2話 牢
「――――どうしたものか……」
北子州の州都から少し離れた場所にある道を走る馬車の中で、子雲昌は溜息をついていた。
雲昌が乗る馬車には子氏の飾り紋がつけられている。
つまり、貴人の乗る馬車であることを指し示していた。
雲昌が思い悩んでいるのは、二か月ほど前に出された勅令のことだった。
勅令とは皇帝から出された命令のことで、何を差し置いてでも命令に従わなければならない。
それが叶わないのであれば、謀反の罪に問われたとしても何も言えない。
命令に応じないと言うことは一族の破滅を意味する。
そしてそれは――命令に応じることが出来ない場合であっても同じ結末をたどる。
「いくら、瑞獣の御力を手に入れ、邪魔者だった臣下たち全員が消えたとはいえ、皇帝は何でもかんでもやりたいようにし過ぎではないか……」
不敬罪で投獄されますよ、と口うるさく諭す従者の智英は、これからの雲昌の一件のために先に移動している。
そのため、雲昌の言葉が聞かれることはない。
その後もぐちぐちと勅令に対する不満はつらつらと並べられ、とうとう目的地に到着した。
「雲昌様、馬車での移動、ご苦労様です。命じられた通り、牢獄の清掃と罪人たちの確認を行っていたのですが……」
智英が口ごもることにまゆをひそめる。
「何か不具合や問題でもあったのか?」
「問題、問題があるかと言えば、問題はないのですが……なんというか。雲昌様や一族の皆さまが求めている人がおるのです」
「私や一族のものが……?」
怪訝そうな表情がさらに深まる。
これ以上は口頭で説明しても理解できないということを悟った雲昌が案内させる。
智英が指さした牢にいたのは、少女だった。
――――まだ十も満たしていないような、あどけない少女だった。
もっとも、牢獄にいる罪人というだけあって、身なりはひどく汚れているが。
「このものが私たちの求めている人間だと? 馬鹿にするようなお前ではないはずだ。説明を……」
「っ」
眠っていたのだろうか。
壁にもたれていた少女がまぶたを開け、雲昌を見据える。
雲昌は息をのんだ。
――――まさか、これほどまでに姪に似た少女がいるとは思ってもみなかったからだ。
なんだこの男は。
「おい、お前はなんでこんなに……どういうことだ? お前は何の罪を犯してここにいる?」
目覚めると檻を挟んだ向こうに男が立っていた。
身なりのよい格好だ。おそらく貴人だろう。
けっ、つまらねえ。貴人の中でも特に上――しかも、州を代表する子氏にしか許されていないねずみ色の衣に身を纏っている。
州公一族に名を連ねる貴人さまなんだろう。
「お前は起きているのか? 話を返せないのか?」
「そのようなはずはありません。調書でもしっかりと受け答えが出来ている、と……いささか、口が乱暴なようですが」
貴人さまの横にいるのはそいつの従者であろう青髪の男だ。
いかにも忠誠心が高そうな瞳でこちらをきつくにらみつけてくるが、そんなのどうでもいい。
あたしを喋らせたいのか。
何で。
何でこんな奴のためなんかにあたしが口を開かなきゃいけない。
看守たちはいつものように汚らわしい物を見る目を送ってきている。
「名前は、何という? 年は? やはり、どのような罪を犯したのか説明してくれないか。このような幼子が牢屋に入れられるなど考えられたものではない。牢の中での生活は苦しくないか? 何か手助けできることがあるのなら」
「出て行ってくれ。ここれは貴人さまが来てもいいような場所じゃないんだ。あたしだって迷惑してる。今はとにかく、あんたなんかと話したい気分じゃない」
「……そうか。相分かった。また明日、出直すとしよう」
貴人さまはこんなに強い言葉をかけられたのは初めてだったのか、虚を吐いたような表情を浮かべて去っていった。
従者の青髪の男の瞳が尋常じゃないもので、身震いしそうになったがそれだけだ。
貴人さまが去った後は牢獄での退屈な時間が再開する。
貴人さまは次の日も、また次の日もあたしに会いに来た。
