35.事件の後片付けと、過去の清算
それからグレイス殺害未遂事件、そして一連のリアムを皇帝に据えようとした一件は、ケイレブとマルコムを捕まえたことにより幕を閉じた。
しかしそれ以上に世を騒がせたのは、マルコムを捕まえ神力を使った強制自白により判明した、貴族たちの闇だった。
人身売買、横領、教会関係者との癒着、違法薬物の売買、などなど。とにかく山ほど。
あまりにも余罪がありすぎるため、宮廷内の官僚たちは今阿鼻叫喚、大騒動となっているそうだ。
それを聞いたグレイスは、冷や汗を流す。
(あら……小説内でアリアちゃんがマルコムを裁いたときは、これほどじゃなかった気がするのだけれど……それってもしかして、アリアちゃんが手を出す前に闇に葬り去られた件があった……ってことかしら……)
もしそれが事実なのであれば、アリアのためにこの一件を片付けるか迷ったグレイスの選択は、間違っていたことになる。
(確かにあの一件では、反逆罪は適用されていなかったから、強制自白なんていうことにはならなかった……それだけの違いでまさかここまで、大ごとになるなんて)
結果論でしかないが、今回暴いておいて改めてよかったとグレイスはほっと胸を撫で下ろした。
まあグレイスの手柄、なんていうことはなく、大体リアムと皇帝陛下によるものだが。
そしてこの一件で大きく変わったのは、リアムの立場だ。
――今まで極力宮廷内の業務に関わらないでいたリアムが、自ら進んでこの一件により暴かれた貴族たちの闇に介入していったのである。
リアムに目をつけられた貴族たちは軒並み真実を暴かれ、罪を背負うことになった。
もちろん罪の代償によって罪状は様々で、軽くて謹慎、領地の一部返上。重くて死刑といった具合だ。
また軽かったとしても当主の座から退くことを命じられ、次代にその座を譲った者たちは山ほどいた。この辺りは一気にやりすぎると民への影響が計り知れないということで徐々に進めていくらしいが、それでも十二分に多い当主交代になったのである。
この一件は後に『世紀の大神罰』と呼ばれ、帝国史に名を刻むこととなる。
何より貴族たちが恐れたのは、今まで決して政治介入しようとしなかったリアムが矢面に立ち、貴族たちを裁いていったことだ。
そもそも、大多数の貴族たちが、リアムにそのような手腕があるとは思っていなかったのだ。
だからこんなにも優秀でそつなく物事をこなしていく姿に、これは利用できるような人物ではないと判断したのだろう。今までつきまとっていた貴族たちがあっという間にいなくなったという。
そしてそのおかげで、リアムは気軽に兄を含めた家族たちに会いに行けるようになった。
「こんなことになるのであれば、早々に行動しておくべきでしたね」
とは、リアム本人からの言葉である。
だからか。リアムは貴族たちの間で『死神公爵』として畏れられるようになり。
その一方で、国民からはますます『聖人公爵』として尊ばれるようになったとか――
そんなこんなと、色々なことがあり。
グレイスとリアムの婚約発表は結局、『世紀の大神罰』から七か月ほど経った春に開かれることとなった。
(こんな形でつじつまを合わせてこなくていいのに……)
グレイスが思わずそう神様に苦情を言うくらいに、この数ヶ月は大変だったのだ。
目が回る忙しさ、というのはこういうことを指すのだろう。正直なところ、あまり記憶がない。
リアムに関してはとにかく、貴族たちと宮廷、教会含めた者たちの処罰、そして人事変更など、頭がおかしいのではないか? という量の業務をこなした。
何十人分の仕事量か分からないものをさわやかな笑顔とともにこなしていくその姿に、宮廷官僚たちはリアムのことを『天使の皮を被った仕事の鬼』と密かに呼ぶようになったとか。もちろんグレイスが知っているくらいなので、リアムにはバレバレである。
リアムが貴族と宮廷、教会の膿出しに勤しむその一方で、グレイスも大変だった。
主に大変だったのは、クレスウェル家が後ろ盾となり支援することにいつの間にかなっていた、アリア関係の手続きである。
(いや、確かにリアムがアリアちゃんに目をかけてくれたらいいな、とか思っていましたが、まさかここまでするなんて思わないじゃない!?)
