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31.アリア・アボットの思惑

 アリア・アボットはその日、人生で一番緊張していた。

 それもそのはず。今目の前にいるのは、あの皇弟殿下で、世間で言うところの『聖人公爵』である。

 いくらなんとなくその雰囲気や、コンラッドの態度から彼の立場が相当高位だと把握していたとはいえ、最初にあった頃とはまるで違う神々しさをまとう姿に、知らず知らずのうちにごくりと唾を飲み込んだ。


 しかしアリアがそれを承知でリアムに会いに来たのは、理由がある。

 そしてリアムのほうも、それを承知の上で二人の時間を作ってくれたようだった。


「それで。あなたはいったい、わたしに何を望むのですか?」


 リアムがそう切り出してきたことに、アリアは驚かなかった。むしろ向こうから話を持ち掛けてきたことに感謝すらしたくらいだ。


 だって事実、今回の件を協力する見返りが欲しいからこそ、わたしは公爵閣下と二人きりになったのだから。


 アリア・アボットという少女は、少女と言う年齢の割に、ひどく達観していた。

 それは過酷な立場だったこともあるが、何より、物心つく頃から大抵のことを理解していたからだ。


 勉強も一度行えば、当たり前のように記憶できた。

 書物も一度読めば十分で、応用なども簡単にできた。


 アリアは根本的に、賢かった。

 大抵の場合、一目見ただけで相手の善悪が見抜けた。

 だから自身が異質なことも知っていて、それをひけらかそうとはしなかった。

 アリアが望んだのは、大好きな両親と一緒に幸せに暮らすこと。そしてその周りを皆善良な人間たちでまとめ上げ、楽しく過ごすことだったからだ。


 もちろん、そのためには自分のため、なんていう文言は逆効果だということも知っている。他人のため、と言っておくほうが、都合がいいのだ。

 だからアリアはいつも、他人のために行動した。

 正しさを掲げた。


 もともと、潔癖な性格でもあった。なので正義を理由に行動すること自体は、なんら躊躇いはなかった。


 またアリアのような少女の場合、他人に優しくするよりも冷たくするほうが上手くいくこともある。それが自己防衛になるからだ。

 そのため、ときにはどんなことを言えば相手を怒らせるのか、実践して分析したりもした。

 学ぶこと自体は好きだったから、アリアは方法をすぐに身につけることができた。


 大切な人との生活を守るためならばどんなことすら苦痛にならない。

 貧しい生活をほんの少しの助言で向上させ、普通の生活になるべく近づけることくらいはしたが、それもこの年齢の少女がやることではない。なのでアリアは自身がなるべく早く大きくなることを望んでいた。


