みいこの願い
太陽が暑い。ついでだけど道路も熱い。背中が焼けるようだ。都会のヒートアイランド現象は深刻、とかニュースでは言ってたけど、田舎のアスファルトも十分熱いって。田舎だからって馬鹿にしちゃいけねーべ?
つうか、実際そんなことはどうでもいいんだ。重要なのは、今俺が頭からだらだら血を流し、「やっぱ夏はあついっぺ~!」とか季節感じまくってるほど意識を保ってないということだ。それにしても、まぢでアスファルトあちいなあ……。
「お、おおお、おいい! 大丈夫かああ! 小僧おお!」
おお、なんか俺を撥ねた軽トラから、スキンヘッド輝く爺さんが慌てて出てきた。眩しいねえ。
あ、ひとつ言わせてもらえば、俺もう十八! 小僧じゃないし! おい、そこ!「まだまだ十分小僧なんじゃ……」とか言うな! 思春期なんだよ! そういうワードに敏感に反応して、反抗したい時期なんだよ!
……こんなこと余裕げに言ってるけど、実は結構やばいのよこれが。岡崎誠也、ここで人生終了かーっ!? おお、何か見えてきたぞ……、あれは……、あの日俺を庇って銃撃を受けた戦友たち(嘘です)……――。
「……なんで、あなたがここにいるの?」
少女の透き通った声が、聞こえた―――なんてかっこいい描写は考えておらず、「あ、なんか聞こえるー」ぐらいの感想で目を覚ました俺は、驚くべき光景を目の前にする。
「え? なんかお空が赤いよ……?」
詳しく言うと「雲が赤い」なのだが、空の百パーセントを雲が覆ってるから、この表現でいいと思う。
「うん、ここ地獄だから……」
答えたのは俺の隣にいた少女。白い着物を着た、黒髪の純粋日本人で、なかなかかわいい顔をしているが、目が合ったとたん俯いてしまった。長い髪が井戸から出てくる人のように顔面にかかる。それが白い着物とマッチしてて、怖……。
……と、言うか、
「地獄ううぅぅぅううぅううぅううう!?」
「うん、地獄」
俺のでかいリアクションに対して、少女はクールに即答した。あ、よく見たら俺も白い着物着てる。
「え、地獄って、あの?」
「うん、あの」
でも、と少女はどこかを指差すと、
「ここはまだ、地獄への入り口なの。あの川を渡れば地獄」
少女の指差す先には、バカデカい川があった。あれが、「三途の川」というものだろうか。
「つうか、地獄って悪いことした人が来るんじゃないの……? はっ! まさか! ガキの頃、缶蹴りの鬼になった時、友達が缶を蹴っても遠くに飛ばないように缶の中に石を詰め込んだあの日の出来事が……!」
「……平和な人だね。違うよ。人間がどういう固定概念を持っているのかは置いといて。死んだ者は一度地獄に来て、そこで閻魔大王様に天国に逝けるか、地獄……ここに残るかを判決してもらうんだよ」
淡々と説明していく少女に、ただ頷いて聞くことしかできない俺。少女の言いたいことをまとめると、つまり、死んだやつは必ず一度地獄に墜ちるようです。おお、こわ。
「と、いうことはナニ? 君はあの川の先への案内人的な?」
「違う。私もついさっきここに来た」
「え、じゃあ何でそんなに詳しいの?」
俺がそう問うと、少女は今度は後ろを指差して、
「この人が教えてくれた」
俺は少女の後ろにおられるその誰かを、見上げ……ん? 見上げ?
