34.茶番劇という名の終結
優雅に歩いてくるシャルを恭しく抱き上げ回収してから、グレイス・ターナーは婚約式という名のリアム・クレスウェルが作った作戦結果を眺めていた。
その視線の先には、床に無様に倒れ込み、真っ青な顔をしたケイレブがいる。背後にいるマルコムにもちらりと視線を向けたが、彼も愕然とした表情をしていた。
それはそうだろう。まさかこんな質素極まりない婚約式に、皇帝が神官に扮しているとは思うまい。
しかしさらに残念なのは、この場にいる神官が全員、セオドアが用意した私兵だという点だろう。
つまり、四面楚歌。絶体絶命の大ピンチ、というわけだ。
それもそのはず。今回の婚約式は、グレイスたち……さらに詳しく言うのであれば、グレイスの案をリアムが上手く組み込み、絶対的な協力者たちを使ってリアムが作り上げた、犯人をあぶり出すための策略だったのだから。
(というよりこれ、完全に茶番劇よね……)
むしろ、茶番劇以外の何物でもない。
同時に、グレイスは改めて、リアムの能力の高さに舌を巻いた。
(絶対に、敵には回したくない……)
そもそものことの発端は、六日前。
クレスウェル邸にてコンラッドとアリアが集まった際に、グレイスが言った一言にあった。
「あの、一つ提案があるのですが……私とリアム様が教会で婚約式を開く、というのはどうでしょうか?」
その一言に、三人は驚いた顔を見せた。
一番に反応を見せたのは、リアムだ。
「グレイス。それはつまり、宣誓を行なう……という意味でしょうか?」
「はい」
グレイスは頷いた。
すると、リアムが渋い顔をする。
「……グレイス。教会で神の名の下に宣誓をすることの意味は、分かっていますか」
「もちろんです」
むしろそうまでして止められるのか、とグレイスは少しむっとした。
(それに、わたしだって別に考えなしでこの案を出したんじゃないし)
「この案を使えば確実に、デヴィート卿とフィッツ司教は、私を殺そうとするはずです。そして上手く誘導ができれば、宣誓を行なう大聖堂で行動を起こすことだって促せるかと」
「……グレイスさん、その自信はいったいどこからくるんですか……」
アリアに思わず呆れられたが、グレイスはあっけらかんと言った。
「私にはとんと見当がつかないけれど……リアム様がいらっしゃるもの。きっと上手いようにしてくださるわ」
「上手いようにって……」
「できますよね? リアム様」
そう問いかけると、リアムは少し考える素振りを見せてから、「まあ、できますが……」と頷く。
できるんだ、とでも言いたげな顔をしたアリアが、なんとも言えず印象的だった。
しかしそれでも、リアムの表情は優れない。
「グレイス、それは……」
「……グレイスさんは、死にかけたという自覚がないのですか?」
「……まだ回復もされておりませぬし、今は安静にされていたほうが……」
三者三様の反応だが、やめておけという意見は一致しているようだ。
三人としては、グレイスが死にかけたというのに、また死にかけそうなことをしようとしている、というのが駄目な点のようだ。
しかしグレイスはあっけらかんと言った。
「ですがこの作戦ですと、直ぐそばには必ずリアム様がおります。これほどまでに安全な場所は、ないと思いませんか?」
そう。この作戦の一番のポイントは、グレイスが確実にリアムのそばにいる、という点に尽きる。
言ってはなんだが、リアムがすぐそばにいてグレイスが死にかけるということは、ほぼほぼあり得ないのだ。これはリアムに対しての信頼はもちろんだが、彼がそんなところで手抜かりをするタイプではない、という点もある。
その上で、この案であれば現行犯逮捕が可能だし、何より問題を起こすのが大聖堂という、密室に近い場所に限定できるので、事を大ごとにしなくて済むのだ。
正直、一石二鳥どころではない利益がある。それをやらない手はない。