 しかしそんなアリアにも、どうにもできないものが存在する。それが、病だ。


 両親は病によってこの世を去った。

 それからは、最悪だった。


 入れられた孤児院は劣悪な環境で、貴族たちの欲によって形作られていた。

 何人の子どもたちがいいように扱われ、なぶられ、虐げられ、売られたか。

 今までにない光景を見た上で、自身の身にも同じものが降りかかろうとした際、アリアが魔力を暴走させたのは、ある意味当然の流れだったかもしれない。


 結果、同じように扱われ同族意識が芽生えていた子どもたちすら、アリアを見捨てた。


 アリアは真実、独りぼっちになったのだ。


 それから中央教会に入れられたが、アリアが心を許したのはコンラッドだけだった。


 彼ほど清いものをまとった大人は、本当に珍しかったからだ。この人ならば信用できると、一目見て思ったのは初めてだった。


 何より今のアリアに必要なのは、力だ。


 他人から陥れられても再度、立ち上がれるだけの、力。

 そして反撃できるだけの力。

 それを得るためには、大人の庇護が必要不可欠。


 しかしコンラッドのそばにいるだけでは、その力を得るのにもう少し、時間がかかる。

 それを短縮させるために必要なのは、権力である。


 ――そう。だからアリアは、リアムにそれを求めるつもりだった。


 アリアはゆっくりと、口を開いた。


「わたしの望みは、二つです。一つ目は――できる限り早くわたしが学園に通えるよう、後援者としてご支援いただけませんか?」


 それを聞いたリアムは、首を傾げた。


「……大司教があなたに目をかけている以上、あと一、二年もすれば学園に通えるのでは?」

「いえ、それでは遅いのです。わたしは今年、入学をしたいのです」


 できる限り早く、とは言ったがまさか今年と言い切るとは思っていなかったのだろう。リアムは至極意外そうな顔をして、アリアを見た。


「何故そうも焦るのでしょう」


 アリアは一度、沈黙した。

 しかしすぐに口を開く。ここで嘘を吐くことは、あまり得策でないことを分かっていたからだ。


「……グレイス様をお救いするために、魔術による治療術を学びたいからです」


 そう言った瞬間、リアムの雰囲気が明らかに変わったのが分かった。

 同時に、改めて思う。


 この方は、わたしに似ている。


 生い立ちはもちろん似ていないが、行動原理が似ていた。

 リアムは恐らく、アリアと同じ。自分が愛する人たちの幸せのためならば、なんだってできる人だろう。グレイスに対しての対応や態度を見て、シンパシーを感じたからだ。

 彼とアリアとの明確な違いは、自分の立ち位置くらいだと思う。


 アリアは、自分が愛する人たちの側にいたい。

 リアムは、自分が愛する人たちのために、距離を置く。


 リアムのその献身は、アリアには理解できない。側にいられないのであれば、アリアにとっては何の意味もないからだ。

 しかし根本的なものが同じであることくらいは分かった。むしろ誰とも衝突しない方法を取れる辺り、彼のほうがよっぽど要領がよく、アリアより優秀だろう。


 ならば、アリアが提示したこの理由に関して、リアムの興味が引けるはず。


 そしてリアムほどの人間ならば、アリアが嘘を言っていないことも分かっているはず。


 その予想通り、リアムはアリアを信じたようだった。しかしその明確な理由が分からないと言った顔で、首を傾げている。


「……失礼ですが、あなたがそこまでする理由は、グレイスとの一件があったからでしょうか」

「はい」

「ですが、グレイスはあなたを許していますし、宣誓によって決して口外できないようになっています。ならばあなたがそこまでの献身をなされるのは、いささか行き過ぎているかと思いますが」


 リアムが言うように、アリアがグレイスのために、というのは行き過ぎていた。

 もちろん、それがアリアではなかったら、だ。


 ――アリアにとってグレイス・ターナーは、『自身が愛する人』なのだ。

 別に恋愛感情がある、とかではなく、家族のように思っているという意味での愛である。言葉にするなら、親愛だろうか。


 初めは鬱陶しいと思っていた。

 自身よりずっと恵まれていて、羨ましくて嫉ましくて。

 相手が貴族というだけで、取り繕うことすらしなかった。


 しかしそんなグレイスが打ち明けた秘密を聞いて、アリアは頭を殴られたかのような衝撃を受けたのだ。


 魔術が、使えなくなった?


 しかも後天的に、だ。そんな人間、貴族じゃなくても迫害の対象になる。アリアの知る限り、そんな人間知らないし、もちろん、そんな人間を直す方法なんて聞いたこともない。

 正直言って、不治の病と言っても過言ではなかった。


 アリアは、病に対してのトラウマがあった。

 それは、この世で一番大好きだった両親を病で亡くしたからだ。


 だから初め、グレイスからその話をされてたしなめられたとき、驚いて罪悪感を抱くのと同じくらいもう関わりたくないと思った。


 病はいつだって、アリアから大切なものを奪っていく。


 もしグレイスの存在が、アリアの中でどんどん大きくなっていってしまったら?

 そう考えると、恐ろしくなった。


 それなのにグレイスはアリアと関わりを持ってきて、しかも友人だと言ってくれた。

 こんなにも可愛くない態度を取る自分に、だ。

 しかもそんなグレイスのことを悪く言う人間も近くにいて、それが気に食わなくて。大司教様にも関わることだから、と言い訳をしながら調べている自分を、アリアは止められなかった。