「……わあ」
そこには、なんと、こりゃまたバカデカい鬼さんがおらすではないですか。あは。
「ぎゃああぁぁああぁあああ!?」
「大丈夫だよ。この人が向こう側の岸に連れて行ってくれるって」
少女は無垢な笑顔を浮かべた。まるで、無限の可能性をその瞳に秘めた少年少女のようだ。
「いやダメだよ!? 向こう側に行っちゃダメだよ!? そんな人が連れて行ってくれる場所に、夢と希望は満ち溢れてはいないよ!? 逆に吸い取られるよ!? と言うかまず人でもないし!」
「?」と不思議そうに俺を見つめる少女の手を握って、俺は逃げ出そうとした。地獄のどこに行けば鬼から逃げ切れるかなんて知らないけど。
「とにかくう、逃げるんだあああ!!」
あん時の爺さんみたいに語尾を延ばしながら、俺は走り出す。
が、なんとそれ以上のスピードで鬼が追っかけてきた。あ、鬼って足速かったんだ。
「うそだろおおおぉぉぉおお!?」
俺の心からの叫びをまっきり無視して、鬼の手が伸びてくる。ああ、捕まる――。
結局あっさりと捕まってしまった俺たちは、船に乗って三途の川を渡っている。
小さな船で、俺と少女は向かい合って座り、鬼は俺の後ろでぎいーこぎいーこ、と風流を感じさせるようにゆっくりオールを漕いでいる。こんなに広い川をこんなスピードで進んでいるのだから、向こう岸に着くまで当分時間がかかるだろう。
「はあ、ごめん。捕まっちまった……」
「ああ、うん。大丈夫。最初から逃げ切れるなんて思ってなかったもの」
「ああ、そうですか……」
がっくりとうな垂れる俺を見て、少女がクスッ、と笑う。その笑顔があまりにかわいかったもんだから、単純にも、俺は元気になってしまう。
「あ。あのさ、俺、岡崎誠也って言うんだけど、名前なんていうの?」
何気なく訊いてみたつもりだったが、対して少女は少し戸惑って、
「えと、あの、……み、みいこ」
「みいこちゃん? うわっ、すげー。実はさ、俺の飼ってた猫の名前もミイコなんだよ」
嘘ではない。本当に。別になんか共通点もってそっから話そうみたいな話術テクニックじゃあない。きっと。
「へ、へえ。すごいね……」
みいこは苦笑いを浮かべる。テンションがあがって、そんなことも気づかない俺は、どんどん喋り続けた。
それからいろんなことを話した。みいこの好きな食べ物、みいこの趣味、みいこの好きだった人(答えてくれなかったが)……、なんかミイコと同じようなとこが多かったのも嬉しかったし、なにより、みいこの笑顔を見るのが楽しかった。
「んでさ、ミイコはさ、俺とお風呂入るのが好きだったんだよ。おかしくない? 普通猫って水嫌いな……」
と、不意に船が止まった。岸に着いたようだ。鬼が「降りれ」とあごで指示を出す。多分、その動作には「もう逃げるなよ」という意味も含まれているんだろう。めっちゃ怖え……。
降りて、鬼の指示に従ってしばらく歩くと、中国のお城みたいな建物が見えてきた。
さらにそこに入って、奥へと進むと、大きな部屋に出た。
その部屋の中心に、豪華に飾られた台があって、その上に誰かが偉そうに座っている。多分、こいつが閻魔大王ってやつだろう。
「来たな」
石像のようにゴツいその口から、やっぱりゴツい声が響く。
「『オカザキセイヤ』と『ミイコ』、合っているな?」
「うい」
「はい」
俺たちが返事をすると、閻魔はデカい辞書みたいなものを取り出して、ページをぺらぺらとめくる。
「ううーむ。『オカザキセイヤ』……、仮死状態か。面倒臭いな」
閻魔が面倒臭いとか言っていいんかい! なんかイラッときたし!
つうか俺まだ仮死状態なのか。じゃあ生き返られる可能性アリ?
「『ミイコ』……っと。ん? 珍しいな。こっちも仮死状態か。面倒臭いこと尽くしだな」
「へえ、みいこも仮死状態なのか。やったじゃん。運が良ければ、俺たち生き返られるかもしれないし」
「う、うんっ」
みいこは本当に嬉しそうな顔を浮かべた。ああ、癒されるなあ。なんでこんな癒されるんだろう。
だが、その癒しの時間を突き崩すように、閻魔の声が突き刺すように響いた。
「だが、このままだと両方死ぬな」
俺もみいこも目を見開く。いや、耳を疑った。いま、なんて言った? まさかのまさかで「死ぬ」とおっしゃいましたでせうか?
おいおいおい、母国語がおかしくなるほど動揺しちまったよ。え? ナニ? シヌ? ヌシ? サカナ? 釣り人のアコガレ?