――というわけで、この案は無事取り入れられてリアムの手で補強され、形となる。
そして今に至る、というわけだった。
ケイレブが哀れにも私兵たちの手によって拘束されたのを見ながら、グレイスは思った。
(まあ何が恐ろしいって、リアムがケイレブの短絡的かつ直情的な性格を考慮していただけでなく、マルコムの性格をも把握した上で、この作戦を考え付いたってところよね……)
マルコムは慎重かつ狡猾な司教だ。
しかし代わりに、突発的な事態への対処能力は著しく低い。特にその事態の優先度が高ければ高いほど、作戦に緻密さがなくなり、穴が大きくなる……というのが、リアムの評価だった。
事実、今回コンラッドが「明日、こっそり婚約式を開く」と伝えてからグレイス殺害を企てるまでに、大きなやらかしを三つほど犯している。
一つ目は、マルコムにセオドアがつけた私兵が張り付いていたという点。これにより、マルコムとケイレブの密会場所が判明し、さらには彼らに接点があった、という裏付けが取れた。
二つ目は、ケイレブに殺害を押し付けるためにマルコムが事前に教会内へとケイレブを手引きした点だ。
しかも神官の服まで与えているのだから、内通者がいたということは明らかである。
そして三つ目。それは――今回の婚約式が開かれることを伝えていた教会関係者は、コンラッドとアリア、マルコムだけだった、という点である。
つまり、ケイレブに情報を伝えることができたのは、マルコムだけなのだ。
ケイレブの罪状が明らかである以上、これから行われる茶番劇は、マルコムのためである。
(言い逃れはできないのよね~)
その証拠に、ケイレブの姿は既にリアムの眼中にない。
彼はマルコムのほうを向き直ると、にこりと笑った。
「さて、フィッツ司教。覚悟はできていらっしゃいますか?」
「か、覚悟とは、いったいどういう……」
「……察しが悪いようですので、ちゃんと伝えさせていただきます。つまり……既にあなたが関与しているということは分かっています、ということです。ああ、自白でもなさったほうが、罪が軽くなるかもしれませんね」
暗に「死刑ではなく終身刑くらいにはなるかもしれませんね」と言うリアム。
一方のマルコムは、それを誘導尋問だと捉えたらしい。
「なんのことでしょう……」
そう言ってしらばっくれた。
(さっすが、リアムの本質を理解しないまま、利用しようとしただけのことはあるわね……)
リアム・クレスウェルは、自身の大切なものを傷つけた人間に、決して容赦しない。
だから今回の発言は正真正銘、最終通達――最後の慈悲だったのに。
「……そうですか」
リアムは笑みのままそう言うと、次の瞬間無表情になる。
そして、底冷えした声で告げた。
「マルコム・フィッツ司教。あなたがわたしの伯父と結託し、グレイスのことを殺害しようとしたことはもう分かっています」
「な、何を証拠に……」
「昨日の夜、お出かけになられましたね。まさか、誰もついていないとお思いですか?」
「……え……」
「さらに言うのであれば、この婚約式そのものがわたしたちが仕掛けたものだということは、お気づきでしょうか」
だんだんとマルコムの顔が青くなっていくのを、グレイスはリアムのとなりで見ていた。
何より恐ろしいのは、リアムの口調が疑問形ではなくなってきたことである。
(あ、そろそろ何かくる気がするわ……それも、マルコムのプライドをズタズタにするやつが)
その予想違わず。
リアムが片手を挙げるのが見えた。
すると、大聖堂の扉のそばにいた私兵が扉を開いた。そして一人の少女が入ってくる。
――アリアだった。
「アリアさん……?」
そうマルコムに呼ばれたアリアだったが、まったく反応せず、そのまますたすたと歩いてくる。そして抱えていた書類をリアムに手渡した。
「クレスウェル公爵閣下。こちら、フィッツ司教が隠し持っていた書類です。貴族たちの癒着や人身売買に関わっていたことを裏付ける証拠になると思います」
