36.聖人公爵様の裏の顔を知るのは私だけ
そうして、二人はようやく婚約式を迎えることになった。
場所は、いつぞやのときと同じ中央教会の大聖堂。しかし、前回と比べ物にならないくらい装飾が凝っていて、あちこちに花や垂れ布といったものがかかっていた。
グレイスとリアムが着ている礼服も、一から仕立ててもらったものである。
リアムに関しては、純白に銀糸が織り込まれた礼服と、皇族の色である紫――その中でも薄めの上着を肩から流す形で羽織っている。髪も綺麗にまとめらえ、上着と同じ色のリボンでまとめられていた。
漂う気品と色気に、周りが圧倒されている。
一方のグレイスは、レースがふんだんに使われたミントグリーンのドレスを身にまとっている。
赤髪にもレースのリボンを一緒に編み込み、真珠の髪飾りでまとめた。首飾りもピアスも真珠で、気品がある。何よりその真珠はパープルパールと呼ばれる淡く紫色をまとった特別なパールなのだ。
これを身につけられるのは、皇族の伴侶のみとされている。
それよりも格が高いのが、皇后のみがつけられるパープルダイヤモンドだ。
つまりこの装飾品は、グレイスがリアムの伴侶である証、ということになる。それが、とても嬉しい。
何よりミントグリーンのドレスは、グレイスにとって母が似合うと選んでくれた色だった。そのため思い出深く、母の想いを身にまとっているような気持ちになった。
準備にこれだけ時間がかかったことからも分かるように、この式は婚約式にもかかわらずかなり盛大なものになっている。出席者もかなりの数いて、グレイスが見たことのない人たちもいた。
この壮大さからも分かるように、今回の式には皇帝陛下も一枚どころではなく何枚も噛んでいる。
宮廷内でも貴族たちを監視し、秩序を守る役割を負ったリアムの立場を盤石にするべく、盛大なものにしたそうだ。
またこれだけの婚約式を開けるのは、現在帝国内で皇族か一部の公爵家くらいなので、権威を見せつける意味もあるとか。
(まあだとしても、ターナー家の家格が低い上に貧乏なせいであまりいいふうに見られていないらしいけれど……)
だが仕方ない。グレイスは、ターナー家の令嬢だ。それは、誰がなんと言おうと変わらない。
また、この家から出たいなどと思ったことは一度もなかった。自慢の家族だからだ。
それもあり、グレイスは周囲からの視線を全力で跳ね返すつもりでここに立っていた。
婚約式の会場を大聖堂にしたのも、そのためだ。
グレイスはこの場で、神に誓う。
それは絶対な縛りとなり、決して解けることのない縁になるのだ。
婚約の段階でこれを行なったカップルたちの間に入ろうとする愚か者は、いない。それくらい、この国では神が重要視されているのだから。
両親や皇后、また学園のスプリングホリデー期間を活用して参加してくれたアリア、そして貴族たちに見守られる中、グレイスとリアムはあの日同様、コンラッドの前に立った。
講壇の上から見下ろしてくるコンラッドの目は、昔と変わらずとても優しい。
それを見ているだけで、心が落ち着くのが分かった。
「それでは、お二人とも。準備はよろしいですかな」
「はい、大司教様」
「どうぞ、進めてください」
あの日同様、問いかけてくるコンラッドに、グレイスとリアムも同じ言葉を紡いだ。
そしてリアムから、宣誓を始める。
「わたし、リアム・クレスウェルは、母なる神と父なる神の血を継ぐ者として、グレイス・ターナーと生涯切れることのない縁を結ぶことを、ここに誓います」
続いてグレイスも、宣誓をする。
そう、あの日、途中になってしまった宣誓を。
「私、グレイス・ターナーは、母なる神と父なる神を信仰する者として、リアム・クレスウェルと生涯切れることのない縁を結ぶことを――ここに、誓います」
瞬間、グレイスの体が淡く光った。
(……え?)