あたしに会いに来たのが本命かどうかは分からないが、あたし以外の牢にいる犯罪者たちとは話す気はないようで、看守の一人と少し話をするとすぐにあたしの独房までやってきた。
何日も何日も面会しに来た。
一番最初にしゃべってから、一度も言葉を返したことはなかった。
けれど、貴人さま――雲昌という、その貴人はいつも自分の話を一通りすると、満足そうな表情を浮かべて帰っていった。
雲昌があたしの独房にやってくるようになってひと月ほどが経過した頃にもなると、さすがのあたしも言葉を返すようになった。
「なぜ貴人さまが市井を練り歩こうと考える?」
「現実から抜け出したいっていう切実な思いもあるけれど、やっぱり民の生活を知りたいからかな。自分たちが身を粉にして管理している民たちが幸せだって知ったら、やりがいにも繋がるし」
「身を粉にして働くのは民たちの仕事だろう? 貴人たちは踏ん反りがえっているのが仕事ではないのか?」
「桂瑶は勘違いしてるね。貴人も官吏も仕事は民と皇帝のため。ふんぞり返っていたり、職務怠慢であったりするのはごく一部だよ」
「ほう? ではなぜ、あたしが盗みを働かなければならなかったと?」
この男は律儀な性格をしていて、州公一族であるならば可能であるのに、あたしがどうして牢につながれているのかを調べようとはしなかった。
代わりにあたしから聞きだそうとしてくる。
「それは私が桂瑶の罪について調べてもいい、ということか?」
「お前がこの州の現実を見たい、というのであれば思う存分調べるがいい。あたしがどうして牢につながっているのかも、なぜ逃げ出さないのかも、全部分かるはずだ」
「そうか……」
雲昌は神妙な面持ちで牢を去っていった。
従者の男――智英は、これ以上刺激するようなことを言うのであれば不慮の事故があるかもしれない、と脅してきた。
主人である雲昌が許しても智英は許してくれないようだ。
まあ、許してくれようとも、許してくれまいともどっちもいいが。
調べ始めたのであろう、雲昌が次に牢を訪れたのは一週間後のことだった。
憔悴しきっているというか、疲れているというか。
いつも余裕そうな笑みを浮かべる雲昌には珍しく、あたしから口を開いてしまった。
「大丈夫か?」
「私の心配は良い。桂瑶、君はすぐにでもここからでなければならない。君がこんな場所に捕らえられているのは不当だ」
だから、看守が鍵を持っているのか。
雲昌なりのやさしさであるのだろうが、あたしには不要なものだ。
開錠を止めさせると、雲昌に尋ねてみる。
「調べて、何が出てきた?」
「まず君は盗みを働いて捕まった。しかも、それが高級官僚であったために本来ならば鞭打ち十回で済むのが、投獄された。その後もここに入れられているのは看守長がその官僚にご機嫌をうかがっているからだ。早く出るんだ」
「そう急かすな。次は?」
「次……君が盗みを働いた理由だったか?」
「そうだ。調書には書かれていないと思うが、調べられたか?」
「義食署と義児署の怠慢だ。桂瑶のようなあぶれている孤児の数は、優に五百を越えているようだ。家の者たちに孤児を見つけては保護させているが、逃げ出したり、保護を拒否する孤児も多い」
「ほう」
「中には桂瑶のことを知っている子供もいた」
「余計なことを。それごときで何が分かったのだ? 己の怠慢か? 官吏たちの汚職か? お前が一番最初に言っていた言葉が世迷言の類だと理解したのか?」
「ああ。桂瑶のいう通りだ」
嫌いなはずだった。
この夢ばかりを映している――飢えも貧困も喧騒も、そのすべてから遠ざかっている雲昌の姿が憎かった。
けれど、今の雲昌の瞳には夢だけじゃない。
厳しい、どう頑張っても否定することのできない現実が映っていた。
この瞳は嫌いではないかもしれない。
「だから、謝らせてほしい。申し訳なかった。君がいた場所は地獄で劣悪なものであっただろう。戻りたいと思う方がおかしいのであろう。それを強要させてしまっていた。ゆえに――桂瑶をこれから我が屋敷に連行する」
は? 何を言っているんだこいつは。
「連れてけ」
「おおせのままに」
主人の命令で動き出した智英によってあたしは意識を失った。