30.もたらされた転機
泣き脅しでどうにかリアムを正気に戻したグレイスは、クレスウェル邸の私室で目を覚ました。
腫れぼったい目を押さえつつ、グレイスは昨日のことを思い出す。
(……そうだった。私、なんとかリアムを正気に戻した後、緊張が解けたのと痛みでぶっ倒れたんだった……)
そこから記憶がないので、おそらく、いや確実にリアムがここまで運んでくれたのだろうと思う。
見れば、シャルが枕元の椅子に置かれたかご型のベッドの中で丸くなっている。
(これで私の体がまともに動けば……いつも通りの朝なんだけれど)
しかし昨日無茶をしたせいか、起き上がるのがやっとといった具合だった。
死ぬ気でリアムを止めるつもりだったが、文字通りという感じになってしまったなあとグレイスはぼんやり天井を見つめる。
(……うん、勢いに任せて出てきちゃったせいで、各処に多大なる迷惑をかけている気がする……いえ、確実に迷惑をかけているわ……! 主に、皇帝陛下と大司教様に……!)
そうしているうちに思い浮かんだのは、自身の無鉄砲さと段取りの雑さだった。
しかしまともに動けない以上、どうしようもない。
そのため、現実逃避も兼ねて頭の中で一から『亡国の聖花』についての設定を思い浮かべていると、外から声がかかる。
『……グレイス、入ります』
入ってきたのはリアムだ。
彼は起き上がっているグレイスを見て、目を見開く。
そして慌てた様子でグレイスの背元にクッションをいくつも入れて、もたれかかりやすくしてくれた。
また、朝食は食べられるかとか、午後には屋敷にコンラッドを呼んでいるだとか。皇帝には昨夜のうちにもう事情を神獣を通じて説明してあるだとか。
グレイスが取りこぼしたことまできっちり手を回しているということを、さらっと伝えてくれる。わざわざ伝えてくれたのは、グレイスが気にしていると思ったからだろう。
事実、グレイスは少し前までそのことで現実逃避をしていた。さすが、と言うべきだろう。これぞスパダリという配慮に、他人事のように感心した。
(ああ、でも私、本当にリアムのこと、止められたのね……)
昨夜見た人形のような姿とは打って変わり、今のリアムは普段の二割増しで表情が豊かだ。何よりグレイスのことをとても心配してくれていることが、仕草や表情からありありと分かる。
そのことに安堵したグレイスは、無意識のうちにリアムの頬に手を伸ばしていた。
むに。
思わずリアムの頬をつまんだグレイスは、ハッと我に返る。
「あ、えっと、これはその……!」
慌てて指を開いたグレイスだったが、その手を包み込むようにリアムが手を重ねてきて、ぴきりと固まった。
それだけでなく、リアムはまるで猫のようにグレイスの手に頬をすり寄る。
「……どうかしましたか? グレイス」
そんな言葉と同時に上目遣いで見つめられ、一拍置いた後、グレイスはぼんっと顔を赤らめた。
「いいいい、いえ、その、な、なな、なん、でも……」
ただちょっと、今目の前にいるリアムが本物のリアムなのか、確かめたかっただけなのだ。これと言って意味はない。
しかしリアムは首を傾げるだけで、グレイスを解放してはくれなかった。むしろさらにあざとく、グレイスのことをちらちら見つめてくる。
(これは……本当のことを言わないと放してくれないやつ……!)