俺はみいこを見る。彼女も信じきれないようで、何度も瞬きしている。
「おい、今なんて……?」
「だから、今現世のお前たちの様子を見てみたが、両方もうすぐ死ぬだろう。特に『ミイコ』の方は時間の問題だ」
「な……!」
「……っ!」
みいこが崩れ落ちる。俺はしゃがんで、彼女の肩を持って姿勢を安定させる。
みいこはぶつぶつと何かを呟いている。
「せっかく、……ま、た二人で……、一緒に…………、と、思ったの、に」
「みいこ……」
なんてこった。俺はともかく、みいこが死ぬ? こんないい子が? 死んだ理由なんて知らないけど、きっと、こんな目に遭うようなやつじゃない筈なのに。
「『オカザキセイヤ』、人の心配している暇はないぞ。お前もかなり危ない状態だ」
閻魔の冷たい声が響く。
「くそっ! どうすれば……!」
俺は床を殴りつける。みいこは未だに何かを呟いている。
絶望するしかない俺たちに、閻魔の声がかかった。
「ひとつ、提案がある」
一瞬の沈黙。
先に口を開いたのは俺だ。
「……なに?」
閻魔は「ふむ」とあごに手を当てながら、
「今は互いに仮死状態。『ミイコ』の方は危篤だが、まあ、お互いの生命力を単純に足し算すれば生物一匹ぐらいが健康に生き返られる分にはなる」
「……なにが、言いたい?」
俺は、言葉をかみ締めるように閻魔に問う。その先の、想像通りの絶望が来ないように。
だが、不幸にも俺の予想は的中した。
「お前たち二人の片方の生命力を、もう片方に分けることができる。つまり、どちらかが死ねば、残された方が生き返るというわけだ」
「なあ――……っ!」
最悪だ。どちらかが死んで、どちらかが生きる。何を選んでもバッドエンド。最悪の筋書きだ。
だが、同時にその結論を俺は予想できていた。つまり、もう俺の中ではその答えはでてるってことだ。
「……じゃあ、俺がし」
「私が死にます!」
……。
……え? みいこ? なに、言ってんの?
思考が場面の展開に追いつかない俺を放っておいて、物語は続く。
「それで、いいんだな?」
「っ! はい!」
閻魔は辞書のような本にペンで何かを記した。瞬間、俺の体が光りだす。そのおかげで我に返った俺は、やっと状況を理解した。
そう、このままでは、みいこが完全に死んでしまう。
「――……っ! おい! みいこ!」
みいこは笑顔で俺を見る。
「何やってんだよ!? お前、死ぬんだぞ!?」
みいこは笑顔のまま、いいの、と呟いた。
「よくねーよ! 絶対俺が生きるより、お前が生きた方がいいんだよ!」
ちがうよ、とみいこは子供をなだめるような声で言った。
「私なんかが生きるより、誠也が生きた方が私が嬉しいの。だって誠也には生きていてほしい」
「なんで……!?」
「誠也はすごく優しいんだよ? 私が雨に濡れたときは、床が濡れるのなんか気にしないで、大きなバスタオルで拭いてくれた。私が怪我した時は、すぐに病院に連れて行って、ずっと看病してくれた」
「みいこ……?」
みいこは何を言っているんだ? そんなことをみいこにした覚えはないぞ。それとも、生きているときに会ったりしていたのか?
