育館全体が落ち着くのに数分かかった。
「私は理事長の新月湖太郎です。本来なら、挨拶とかは別の人間に任せたいところなのですが、たまには仕事をしろと言われてしまったので、ここに立ってます」
どっと笑いが起きる。体育館中の人が、彼の声を聞き逃すまいとしている。すごい人気だ。
隣の太陽が頭を抱えている。
そう、本人が名乗った通り、壇上の男は新月湖太郎だった。しかし、俺が知っている彼とは雰囲気が違う。
サイガクでは高校生だった湖太郎が、大人になっている。遠目だということもあってはっきりした年齢は分からないが、威厳や落ち着きがある。
もはや、ここがサイガクの世界であるということを疑えなくなっていた。
壇上で湖太郎が喋ると、生徒達が笑ったり驚いたりと反応をする。本来なら退屈なはずの偉い人の話が、大盛り上がりだ。
だが俺は全く聞いていなかった。
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ゲームの世界に転移してしまったことはまあいい。細かいことを考え始めたらキリがないが、そういったことを無視して、自分がゲームの世界に転移してしまったと納得することはできる。
だが、ゲームの世界に転移する話では、そのゲーム知識を活かして無双するのがテンプレのはずだ。
サイガク1の世界ならそれができた。ゲームはかなりやり込んでいるし、効率的な経験値稼ぎやプレイングはある程度頭に入っている。先の展開も分かるので、失敗はしないどころか最適な行動が取れたはずだ。目当てのヒロインの好感度をあげることも簡単だった。
それなのに。それなのに。
(なんでサイガク2の世界なんだよおぉぉぉぉ!)
俺はやりこんだゲームの続編の世界へと転移してしまったようだ。
マジで?