しかも、グレイスがいないときに話を進めるのはやめて欲しい。
そう文句を言いつつも、グレイスはとにかく頑張った。
というより、神力の勉強をするよりも手続き関係や事務を行なうほうが意外と楽だったかもしれない。
それは間違いなく、家が貧乏すぎて母から貴族の夫人たちが行なうことの一部を任されたことがあったから。そして、前世で事務をやっていたからだろう。
またリアムだけでなくクレスウェル邸の執事ことロイドに手伝ってもらい、なんとかアリアの家庭教師や入学、その他諸々の手配を済ませた頃には、すっかり秋になり。
それから自分たちの婚約式関係の準備を進めていたら、冬を過ぎあっという間に春になっていた。
――そして、婚約式まで残り一週間ほどのある日。
グレイスは今、窮地に立たされていた。
それはなぜか。簡単だ。
婚約式のためにクレスウェル邸にやってきた家族たちに、自身の体質のことを話そうとしているから。
それもありここ連日はずっと悩んでおり、昨日は悪夢なんて見てしまった。それもあり、寝不足気味だった。
それでも家族の手前、表面上和やかな雰囲気を保っていたつもりのグレイスだったが、心臓はバックバックとうるさく鳴っている。
(……本当に、どうしましょう)
どのようにして話を切り出したらいいのか、さっぱり分からない。
何より、このめでたい席の前で家族たちに存在を否定されたら、なんて考えると気が気でなかった。
(分かってる、ずっと手紙のやりとりもしてたし、私のことを何より心配してくれている、すごく優しい人たちだって。でも)
その目がもし、嫌悪に歪んだら。
そう思うと、喉奥が張り付いて上手く声を出せなくなる。
となりで寄り添ってくれているリアムが気づかわしげにグレイスに視線を向けていたが、この件は自分で言いたかった。
(じゃないと……リアムのとなりに、胸を張って立てなくなるから)
なんせリアムが婚約式までに、マルコム関係で発覚した貴族や教会側の不正を暴いたのは、グレイスのため。同時に、家族との仲を修復するためだった。
その甲斐あって、リアムは隠れて家族に会うことがなくなり、素の笑顔を見せる気概が増えていったのだ。
そんなリアムのとなりに立つなら、グレイスとてこの体質問題を、自分自身の口で家族に伝えるべきだろう。何より、この件を言うなら今しかないのだから。
(それにしたって、私、どうしてこんなにもこの話を先延ばしにしたのよ……いくら忙しかったからってバカじゃないの!? 時間が経てば経つほど、言いにくくなるなんて知ってたのに! 前世の記憶があっても、こういうところはダメダメなままだわ……)
それでも言い出せず、心の中で自分を罵倒していたときだった。
「……グレイスちゃん、どうかしたのかしら。顔色が悪いわよ?」
「あ……」
そう、ミラベルお母様が心配してくれた。
すると、ジョセフお父様も頷く。
「言われてみれば……グレイス、どうかしたのかい?」
「えっと、その……」
「……その顔は、何か言いたいことがあるときの顔じゃないか? グレイス」
最終的にはケネスお兄様が、グレイスの状況をぴたりと言い当てた。
(……言うなら、今しかない)
そう思ったグレイスは、勢いよく口を開く。
「あ、あのね……婚約式前に、みんなに、言いたいことがあるの」
「あら、どうしたの、グレイスちゃん」
「……私、今、魔術が使えないの」
そう言えば、今まで笑顔だった三人がどういうことなのか、と目を丸くする。
グレイスはそのまま、リアムと会う前に発症したこと、そのせいで魔術を弾く体質になってしまったこと。魔術が使えないことで迫害されないために、神術を学んだこと。そして、それを治すために、リアムが今も尽力してくれていることを話した。
話せば話すほど、三人の顔が強張っていくのが分かる。
それにつれて、グレイスはどんどん顔を俯かせていった。とてもではないが、正面を見て言えない。怖い、と体が震えた。
そうしてすべてを話し終えた頃、ミラベルお母様が口を開く。
「……グレイスちゃん」
「は、は、い」
「よく頑張ったわ」
え、という言葉は、声にならずに消える。
思わず顔を上げれば、今にも泣きそうな顔をしたミラベルお母様と目が合った。
「ああ、ミラベルの言う通りだ。よく頑張ったね。さすが、わたしの娘だ」
「おとう、さ、ま」
「普通なら、そんな状態になれば冷静ではいられない。それをめげずに、自分にできることをやった。それは誇るべきことだ」
優しい顔でそう言われたからだろうか。じわりと涙がにじんできた。
それでもなんとか泣くまい、と口を引き絞ったとき、ケネスお兄様が口を開く。
「グレイス、おいで」
「っ!」
「よく頑張った!!」
ケネスお兄様からの言葉に導かれるように、グレイスは立ち上がり手を伸ばす。
腕を広げたケネスお兄様は、胸に飛び込んできたグレイスのことをめいっぱい抱き締めてくれた。
それにつられて、父だけでなく母もグレイスに抱き着く。
家族の温かさに、グレイスの涙腺はとうとう崩壊した。
ぼろぼろと子どものように泣きじゃくるグレイスに釣られて、ミラベルお母様が泣く。
そんな二人を支えながら、抱き締めるジョセフお父様とケネスお兄様。
それだけで、グレイスの悩みはあっという間に溶けて消えた。
そのあと少し怒られたが、それでも。グレイスが懸念していたようなことはなく、家族の温かさは変わらなかった。
『だから言ったでしょう?』
そうしてふと視界に入ったリアムが、そう言いたげな目でグレイスのことを見ていて。
グレイスはその日ようやく、笑みを浮かべることができたのだった。