何より、リアムは嘘を見抜けるのだ。彼相手に言い訳など無駄だということを、グレイスはすっかり忘れていた。
観念したグレイスは、躊躇いながらも口を開く。
「……ただ、本当にリアム様なのか確かめたくて……つい、手が伸びてしまっただけなのです。だから、からかわないでください……」
そう絞り出した声は、最後のほうはかすれてしまった。
恥ずかしさのあまり思わず顔を逸らすと、ふわりと髪が揺れる。
気が付けばグレイスは、リアムの腕の中にすっぽりとおさまっていた。
「からかったりなど、絶対にいたしませんよ」
「あ……」
「ただ、わたしのほうが愛おしさでどうにかなってしまいそうになりますので……お手柔らかにお願いします」
見上げれば、わずかに見えた耳がこれでもかというくらい赤くなっているのが分かった。
そのことに、グレイスの胸中に言い知れぬ感情がこみ上げてくる。
愛おしさと、温かさと、甘さ。
「……はい……」
それを噛み締めながら、グレイスはリアムの腕に身をゆだねたのだった。
*
ただ、問題は今もなお山積みである。
リアムの件はどうにかなったが、肝心のグレイス殺人未遂犯。またリアムの伯父であり、グレイスたちにとっての目の上のたんこぶ、ケイレブをどのようにして遠ざけるのか。それが残っているのだ。
(何より気になるのは……マルコムよね)
マルコム・フィッツ司教。
彼がこの件に関与している可能性が高いのでは? とグレイスは踏んでいた。
ただ今グレイスの手元にある情報だけでは、リアムたちに「どうしてマルコムを疑ったのか」を説得できるだけの材料がない。まさか馬鹿正直に「小説の中で悪役として登場したからです」なんて言えるはずもなく。正直、八方塞がりの状態だった。
それもあり、いち早く活動できるようになりたいというのが、グレイスの本音である。
そのため、シャルに頼み込んで巻きで治療を進めてもらっていたグレイスだったが、思わぬところで話が進展することになる。
それは、「グレイスとリアムにどうしても話したいことがある」という理由で、コンラッドとともに来訪したアリアがもたらしたものだった。
「単刀直入に申し上げます――グレイスさんの件ですが、わたしは司教様が怪しいと思っています」
クレスウェル邸・客間にて。
開口一番に口を開いたのは、アリアだった。
リアムとともに向かいに座っていたグレイスは、その発言にぽかんとしてしまう。
(まさか、アリアちゃんが司教を疑う発言をするなんて……)
というより、リアムの目が紫色なのを見ても驚かないところを含めて、かなり肝が据わっているなと思った。さすがあの、数々の成り上がりを果たす『亡国の聖花』の主人公と言うべきだろう。
それはコンラッドも同じだったらしく、ひどく驚いた顔をしていた。それはそうだろう、コンラッドは大なり小なり、司教であるマルコムを信頼しているはずだから。
しかしコンラッドの素晴らしいところは、それを頭ごなしに否定しないところだろう。
「……アリア。どうしてそのように思ったのか、一から説明してくだされ」
「はい」
むしろアリアに発言するように促している。
(こういうところが、アリアちゃんが大司教様を信頼している理由よね)
マルコムとは違い、コンラッドはアリアの考えを否定しない。代わりにどうしてそう思ったのかを聞いてくる。
それは、教育者として必要なスキルだろう。少なくとも今のアリアにとっては必要不可欠だ。
グレイスがそんなことを考えていると、アリアが話を始める。
「わたしは出会った当初から、司教様が苦手でした。ただ別に、そんな不確かなことで疑っているのではありません。きっかけは、グレイスさんと司教様が対面されたその日に聞いた会話でした」
「会話、ですか……」
「はい。司教様が、特に可愛がっている少女たちに、グレイスさんの教会での動きを見るよう、またどのような発言をしていたのか教えるように言っていたのです」
グレイスは思わず眉をしかめそうになり、ふう、と息を吐いた。
胸糞の悪い話になりそうな予感を、ひしひしと感じる。覚悟して聞かなければならないなと思った。
一方でリアムとコンラッドは、淡々とアリアの話に耳を傾けている。
