33.神々の遊戯が始まる
マルコムがコンラッドから任された仕事を終えたとき、既に日は傾いていた。
思わず苛立ったが、事態が事態だ。急いで動かなければならない。
そう思ったマルコムは、普段密会場所に使っている娼館の地下室にケイレブを呼び出した。
普段ならばこんなこと絶対にしないが、今回は緊急だ。
そしてケイレブはというと、敬虔なる神の信徒である。そのため、司教であるマルコムのことを彼は心酔していた。
もちろん、例の神力を付与した十字架のネックレスを渡している効果もある。
その上で、甥であるリアムのためだと言えば、彼は大抵の話にホイホイと乗る短絡的な部分があった。
それもあり、グレイスを暗殺する件ではもしも飴の件がばれるようなことがあれば彼に全責任が及ぶよう、敢えて導線を作った。
マルコムにとってケイレブは、もしものときのスケープゴートだ。
なので今回の一件も、マルコムはケイレブにすべて背負ってもらおうと思ったのだ。
――グレイス・ターナーを殺すことは、マルコムにとって絶対だったから。
そうして密会場所でケイレブにグレイスとリアムが明日、神の前で婚約式を開くことを告げたとき、ケイレブは案の定怒り狂った。
「あ、あの小娘……! 何を勝手なことをっ!!」
ケイレブはどうやらグレイスがリアムをそそのかしたと考えているようだったが、あのリアムが本当に恋にうつつを抜かしたのだとしたら、それはそれで問題だろうと思う。
しかしケイレブの怒りを助長するならば、グレイスを悪役にするほうが都合がよかった。そのため「本当に、ターナー嬢には困ったものですね」と表面上、同意しておく。
「あんな小娘のために、リアムが人生を棒に振ることなど……あり得ん!」
「仰る通りです。あの方は、真の神の代理人。皇帝になるに相応しいお方ですから。その道を正して差し上げるのも、我々神の信徒の役割です」
「その通りだ!」
「特に、デヴィート卿はリアム様と一番近くにおられるお方です。あの方を説得できるのは、あなた様しかおりません!」
「そうだ、そうだとも! やはり司教様は、よく分かっていらっしゃる」
いい調子でケイレブが乗ってきたところで、マルコムはケイレブの首にかかっているネックレスに意識を向けた。
そして、その中にこもっている神力を遠隔で動かす。
ケイレブに流れ込むように調整すると、マルコムはさらに話を続けた。
「やはり、ターナー嬢はここで退場していただくのがよいかと思うのですが……デヴィート卿はどう思われますか?」
「わたしもそう思う。しかし、どうすれば……」
「確実に退場していただくにはやはり……デヴィート卿の手で殺めていただくのが、確実かと」
「……は?」
一瞬「何を言っているんだ」という顔をしたケイレブだったが、直ぐに目がぼんやりしてくる。
神力が効いてきたときの前兆だ。
そこで間髪入れずに、マルコムは畳みかけた。
「明日、ターナー嬢とリアム様は、神に宣誓をされます。その前に殺めなくてはいけませんね……」
「そう、だ、な」
「はい。ですので明日、お二人が神の前で宣誓する、そのときに手を出すのがよいかと思いませんか? きっと神も、デヴィート卿の行ないを認めてくださるはずです」
「……その案は、いいな」
「はい。すべては神の思し召しです……どうぞデヴィート卿は、思うがままに動かれてください」
「……そうだ、すべては神の思し召し……」
神力の過剰摂取による洗脳が完了したことが分かり、マルコムはにい、と口端を持ち上げた。
それからケイレブに教会の抜け道を教えて、今日のうちに身を潜ませておくほうがいいと誘導しておく。すると洗脳がすっかり効いた彼は黙って頷き、マルコムの言う通り立ち去って行った。
これでケイレブがグレイスを殺せれば、マルコムとしては万々歳だ。もし殺せなかったとしても、彼にはそのとき、婚約式に参加していたというアリバイがある。またケイレブが捕まったときは、ネックレスから神力をめいっぱい注ぎ込めば神力の過剰摂取により死に至るだろう。
完璧な計画に、マルコムは一人ふふふ、と笑った。
「ああ、明日が楽しみだ――」
*
そしてその翌日、中央教会の大聖堂にリアムとグレイスが姿を現した。
彼らは地味な色使いながらも美しい仕立ての服を身にまとっている。
もちろんというべきか、立会人はいない。いるのは今回の一件で協力したマルコムとコンラッド、そして数名の神官だけだ。
密かに宣誓を行なうということもあり、護衛の姿もなければ人がそもそもいない。こんなにも閑散とした大聖堂で式をするというのは、マルコムも初めてだった。
皇族の婚約式とは思えないくらい質素な式に、マルコムは心底リアムに同情する。
本来ならばこんな、ひそやかに式を挙げていい方ではないというのに。
やはりマルコムたちがここで、目を覚まさせてあげなければいけないのだろう。
そしてそのためにはやはり、グレイスの存在が目障りだ。
だからマルコムは、コンラッドの前で横並びになり、宣誓を行なおうとする二人に同情の眼差しを向けた。
そんな目をコンラッドの背後でマルコムが向けていることすら知らず、二人はコンラッドを見つめている。
「それでは、お二人とも。準備はよろしいですかな」
「はい、大司教様」
「どうぞ、進めてください」
その言葉に、マルコムはこっそり背後を見た。
神官の一人、その中に、ケイレブが紛れ込んでいる。
神官はこういうとき、フードを被るため、顔を隠せるのが利点だった。
彼はちょうど大聖堂の正面に続く絨毯が敷かれた一本道、その端に立っていた。場所で言うのであれば、大聖堂の扉の前だ。
あの場所ならば、周囲の制止を振り切ってグレイスの前に辿り着ける。何より二人から完全に死角という点がいいと思い、マルコムが配置したのだ。
そんなことすら知らず、二人は神の前で宣誓を始めた。
「わたし、リアム・クレスウェルは、母なる神と父なる神の血を継ぐ者として、グレイス・ターナーと生涯切れることのない縁を結ぶことを、ここに誓います」
リアムがそう告げたとき、ケイレブが動き出す。
彼は全力疾走で絨毯の上を進んだ。それはちょうど、マルコムの目に入る。
「私、グレイス・ターナーは、母なる神と父なる神を信仰する者として、」
瞬間、神官たちが愕然とする。あまりの奇行に一瞬目を奪われ、制止することすら叶わない。
「リアム・クレスウェルと生涯切れることのない縁を結ぶことを、」
残り五歩。フードが外れたケイレブが、血走った目で懐からナイフを取り出した。
「ここに誓いま――」
そしてグレイスが最後の言葉を告げる寸前で、そのナイフがグレイスの背に突き刺さり――
『…………ふん!』
「!? ぎゃあ!!」
……否。突き刺さる、その前に。
どこからともなく現れた白猫が、ケイレブの顔面を踏み潰した。
……は?
何が起こったのか分からず、マルコムは呆然とする。
そんな中、ケイレブは顔面猫パンチにより、勢いよく後ろに倒れ込んだ。
そのとき、彼の手からナイフがこぼれ落ちる。
くるくると宙に浮いたそれは、床に落ちる前に誰かの手にすっぽりおさまった。
「ふむ。これは現行犯だな」
それは、神官の一人だ。
しかしその人の声を、マルコムは知っていた――
「え……? こ、皇帝陛下……!?」
フードの奥から現れたのは、この帝国で最上位に位置する――セオドア・アルボル・ブランシェットその人だった。




