1 最高の週末、始まりました
2024.02.03
第一話大幅に改訂しました。話の大筋は変化していません。
うおおおっしゃあ! 俺の時間が始まったぞ!
金曜日、定時を知らせるチャイムが鳴り響くと同時に、俺は心の中で叫んでいた。
しかし、チャイムを聞いても誰も帰ろうとはしない。
「河合満月上がりまーす」
俺は小さく呟きながら、勤怠表のに自分名前の横に貼られたマグネットを、「社内」から「退勤」へと変えた。
誰も帰ろうとしないので罪悪感が沸いてくるが、手持ちの仕事は終わったので、帰っても問題はない。
黒髪の短髪で中肉中背、顔も特筆するところのない俺は、この地味さゆえにすぐに人に紛れられる。
普段はもう少しイケメンになりたいと思っているが、今は目立たない自分がありがたい。
そそくさと逃げるように荷物を持って部署から離れようとすると、ちょうど課長が戻ってくるところに鉢合わせしてしまった。
「ん? 河合、上がるのか」
「はあ、お先に失礼します」
やる気のない返答になってしまった。
実際、残業などやる気は微塵もないのだが。
「たまには飲みでもどうだ?」
うぐ、恐れていた事態に。別に飲み会は嫌いではないが、今は勘弁して欲しかった。
「すみません、今日はちょっと」
「そうか。……河合もいい歳だしな。三連休は彼女と旅行にでも行くのか? いやすまん、今はこういうのがハラスメントになるんだったな」
盛大に勘違いされている気がする。
俺はアラフォーのおっさんだが、彼女もいなければ旅行に行く予定もない。
曖昧に笑うと、「楽しんでこいよ」と言い残して課長は部署へと戻っていった。
「ある意味壮大な旅行……っていうか冒険だし、ある意味彼女もいるし」
俺くらいの年齢ならば、結婚していてもおかしくないし、彼女がいてもおかしくない。課長はそう思っているのだろう。
突きつけられた現実の重みから逃れるように呟いてみた。
少しだけ勇気が湧いてくる。
そうだ、俺のバラ色の人生はここではないどこかにあるんだ!
旅行の計画はないが、三連休の予定は決まっている。
帰宅する前にスーパーに寄って、三日分の食料を買い込んだ。
ほとんどが軽食やゼリー飲料だ。手軽に食べられるものばかり。
これから俺は、三日間引きこもる。引きこもってゲーム三昧だ。
『砕魔学園にかける青春』
通称『サイガク』は、ゲーム好きの間では話題になったゲームだ。
無名のクリエイターが開発し、無名のゲームメーカーから発売されたため、初動こそ鈍かったが、じわじわと売れた、隠れた名作ゲームというのがサイガクの評価である。
ジャンルは、学園モノのRPG。
仲間たちと力を合わせて、魔と呼ばれる平和を脅かす存在から世界を守るために戦うゲームだ。
ストーリーは王道な展開で、なかなか楽しめる。
何よりキャラクターが生き生きとしていて魅力的で、それがサイガクの一番の売りであった。
次世代AI搭載とかいうことで、キャラクターがこちらの行動や発言に、自我があるかのように自然に応えてくれる。
ほとんどの生徒や先生、イベントで関わった人をパーティーに入れることができる。
その上、女性キャラは全てが攻略対象で個別エンドが存在するという、恋愛ゲーム顔負けのシステムだ。流石に、メインヒロインの五人以外は使い回しのパターンが多いのだが。
俺は、サイガク2が出たタイミングでセールになっていたサイガクを買ってプレイし、どはまりしてしまった。
サイガクを延々と遊んで、色々な女性キャラとエンディングを迎えていたら、十周目に突入してしまった。2も既に購入していて、そちらもプレイしたいのだが、サイガクが魅力的すぎてまだまだ楽しんでいたい。
彼女はサイガクの中にいます! と胸を張って言いたい。
とはいえ、この周回を最後に2をプレイし始めるつもりだった。
俺の三連休の予定は、サイガクをクリアしてサイガク2をプレイし始めることだったのである。
流石に課長には言えない。ゲームがしたいから飲み会を断ったなどと知られたら、いい顔はされないだろう。
デートもゲームもそんな変わらないだろと、俺自身は思っているが。
帰宅し、食事をし、シャワーを浴び、リラックスした体勢でVR機器をセットする。
もちろんトイレに行くことも忘れない。
一度ダイブすれば、ログアウトするのも面倒だからな。
今日の夜でサイガクはクリアできそうだ。
そのまま2をプレイするか。それとも、明日へのお楽しみにするか。
いや、まずはサイガクを心ゆくまで堪能しよう。
ワクワクが止まらない。
最高の週末が、こうして始まった。