5話 桂瑶、戸惑う
「――――というのが、あたしが投獄されるまでに至った経緯だ。これで分かっただろう? あんたなんかと話をするのは有り得ない人間なんだ」
突き放したつもりだったのに。
そして、その言葉はあたしの本心だった。
連れ込まれた――というかほぼ誘拐されてやってきたのは、貴人さまの御屋敷。経緯をあたしの口で説明しろというので、手取り足取り説明し終わったところだった。
(あたしはどう考えても貴人さまなんかと話してもいい身分ではない。あの子たちのために、何よりも自分のために「賤しい人間」にならなければ生きていけなかったのだ。いつもお高く停まっている貴人さまとは本当に常識が違うのだ)
けれど、そんなあたしのことなんか無視するみたいに、目の前にいた貴人さまは肩を震わせ涙をこぼしていた。
(な、なんだこれは……)
「私たちが不甲斐ないばかりにこのような幼気な少女が無理をしなければならないなんて。智英、どうにかならないものだろうか」
「雲昌さま、一時の感情に流されて行動するのは雲昌さまらしくありませんよ。雲昌さまがお望みとあらば、小間使いである私は異を唱えることはありませんが」
「それもそうだ。五年十年と未来を見通して長期的に計画を練っていくほかあるまい」
従者の舌打ちが聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう。
この従者はどうやら孤児というものが嫌いらしい。加えて、主人である貴人さま――いや、雲昌と呼ぶべきこの男が孤児と関わっていくことも気に入らないらしい。
(こんな豪邸に住んでいるなんて、州公一族がどれほど豊かなのか見誤っていた……)
ありとあらゆるところに領内では滅多に見ることのない調度品の数々が飾られている。
門を潜り抜けてから馬車で本館まで向かうなど聞いたことも考えたこともない。
下賤の民を敷地内にいれたことがばれたらたまったものじゃないというおせっかいな従者の助言によって、あたしはかごの中にいただけだ。座布団が敷いてあるというのにころころと動くのが面白かった。
「あたしはいつになったら帰れるんだ? 牢にいる人間ではないから、と連れてこられたのだから、帰れるんだろう?」
でも、貴人さまが下賤の民の釈放ごときのために動くなんてことがあるだろうか。
雲昌と出会って崩れつつある貴人への価値観だが、当然、そんなに甘くはない。
雲昌から告げられたのは衝撃の事実だった。
「君は姪によく似ているんだよ」
は――――――――?
何を言っているんだ。
もしかしてあれか。
大好きな姪だが、姪とは結婚できないから、姪によく似たあたしと結婚してあんなことやそんなことを――ってやつか?
「変なことを考えているだろう! そんなんじゃない。私の姪は君のようにしたたかではなかった。散歩もままならず、すぐに熱を出す。病が流行れば真っ先に罹るし、療養先で悪化させてくることもあった。でも初めての姪でね。甥はたくさんいるのだけれど」
やっぱり、考えた通りだ。こいつは幼女趣味なのだ。
「病弱な姪だったけれど、なんとか十四までは持った。けれど、」
悲痛そうな表情を見ると察してしまう。
姪は死んだのだ。
「姪が死んだときはそれは悲しかったけれど、その代わりを求めるなんてことはなかった。しかし、状況が変わってしまった。どうしても姪が『必要』になってしまったのだ」
「どうしてだ?」
「ここから先は秘密事項だ。君はここで協力しなければ強制的に協力させる。協力的になるかどうかを選ばせてあげよう」
二者択一に見せかけた選択肢など提示されていない提案を桂瑶が飲まないという選択は有り得ない。
代わりに、桂瑶は一つ持ちかけた。
「子供たちを守ると誓ってください」
「ほう?」
「それが絶対条件です。強制的に協力させるといっても、あたしが死んでしまったら意味がないでしょう? 月に一度、調査もさせてください。それがわたしがあなたに絶対服従する唯一の条件です」
「なるほど――相分かった。調査という名目で子供たちに会いに行くぐらいのことは許そう。もちろん、全ての課題を突破で来たら、の話ではあるがな」
(課題、か……)
桂瑶の頭の中をよぎったのは桂風庵での日々だった。
桂瑶を娘のように愛してくれた桂風もよく、庵に集まる子供たちに課題を出していた。
一番最初に誰が提出できるかで毎日のように競っていた日々だ。
「では、話そう。事の発端は二か月前、とある勅命が出されたことに始まる」
「ちょ、勅命!? ちょっと待ってくれ。勅命って言ったら皇帝陛下の命令ってことだろう? なんで、こんな片田舎に勅命が絡んでくるんだ」
「最後まで話は聞くものだ」
従者からの素早い蹴りが入ってくる。
こいつ、本当にあたしのことが嫌いだな。しかし、言っていることは正しいのでいずまいを正して聞きなおす。
「勅命は各州公の一門に連なる未婚の女子を一人選出せよとのことだった」
「はあ」
「選出できなかった場合には州公の資格を剥奪し、身分を貴人から平人にするとのことだった。親戚一同にまで類が及ぶのだ。下手したら仕えている部下たちも平人になるかもしれない。この勅命を熟せないことの恐怖が理解できるかな?」
初めは女が好きなんだなぐらいにしか思わなかったけれど、出さなかっただけで身分を下げるだなんて。何よりも身分が大好きな貴人からすれば、下手したら命を奪われることよりも嫌なことではなかろうか。
「しかし、子氏に未婚の女子はいない。唯一の未婚の女子であった瑶春は死んでしまった」
「ようしゅん……姪の名前ですか?」
ああ、そうだと雲昌はうなずいた。
桂瑶と瑶春。
瑶の字が互いの名前に入っているのは何かの偶然だろう。名付けてくれた桂風老師はもういないのだ。調べようもない。
「唯一の未婚女子が死亡し、勅命を果たすことができないということは家が滅ぶということだ。しかし幸いなことに瑶春の死は明かしておらず、我々の目の前には瑶春そっくりの少女がいる。ということは――」
なるほど。あたしに瑶春の振りをさせよう、ということなのだろう。
桂風庵の子供たちの安否を握られている以上、あたしには拒否なんてできない。
「覚悟を決めたようだな。まあ、それはとてもいいことだ。半年も経たないうちに王城に連れて行かなければならないのだからな。死にたくないとねがうのならば、お前を我が家の姫、瑶春として迎え入れよう」