「それを機に司教様のことを疑ったわたしは、できる限り司教様の動きに注意して生活していました。そして気になった行動や言動を全て、記録につけておいたのです。それが、こちらになります」
あまりの手際の良さに、グレイスは大いに驚いた。
それはコンラッドも例外ではなく、目を見開いている。
リアムはと言うと、アリアから手帳を受け取り、ぱらぱらとめくって全てのページに目を通していた。速読というレベルではないめくり方に、グレイスはただ見ていることしかできない。
「……なるほど。伯父上とフィッツ司教は、お知り合いだったのですね」
「え?」
「別に、不思議なことではありません。伯父上は熱心な信徒ですので」
「そ、そうだったのですね」
「はい。ただ中央教会において一番有名なのは、エリソン大司教ですから、フィッツ司教と懇意にしているというのは別の目的があったと疑うべきですね」
リアムがアリアからの情報をもとに冷静な判断を下している。
(……とりあえず私は、口を挟まないようにしましょう)
グレイスはそう、心に誓った。
すると、アリアがまた別のものをポケットから取り出す。
「そして、もう一つの証拠はこれです」
ハンカチに包まれたそれは、緑色のリボンだった。
瞬時にそれが何なのか理解したグレイスは、ビクッと震える。
ドン引きしているグレイスに、アリアは頷いた。
「はい。グレイスさんが予想されている通り……これは、司教様がわたしに贈ったリボンです」
「これが、例の……」
「はい。他のお気に入りの少女たちにも贈っている、気持ち悪いリボンです」
アリアはそれをテーブルに置いた。そしてコンラッドとリアムを見る。
「お二人であれば、恐らく分かるはずです。このリボンに、神力が宿っていることを」
「……神力? 物に神力って、そんなまさか……」
神力は固体には宿らない。そんなことは常識だ。
しかし、ドライアイスのように気体を固体にする方法があったとしたら?
そう考え、言葉を途切れさせると、どうやらその方法に覚えがあったらしいリアムとコンラッドが渋い顔をした。
そしてリアムが、最悪の想定をする。
「……もしかしてその少女たちは、この神力をまとったリボンを長時間着用したことで、フィッツ司教から洗脳されているのではありませんか?」
それを聞いたグレイスは、言葉を失った。
だが同時に、小説の内容を思い出して沈黙する。
(神力は人が本能的に惹かれるもの……適量であれば薬になり、人々の心に安寧をもたらすけれど……量を間違えれば麻薬のように依存性が出てくる。なら理論上、洗脳は可能だわ……)
そして小説のグレイスも、リアムの神力を長時間浴び続けたことで洗脳されていた、と見るとあの心酔具合に納得がいく。
グレイスは改めて、神力の恐ろしさを痛感した。
(前世でも思っていたけれど……どんなに素晴らしい技術でも、それを使う人間の考えや能力によって悪用されることがあるのよね)
その一方で、コンラッドが固く瞼をつむり、俯いている。
何かの痛みを耐えるような仕草に、グレイスはハラハラした。
それはそうだろう。まさか名誉職とはいえ、自分がいる中央教会でそのようなことが行われていて、それを把握できていないなんて、恥以外の何物でもない。
特にコンラッドは責任感が強いのだ。自責の念に駆られていたとしても、不思議ではなかった。
少しして、コンラッドが口を開く。
「……リアム様。そう考えますと、一つ、納得がいくことがございます」
「なんでしょう」
「……ターナー嬢がクレスウェル邸で暮らすことをデヴィート伯爵がご存じだったのは……おそらく、フィッツ司教が教えたためでしょう」
リアムは首を傾げた。
「何か心当たりでもあるのですか」
「はい。リアム様からターナー嬢のことをお手紙でお知らせいただいた後、細かくちぎって廃棄しました。ですが……ゴミ箱が昼間のうちに、綺麗になっていたのです。大抵、ゴミの回収は午後だったので不思議に思っていましたが、そのときは気に留めていませんでした。ただ今思えばあのときに、フィッツ司教に知られたのかと……」
グレイスは、ふと前世見た刑事ドラマを思い出してしまった。
(あれはシュレッターで細かくされた紙を一枚一枚コンピューターで読み込んで、復元するってやつだったけれど……それを手でやるなんて)