それはグレイスの心臓部分に集まるようにして収束し、ぐんぐん強い光を放っていく。
そして――
――パァンッ!!!
勢いよく弾けたそれは大聖堂中に広がり、まるで白雪のように光の欠片となって降り注いだ。
まったく予想していなかったことに、グレイスはほうけてしまう。
しかもその欠片はよくよく見ると白ではなく、淡く紫色をまとっているように見えた。高貴の色だ。
それを見たコンラッドは感嘆の息をつくと、感極まった様子で両手を上げる。
「皆様! これは神々が認められた皇族の伴侶にのみ起きる、紫園の祝福です! ターナー嬢がクレスウェル公爵閣下の伴侶に相応しいと、神々が認められました――!」
(え?)
そうあんぐりしているグレイスを置いて、場は盛り上がる。何より皆、目の前の現象が神の祝福であると、本当に信じているようだった。
その場に皇帝陛下と皇后殿下の婚約式に参加していた貴族たちが多かったのも、その理由の一つだろう。
先ほどの突き刺さるような視線とは一変、祝福に満ちた目と拍手で迎えられ、グレイスは呆然とする。
そんな中、どことなく悪戯っ子のような笑みを浮かべているリアムの姿が、グレイスの印象に残ったのだった――
*
婚約式も無事終わり、その後に開かれた祝宴も大成功に終わった。
しかし、グレイスの中ではまだ何も終わっていない。
ということでグレイスは疲れた体に鞭を打ち、リアムの私室にやってきていた。
ノックをしようとした瞬間、それより先に扉が開く。
「いらっしゃい、グレイス。くると思っていました」
そうどことなく嬉しそうな顔で言われたグレイスは、口をへの字に曲げた。
(この人、一体どこまで予想しているのかしら……)
余裕そうな態度に、少しムッとする気持ちもあるが、それでもグレイスは素直に部屋に入った。
中は暖炉で温められており、お茶の用意までできている。
リアムに促されるまま椅子に腰かけたグレイスは、ひざ掛けを受け取りながら口を開いた。
「それで。今日のあの不思議現象はなんです」
「やはり、あれが気になりましたか」
「当たり前です! というより、紫園の祝福とは?」
「一つずつ、説明します」
リアムはそう言ってから、くるりと指先を回す。するとポットが一人でに動き、カップにお茶を注いでいった。
手渡されたそれを一口含むと、甘いような香りと味が広がる。カモミールティーだ。寝る前だからと、気を遣ってくれたのだろうことはありありと分かった。
「まず。紫園の祝福というのは、皇族の伴侶が宣誓を行なうような婚約式を開いた際、神々が授けてくださると言われている祝福のことです」
「それで、その実態は」
「これはこれは、手厳しいですね……グレイスの考えている通り、皇族の伴侶は特別だということを周囲に見せるための、ちょっとした演出です」
あっさりと仕込みだということを白状した婚約者に、グレイスは頭が痛くなった。
「……私、そんなにも弱く見えますか。頼りなく見えますか」
思わずそう言えば、リアムがえ、という顔をする。
そして、首を振った。
「いえ。わたしの婚約者は、わたしよりもよっぽど強くて勇気のある女性です」
「ならなんでこんなことを」
「これが、恒例だからです」
どの皇族の伴侶も通る道なのだと。そのために、特殊な聖遺物が皇家にはあるのだと、リアムは言う。
「皇族の伴侶は、身分関係なく現れるのです。ですのでそのために、神々がこの方法を与えたのだとか」
「……本当ですか」
「はい。信じてください、グレイス……」
少し慌てた様子で、リアムが頷いた。
その様子がなんだか可愛らしくて、グレイスは留飲を下げる。
「……分かりました、信じます。ですが、次からは事前にお知らせください。自分だけのけ者にされるのは嫌ですし、リアム様が必要以上に気を遣ってくださったのかと考えたら、自分が情けなくなって嫌になりました」
「あ……も、申し訳ありません……」
どうやら、グレイスの機嫌を損ねてしまった理由をここで理解したようだ。
(ただ私も、ちょっと意固地になっちゃってたから……気をつけよう)
それでも、嫌だったのだ。グレイスばかりリアムに守られるのは。
だって今でさえ、こんなにも守られているのだから。
「……リアム様はいつもずるいです。なんでもそつなくこなしてしまって……」
現に、グレイスはいっぱいいっぱいだった祝宴での対応も、慣れた様子でこなしていた。
今だって、グレイスはこんなにもくたくたで疲れ切っているというのに、リアムは元気そうにしている。
子どもだと思われるかもしれないが、どんなに頑張っても差が縮まらないような気がして、グレイスはむくれた。
(こんなの、完全に八つ当たりだわ……)
本当につくづく愛嬌がないと、自分自身が嫌になる。
そう思い思わず俯いていると、くすくすと笑う声が聞こえた。
(……え?)