「ア、アリア!?」
「うるさいです、静かにしてくれませんか? この下種野郎」
アリアから侮蔑の眼差しを向けられたマルコムは、完全に放心状態になっていた。
(そりゃそうでしょうね……だって今までずっと、下に見ていたんですもの)
そして下に見ていたからこそ、マルコムはアリアが唐突に自身にすり寄ってきたというのに、違和感すら覚えず、彼女を自身の手中に引き入れたのだ。
――マルコム・フィッツの性格を語る上で、もう一つ重要なことがある。
それは、女性――特に少女を下に見ているという点だ。
でなければ、少女たちを懐柔した挙句、売り飛ばして貴族たちの情報を得るために利用する、なんていうおぞましいことは考えない。
マルコムにとって少女たちは、家畜やペットと同じ。物なのだ。
小説内ではロリコン司教とされていたのは、少女好きという部分が切り抜かれていたかららしい。
まあ、これはどうでもいいことである。
とにもかくにも、マルコムはようやく、アリアが意図的に自身に近づいたということを悟ったらしい。愕然としていたが、少しして「なぜ」と口にした。
「アリアにも、リボンはつけていたはず……それなのになぜ、君は私に魅了されていない……?」
「……さすがにここまで愚かだとは思いませんでした。簡単ですよ。わたし、神力耐性が強いんです。なのであなたみたいな人が扱う神力なんて、効かないんですよ」
その言葉を聞いて、グレイスはそっと目を逸らした。
(それはきっと、アリアちゃんが皇太子殿下の『運命の伴侶』だから……)
そしてどうやら『運命の伴侶』というものには神力耐性が備わっているようなので、きっとそれが効いたのだと思う。とは言わなかった。まだどういうことなのか分かっていないからだ。
どちらにせよ、アリアの追撃により、マルコムのプライドは文字通りズタズタに引き裂かれた。
さすがに立ち直れなかったのだろう。マルコムは真っ青な顔をしてその場に崩れ落ち、コンラッドを見上げる。
それは、救いを求める目だった。
しかしもちろん、コンラッドがそれを受け入れることはない。彼は一切、マルコムに視線を向けなかった。
「ふむ、無事に終わったようだな。……連れていけ。もちろん、周りにばれないようにな」
『御意』
哀れなマルコムは、それからセオドアの指示によって私兵に連れて行かれる。
セオドアもそれに続いて去ろうとしたとき、リアムが口を開いた。
「兄上、ありがとうございました。それと……何度も、お手を煩わせてしまい、申し訳ございません。これからは、兄上を頼らずに片づけられるよう、努力します」
なんだかんだと裏方仕事を引き受けてくれ、あまつさえ段取りと整えてくれたのはセオドアだった。今回の件がこんなにも上手くいったのは間違いなくセオドアがいたからだ。
リアムもそう思ったからこそ、最後にそう言ったのだと思う。
しかし振り向いたセオドアの顔に浮かんでいたのは、喜びではなく悲しみだった。
「何を言っているんだ、リアム」
「……あに、うえ?」
「わたしたちは兄弟だろう、兄弟が支え合って何が悪い。……これからは気にせず、なんでもいいに来てくれ」
「え」
「……リアムだけがもう、周りを気にして動く必要はないということだ。いいな?」
「……はい、兄上。ありがとうございます」
リアムの返答に安堵したのか、セオドアはそれから逃げるようにして立ち去ってしまう。
――それからコンラッドとアリアもそそくさと退散してしまい、残されたのはリアムとグレイスだけになった。
「リアム様」
そう呼びかけたが、返事はない。
ただ、わずかに肩が震えているのが見えた。
泣いている。
それがありありと分かったが、グレイスは何も言わない。彼の顔を見ようとも思わなかった。
ただ何かしたくて。そっと、リアムの背中を抱き締める。
それからリアムが落ち着くまで、グレイスは彼のそばにいたのだった――