悪人の考えることは本当に、理解できない。同時に、危機管理というのは本当に大変なのだなとグレイスはしみじみ思った。
それに対して、リアムは責めるでもなく淡々と頷く。
「なるほど、そういった経緯でしたら、伯父上がグレイスが越してきた当日にやってきたのにも納得ができます。大方、フィッツ司教にいいように言われたのでしょう」
「リアム様……」
「ただ伯父上はフィッツ司教とは違い、感情で動く方です。そのため、越してきた当日にやってきたのだと思います。本当に賢い方でしたら、数日後にしたはずですから」
(わあ……遠回しに見せかけて、直接的な言い方で自分の伯父をけなしているわ……)
ただ、実際愚かとしか言いようのない行動をしているため、誰からのツッコミもなかった。グレイスも何も言わなかった。
しかし今まで話題に上らなかったマルコムの存在が浮き彫りになったことで、話は驚くほどスムーズに進み始める。
「フィッツ司教が関わっているというのであれば、グレイス殺害未遂の一件も上手く話が繋がりそうですね、エリソン大司教」
「そうですな。……アリア、よくやりました」
「いえ、少しでもお役に立てたのであれば、嬉しいです」
「ですが、さすがにおてんばがすぎますぞ。次からはもう少し早く、わたしに言ってくださいね」
「……はい、大司教様」
祖父と孫のような会話に、グレイスはこっそり和む。
ただこれから証拠を得るのだとしても、時間がかかりそうだなと感じた。
(正直、現行犯逮捕が一番楽なのよね……それはいつの時代も変わらないわ)
魔術や神術という便利スキルがあるこの世界でも、捜査というのはかなり地味なものなのだ。
特に相手の精神に干渉して、自白を促すような神術の使用は、一部のパターンを除き法律で禁止されている。まあ非人道的な上に、最悪廃人になる可能性があるので当たり前だろう。
ただ今回の場合、すべてが事実ならば反逆罪に相当する悪行だ。なので何かしらのきっかけさえあれば、精神干渉して自白を取り、死刑という流れにもできたはず。
そこでふと、グレイスは思った。
というより、アリアを見ていて思い出したのだ。
(……いや、待って。手っ取り早く、問題を解決される方法、あるかも)
「あの、一つ提案があるのですが……」
そう切り出し、自分の考えを口にすると、全員がなんとも言えない表情をする。
「グレイス、それは……」
「……グレイスさんは、死にかけたという自覚がないのですか?」
「……まだ回復もされておりませぬし、今は安静にされていたほうが……」
リアム、アリア、コンラッドの順で渋い顔をされる。
三者三様の反応だが、やめておけという意見は一致しているようだ。
しかしグレイスはあっけらかんと言った。
「ですがこの作戦ですと、直ぐそばには必ずリアム様がおります。これほどまでに安全な場所は、ないと思いませんか?」
そう。この世界で、リアムのとなりほど安全な場所はないのだ。
だって彼は天才で、大抵のことは難なく乗り切れる人だから。
だからグレイスとしては当たり前、といった気持ちで言ったのだが、瞬間、リアムが目を見開く。
そして珍しく、顔を隠してしまった。
(え?)
思わず目を瞬いていると、にこにこと満面の笑みを浮かべたコンラッドが頷いた。
「リアム様がご了承成されたのであれば、わたしは協力させていただきますぞ」
「……わたしも、できることがあればやります」
(ええっと……この作戦で、いいのですか……?)
先ほどとは真逆、まさしく手のひら返しを食らってしまい、戸惑いを隠せない。
しかしそんなグレイスを置いて、話はグレイスの案をもとに、さらに補完され、形作られていった。
それを眺めていたグレイスは、こっそり首を傾げる。
(結局、リアムはなんで顔を赤くしたのかしら……)
しかしそれは聞くタイミングを逃し、触れることができないまま終わる。
その後、リアムはアリアと二人で話があるとのことで、客間に残った。
一方のグレイスは私室に戻り、コンラッドに体調を見てもらうことに。
そしてグレイスはコンラッドが去った後、翌日まですっかり眠りについてしまったのだった。