「一緒にお風呂に入るときは、その優しくて暖かい手で、私が溺れないようにしててくれた。だから、私は水を嫌いにならなかったんだよ?」
「みい……こ? お、前……もしかして」
みいこの目からはたくさんの涙が溢れていた。だが、それでも、みいこは笑っていた。
「私ね? 誠也が大好きなの。本当に、大好きなの。だから誠也が死ぬなんて考えられない。それだけは、絶対にいやなの」
その瞬間、俺はあることを悟った。
みいことミイコの共通点が多かったこと、そしてみいこの台詞――。
「みい、こ。みいこおお……」
俺はみいこを抱きしめた。暖かくて、優しくて、それはいつもと変わらない「彼女」だった。
みいこは嗚咽を抑えながら、続ける。
「あのね、あのね。今日、ごめんね? 車に轢かれようとした私を助けてくれたんだよね?」
「でも、助け切れなかった……!」
「ううん。誠也は悪くないの。誠也のおかげで、私は十分助かってた。でも、動物の病院が遠すぎたの……」
「……ごめん」
「違うの。謝らないで、誠也のせいじゃないよ。いきなり飛び出した私が悪かったの。……でね、誠也。今日ね、嬉しいことがあったの」
俺を包む光が強くなっていく。みいことのお別れが、近づいている。
「……何があったの?」
とても優しい口調で、俺は聞いた。
「今日ね。初めて、誠也と喋れたの。誠也は気づいてなかったけど、でもとても話しかけてくれて、しかもその話題が私のことなの。私すごく恥ずかしくって、でも、とても嬉しかった……」
「―――っ」
俺の涙腺が一気に緩む。別れたくない。ずっと、みいこと一緒にいたい。
だけど、時は残酷に、俺を包む光は輝きを増す。もうそろそろだ、と感覚が告げている。
「誠也っ。最後にね、言いたい事があるの」
「……なに、みいこ?」
俺は体を離し、みいこと向き合った。その顔には、大粒の涙で濡らし、赤みを帯びた頬が精一杯作った笑顔があった。
「私、心の底から誠也のこと大好き。……また、一緒にお風呂入りたかったよう……!」
「みいこ……!」
俺たちは強く抱きしめあった。泣き声と、嗚咽と、悲しみだけがあたりに響き渡った。
次の瞬間、すべての感覚がなくなった。一瞬にして、みいこが視界から消える。手から、みいこの暖かさが消える。
彼女の、存在が、遠くなっていく。
今まで本当にありがとう。とても幸せでした。
彼女の声が、響いた気がした。
俺は目を覚ました。
空は真っ白だった。ついでに壁も。ああ、病室か。
俺は起き上がって、体を動かしてみる。ナースコールを何度も押して、従業員が鬼でないことを確認する(何度も呼ばれてキレた婦長は鬼の如しだった)。
ここは地獄ではない。つまり、生き返ったのだ。
そうは思っても、何もすっきりしない。心も真っ白だ。
なんたって、俺の世界から、ある存在が消えたのだ。その穴が大きすぎて、今ノイローゼになってないことが奇跡なぐらいだ。
「……みいこ」
「にゃー」
何気なくその名を口にするが、返事が返ってくることはなく、自分の声だけが空しく響くだけだっ…………………………た?
「…………みいこー?」
「うにゃあー?」
……?
「……み、い、こー?」
「にゃ、にゃ、にゃ~?」
……?
………………!?
俺は恐る恐る振り返ってみる。
そこには、見慣れたネコ目ネコ科の動物がいた。
「えええええぇぇぇえぇえええぇええ!?」
「にゃにゃっ!?」
ミイコは俺の声に驚いて、ベッドから落ちてしまう。
「ああっ! ごめん! 驚かせちまったな!」
とりあえずミイコが生きていたということには素直に喜んでいいのだろうか? いや、もしかしてあれは夢だったのではないだろうか、みたいな事を考えながら床に落ちた彼女を抱き上げる。
「みにゃあー」
「ミイコ……だよな? うん。……あれ?」
よく見ると、ミイコの前足に紙が丁寧に結んである。
「なんだろうこれ……」
それを解いて、開いてみる。紙には万年筆でこう書いてあった。
閻魔大王、本日の一句、
猫には九生ある
(猫には九つの魂があり、九回死んだら、九回生き返る、という言い伝えがある)
「に゛ゃうっ!?」
「あ、ごめんごめん!」
ああ、危ない。ムカつきすぎて、ミイコを握り潰してしまうところだった。
ミイコが生きているのはこういうことか……。つうかあの閻魔、これを知ってて……! ぶっ殺す! 今度死んだときぶっ殺してやる! 閻魔大王が死ぬかどうかは知らないけどっ!
「にゃう~?」
ミイコはつぶらな瞳を俺に向ける。まあ、あれだ。結果オーライってやつだ。
俺は笑顔でミイコを見る。すると、それに応えるように、ミイコが俺に飛びついてきた。ははは、くすぐったいぞお、このやろおっ☆
うん。まずはお風呂入ろう。お風呂。
ベッドの上で猫と戯れながら、俺は思った。
なんか、こいつを思いっきりわしゃわしゃーっ! って洗ってやりたい気分なんだ。