「あ、その、すみません……ですが……グレイスがそんな可愛らしいことを言うなんて、思っていなかったので……」
そう言うリアムは、未だに笑いをこらえるようにして口元を押さえている。しかし隠しきれない笑みが見えていて、グレイスはぽかんとしてしまった。
「……いや、今の言葉、可愛くなかったと思うのですが……」
「そうですか? わたしとしては、とても可愛かったです。というより、グレイスがわたしのことを考えてくれているのが、本当に嬉しくて……」
「……リアム様の喜ぶポイントって、結構ずれていますよね」
「そうでしょうか。わたしはどうしてこんなにもわたしの予想できないことしかしてこないのかと、いつもグレイスに対して思っています」
わたしはいつだって、あなたしか見ていないですよ。
そんな恥ずかしいことを、まったく照れる様子なく言えるのは、やはり才能の差なのだろうか。分からない。分からないが、その言葉に喜んでしまう自分が、今はなんだか悔しかった。
(本当に私、素直じゃない。素直じゃない、けれど……)
それでも、これだけは言わなくてはならない。
そう思ったグレイスは、膝を抱えながらとなりに座るリアムを見る。
「……私も、リアム様しか見ていません。だから。絶対に、独りで抱え込まないでください。あなたを救うのは、私なんですから」
――これはきっと、醜い独占欲だ。
しかしそれでも、リアムを救うのは自分でありたい、リアムのすべてが欲しいと思っている自分がいる。
だからこうして醜くも、八つ当たりをしているのだ。
そんな思いを込めてぶつけた言葉に、リアムは目を見開く。
それからくしゃりと顔を歪めたかと思うと、グレイスを抱き締めた。
「……わたしも、すくわれるならばグレイスがいいです」
それがたとえ破滅の道であっても。
救いだろうと巣食いだろうと、グレイスがいいと、リアムはそう言う。
瞬間、グレイスは自分が悪い女になった気がした。
(……そもそも、私、悪い女だったわね)
そう、小説のグレイスは悪女だ。
そしてその頃から、性質は何も変わっていない。ふとそう思った。
自分勝手で、わがまま。
そして何より、自分が考えたことをリアムならば実現してくれる、なんて思っている。そういう女だ。
つまり、これからリアムが闇堕ちするかどうかは、全てグレイスにかかっているのだろう。
(でも、リアムには――リアム様には、光の下が似合っているから)
だからグレイスはこれから何があっても、リアムの闇堕ちを防ぐ。
それが、グレイスの今の考えだ。
「ずっと一緒にいましょうね」
そう言って首元に腕を絡めてキスをねだれば、リアムはグレイスの言う通りにしてくれた。
重なる唇が甘くて、心地好い。
何より、この清らかな人の誰も知らない一面を知っているのが自分だけだと思うと、胸に優越感が生まれる。
そう、これを知っているのは私だけでいい。
だから。
――聖人公爵にラスボスの素質があることは、私だけの秘密なのです。
「聖人公爵様がラスボスだということを私だけが知っている」これにて完結です。
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