 大好きだった人たちが二度も離れていってしまったこともあり、グレイスの存在はアリアの中でどんどん大きくなっていったのだ。

 本来ならばまだやらなくてもいい魔術関係の勉強に精を出したのも、できる限り早く大人になりたいと思ったから。

 もちろんそのときのアリアは、やることがなくて暇だからと自分に言い訳をしていたが。


 ――そしてグレイスの身に何かあったと悟ったとき、生まれたのは恐怖と後悔だった。


 どうしてわたしはこんなにも大事な人を、遠ざけてしまったの。


 もっとちゃんとそばにいて状況を把握していれば、グレイスが傷つくことはなかったかもしれない。

 何よりグレイスの体質を治す方法さえあれば。


 そう思ったアリアが治癒に特化した道を選んだのは、必然だったかもしれない。

 ――アリアは、そのことを包み隠さずリアムに説明した。


「……以上が、わたしができる限り早く学園に通いたい理由です」


 そしてそう言えば、リアムがアリアを信用することも。許可を出すことも、アリアは知っていた。

 リアムは、善悪だけでなく真偽すら分かるようだったから。


 その予想通り、リアムはアリアの言葉を信じたようだった。

 しかしすぐに答えは出さず、口を開く。


「では、もう一つの望みはなんでしょう」


 さすが目ざとい、と言うべきだろうか。アリアが言ったことを忘れていなかったらしい。

 しかし別に隠すことでもなかったため、アリアはすぐに答えた。


「もう一つの望みは――いずれお二人が結婚された後、わたしを養女にしてください」

「……養女?」

「それまでに必ず、グレイス様の役に立つ振る舞いと立場を手に入れてみせます」


 アリアは完全に、貴族の事情を把握しているわけではない。しかしリアムたちにとって養女を取るという選択は、悪いものではないということくらいは把握していた。


 何より、そうすることでアリアはグレイスの側にいられる機会が増える。またいずれどこかに嫁ぐことになったとしても、養女になればグレイスのもとへ帰ってくることが可能なのだ。

 アリアの望みはそこだった。


 問題は、そのために自身の人生そのものを捧げようとしている少女を、リアムが信じてくれるかどうか。


 アリアから見て、リアム・クレスウェルという青年は「得体の知れない恐ろしい人」という印象だった。


 びっくりするくらいの神力をまとっていて、思わず目を見張るくらいの美しさを持ち合わせている人だが、同時に人間味を感じなくて恐ろしくもあった。


 何より、こちらのことをきちんと見ている。見た上で言葉を紡ぎ、行動し、そして最低限の努力で相手を意のままに動かしているような、そんな万能さを感じた。


 本当ならば近づきたくない人種だったが、それでもアリアが彼と話をしようと思ったのは、彼がグレイスの婚約者となる人で、グレイス自身もリアムのことを好いているから。

 そしてグレイスのことに関してのみ、アリアとリアムの考えは似ていると確信に近いものがあったからだ。


 しかしアリアとリアムとでは、まるで経験値が違う。そのためリアムがアリアの言うことを信じてくれるかも分からないし、不安要素のほうが多かった。


 そう思い緊張していたのだが。


「そうですか。分かりました」

「……え?」


 リアムは、アリアが拍子抜けするくらいあっさり、アリアの要求を呑んでくれた。

 思わず呆然としていると、リアムは言う。


「ただし二つ目の要求に関しては、わたしたちが結婚するまでの間であなたがどれだけの成果を残せるかで決めます。口ではいくらでも言えますからね」

「も、もちろんです。ですが……本当に、よいのですか……?」

「将来有望な孤児の少女を支援すること自体、わたしの立場からすれば当然の行動です。それに以前も言った通り、グレイスはあなたのことを友人のように思って大切にしていますから。……今回の件の手腕を見ても、あなたにはわたしが後援者をしても問題ないと判断できるだけの能力があるかと」


 この短い間でそこまで見てくれていたのか、とアリアは愕然とした。

 その上で、リアムは微笑む。


「ですが、わたしが後援者をするということは、周りからもわたしのような行動をすることを求められるということです。当然、期待も羨望も嫉妬も、相当なものになるでしょう」

「それは……そうですね」

「ええ。そしてわたしたちの養女になれば、それはさらに強まることでしょうね。その覚悟があなたにあるのか……わたしは、楽しみで仕方がないのですよ」


 暗に、そこまでしてグレイスのそばにいたいのか、と問われていると、アリアは察した。同時に、アリアが何を想って養女になりたいと言ったのか、リアムは理解している。


 本当に恐ろしい人だと、アリアは改めて悟った。


 しかしそんな脅しに負けるアリアではない。瞬時に答える。


「まずは、秋の入学試験で成果を出します」

「ええ。そのためには、わたしのほうでも家庭教師を雇わねばなりませんね。婚約の件が全て解決したら、すぐにあなたを我が家で預かれるよう、そして短期間で集中教育できるよう、手配します」


 そう言ってから、リアムは外を見た。


「……まあまず、婚約式を成功させることが先ですが」


 ご協力、お願いしますね?


 全ての人を魅了するような笑みを浮かべるリアムからのその問いかけに、アリアは警戒しつつも「はい」と頷いた――


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