4話 桂瑶、捕まる
人の足浮き立つ年の瀬。
街は出店なりなんなりで、人の往来がせわしくなっていた。
北子州路向大府の郊外にある、襤褸家『佳風庵』の前には子供たちが座り込んで、地面に図を描いていた。
「おまえたち、おれたち貧民が生きていくためには盗みをするしかないんだ。これまでだってやってきただろ? おれのしっかりとした計画があれば、こんなの楽勝だ」
「で、でもさ……、もし失敗しちゃったら?」
「貧民で子供なんだ。殺されることはないだろうけど、一生、牢の中からでることはできないだろうな。できたとしても、おれたちのことなんて人間とも思っていない役人たちに奴隷として扱われるんだ。虫みたいにな」
手に止まっていた虫をぐしゃり、と少女は潰した。
「けどな、おれたちが虫になりたくない、生きたいっていうんなら、方法はある。盗みしかない。それがおれたちが人間のまま生きていく唯一の方法だ。分かったな?」
「うん……」
手を挙げた少女は納得しない様子でうなずいた。
虫をつぶした少女は地面に街の図を描いていた。南門から北門までの大通りには人が多く、羽帽子をかぶっているのは警吏なので近付かないこと、もし捕まったとしても絶対にここでのことをばらしてはいけないこと。
七、八人の貧民の子供たちは虫をつぶした桂瑶の言葉にしきりに頷く。
しかし、桂瑶よりも幼い、青馬はうなずかなかった。
「桂瑶たちのことを警吏に言ったら、お前達はどうなんのかな?」
「おまえも道ずれだ。それに、貧民の言葉を警吏が聞くと思っているのか? 街の人間もろくにおれたちとは話さないのに、信じると思うのか?」
脅すような口調の青馬を馬鹿にするように桂瑶は言った。
ここ――佳風庵に住む、というか住みついているのは、家主・桂風がいたころに、桂風が拾ってきた親のない孤児たちだった。
天涯孤独の貧民。なりあがることなど不可能。
そんな子供たちに家族を与えたのは桂風だった。
けれど、桂風が姿を消してから三年が経とうとしている。
今、桂風が何をしているか知ってい人間は誰もいない。
「桂風先生はよくできた人だったからおれたちに手を差し伸べてくれた。服の着方も知らなかったようなおれたちが、文字を描けるようになったのは桂風先生のおかげだろう? 先生の家が壊されるかもしれない、なんてことになったらおまえは大丈夫なのかよ」
桂瑶の指摘に青ざめていく青馬。
佳風庵が孤児や貧民のたまり場になっていて、犯罪の温床になっていると警吏たちが判断したら庵が焼かれることだってあるかもしれない。
青馬は先程の自分の発言を撤回すると、他の子供たちと同じように桂瑶の説明にうなずきはじめた。
桂瑶は説明を終えると、子供たちを連れて川へ向かった。
身なりが汚ければ孤児だと一瞬で晒してしまうことになる。
服が貧相なものでも農民の子かな、と思われる程度だが身なりが汚いのはいただけない。
子供たちを次々と洗っていくと自分の番になり、今度は子供たちが洗ってあげる、と手伝いの手を差し伸べてくる。
「ありがとう。でも、おれは一人でできるから大丈夫だ」
それをやんわりと断って、子供たちの目から少し離れるために岩場の陰に入る。
布で隠していた腹部があらわになり、そこには二本の火傷のあとがあった。
桂瑶は指で火傷の後に触れる。
「見守ってくださいよ」
いつしか、それは桂瑶のおまじないになっていた。
何かあったときやこれから戦に向かおう、そんな気概を興したいときには誰もいないところで、火傷の跡を触ると勇気が湧いていた。
――――あの時よりもひどくはない、と思えたから。
桂瑶たちは貧民の中でも、親のいない孤児という最下層に位置している。
親がいないということは、衣食住全てがないと言うことと同義語。そして、親がいないということは仕事に就くことは不可能、ということと同義語。
桂瑶たちの住む場所が農村であったなら、引く手あまただったかもしれない。
けれどここは、秧の最北に位置し、最も広大な領地を持つ北子州路向大府である。州都蓬白までは十里ほどで着く並台は、北子州全体を見渡してみれば都会の部類に入る。
都会で、貧民の子が、収入を得られる方法はたった一つ。
奴隷ととなることだ。
官吏や商いの店に行って、そのまんまの意味で奴隷として働けば、ご飯分の収入を得ることはできる。
けれどそこには、人としての尊厳も自由も存在しない。
だから、桂瑶たち貧民の出の子供たちは迫られるのだ。
生きながら死んだも同然の奴隷になるか、生きるための盗人になるか。
桂風は、三つ目の選択肢を求めて、「佳風庵」を作ったと桂瑶にもらしたことがあった。だから、もしかしたら桂風が第三の選択肢を持っているのかもしれないが、桂風は今、この場所にはいない。
そして、桂瑶は盗人になることを選んだ。
桂風がいなくなってから十の日が経たないうちに、商人の一団から麦を盗んだ。佳風庵に残っている道具を使ってそれなりのものを作った。
何度も、何度も、盗んだ。
自分が生きるために、他の――まだ盗むことが出来ないような子供たちを生きながらえさせるために何度も、何度も、盗んだ。
経験も実力もちゃんとある。
だから大丈夫だ。
そう自負していたはずなのに――――
「おい、そこ! 何をしている! まさか盗人か!? 子供風情がっ!」
「はなせ! はなせってば、! おら、うお」
反抗する間もなく、桂瑶は警吏に捕まった。
その様子を見ていた子供たちは、どうすることもできずに、足早に『佳風庵』に戻っていった。