3.決意も新たに
その後、皇帝陛下による開会宣言を経て、舞踏会は始まった。
皇后陛下は出産までもう少しということで、今回の舞踏会は大事をとって欠席している。
子どもは天からの恵みだが、皇族に関しては特にそういう認識が強いため、それにとやかくいう貴族はいないのだ。
なので最初に皇帝陛下に形式的なあいさつだけをした。
そしてケネスお兄様の言う通り、グレイスはリアムにあいさつをしに行くことになったのだ。なったのだが、むしろリアムのほうからこちらに来る。
「ケネス卿、久しぶりですね」
「お、お久しぶりです、クレスウェル卿」
「まあ、そのようにかしこまらないでください。……彼女が、卿が以前仰っていた妹君ですか?」
「は、はい。ほら、グレイス。クレスウェル卿にあいさつを」
「…………はい、お兄様」
グレイスは微笑みを貼り付けたまま、スカートの裾をつまみ淑女の礼をする。
「お初にお目にかかります、クレスウェル公爵閣下。私はグレイスと申します」
「初めまして。グレイス嬢と呼んでも構いませんか?」
「……クレスウェル公爵閣下の、お好きなようにお呼びください」
グレイスは微笑みと共にそう言う。
(そう。好きに呼んで構わないので、なるべく早く解放してください……)
作中一押しキャラが目の前にいるだけでも耐えがたいのに、声を聞いていると本当に正気を失いそうだった。
(作中では『透き通る水を思わせる、静かだが確かに胸を波紋のように揺らす声』って形容されていたけれど、本当にその通りなのですが……?)
イメージ通り、いやイメージ以上に完璧なリアム・クレスウェルが目の前におり、頭がぐるぐるしてきた。
(いやいやいや待て待て待て。こうやって私がリアム・クレスウェルに惹かれてしまうのは、ちゃんと理由があるからっ……小説内の設定に書いてあったから……だからこれは断じて、一目惚れでは、ない……!)
そうやって自分に何度も言い聞かせていたら、ケネスお兄様とリアムのやりとりが終わり、彼が別の貴族令息令嬢たちのところへ向かう。
一連のくだりを笑顔と共に乗り切ったグレイスは、改めて決意した。
(今後同じようなことになるようなら……全力で逃げましょう)
社交界デビュー初日。
グレイスはリアムの危険性を身を以て体験したのだった。
*
だがしかし。
それから数回、友人を作る意味も込めて夜会に参加するたびにリアムがいて。
そしてそのたびに向こうから話しかけてくるのは、一体全体どういうことなのだろうか。
社交界デビューの夜から一か月半。
どの夜会にもリアムがおりそのたびに理由をつけて逃げ続けてきたグレイスは、帰宅後げっそりとした顔でベッドにダイブした。せっかくのドレスがしわになってしまうが、今はそれを気にかけていられる余裕がない。
「せ、精神が、削れるぅ……っ」
もう、友人関係の構築とかどうでもよくなってきた。とにかく一刻も早く自領に引っ込み、領民と一緒に農業でもしたい。グレイスにはそれがお似合いだ。
(あーでも、それはそれで問題もあるか……)
前世を思い出したことで、グレイスの身には一つ変化が訪れた。
それは、魔力がなくなったこと。魔術が使えなくなったこと。
そして――魔力も魔術も受け付けない体になってしまったことだ。
初めて気づいたのは、記憶を思い出して数日寝込み、回復した日の夜だ。魔術でろうそくに火を灯して、小説の設定を書き込もうとしたときだった。
それから色々と実験をした結果、この三点が判明した。
唯一の利点を上げるのなら、他者からの魔術そのものを受けないので、魔術攻撃を防げる点だろうか。まあそれも物理攻撃は無理なので、逆に治癒魔術を受け付けないことになる。総合的に見ればマイナスだろう。
つまり今のグレイスは、この国の人間ならば大なり小なり使える魔術が使えない。
それが貴族ともなれば、使えて当たり前とされた。むしろ庶民よりも強力な魔術が使えるからこそ、貴族は貴族という立場でいられるのだ。自領を守る力になるのだから。
なのでこれは、万年貧困のターナー家にとって、青天の霹靂。予想だにしない事態だ。
もし医学を使って治るのだとしても、莫大なお金が必要になる。そしてただでさえ貴族社会で肩身の狭い思いをしている両親は、このことが公になれば非難されることだろう。
そしてグレイスも。家族に知られれば、今までのような愛情はもらえないかもしれない。
(……それは、とても怖いわ)
特に今のグレイスには、前世の。あの苦しかった頃の記憶がある。
物があっても、困窮していなくとも。
愛して欲しい人たちに愛してもらえない飢えだけは満たされない。
それを、彼女は痛いくらい知っていた。
だけれど、何事もなく領地に帰ってしまえば、いつかはばれることだ。グレイスは兄ほど魔術を使える人間ではなかったがそれでも。農作業で土を耕したり水をまいたりするときに、魔術を使っていたのだから。
グレイスは思わずため息をこぼした。
「……しっかりしなさい、私。そんなことよりも、今一番大切なのは、リアム・クレスウェルの婚約者にならないようにすることでしょう」
これだけは、絶対に取ってはいけない選択だ。だってこの道だけは、破滅しかないから。
一度目をつむり、開く。
そうすることで、自分の中にある不安に蓋をした。
気持ちを切り替えたグレイスは、仰向けに寝転がりながら今後の予定を確認する。
(ええっと……決まっているのは、来週に茶会が二回、再来週に夜会が一回ね。茶会にはご令嬢たちしか参加しないから、私が気を付けるべきなのは再来週の夜会のみ)
そしてそれがきっと、リアムに会う最後の機会となるだろう。
なのでこれさえ乗り切れば、グレイスの死亡フラグはへし折れるはず。
そう考えると、落ち込んでいた気持ちが盛り返してきた気がした。
「よおし! 再来週! 頑張るわ!!!」
『グレイスちゃん! もう夜遅いのだから、寝なさい!!!』
「……ごめんなさい、お母様! 寝ます!」
振り上げた拳を下ろしたグレイスはそう叫んでから、寝る支度を整え、いそいそとベッドにもぐりこんだのだった。