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27.セオドア・アルボル・ブランシェットの予想を超えること

「兄上、今までありがとうございました」


 最愛の弟であるリアムがそう、まるで今生の別れのような言葉を言い残し、宮廷を去ったのは、ものの数時間前。


「兄上! どうか……どうかグレイスを、助けてください……っ!」


 ――そしてその弟から懇願されたのは、グレイスが倒れた後。彼が宮廷を後にするという知らせを受けた、直ぐ後だった。


 一体何が。

 そう思ったのはリアムの服に血がついていたこともあるが、あのリアムがここまで取り乱した姿を初めて見たからだ。


 物心つく頃から、リアムはすべてを諦めていた。

 というのも、彼が早熟だったためだ。


 元来、皇族というのは大抵早熟だ。それが、神の血を受け継ぐ者の性質で、運命さだめだからである。

 その中でもリアムのように飛び抜けて早熟で、物事すべてを一目目見るだけで判断できるような存在は『神の愛し子』と呼ばれ、特に為政者に向いた気質を持つとされていた。


 しかしリアムはこともあろうことに、「人にこれっぽっちも興味関心がなく、あまつさえ目障り」だと感じる気質で、挙句そのことにひどく苦しんでいる子どもだった。


 自我が確立するより前の年齢で父と兄にそのことを伝え、助けを求めたそのことにも驚いたが、リアム自身がそのことを罪として、これから自分を罰し続けていくその姿勢は、はた目から見ていても痛ましいものだった。


 あまつさえ、皇族にとって唯一の救いともされる『運命の伴侶』を探すどころか、妻すら取る気がない頑なさには手を焼き、最終的には父とともに説得を諦める他なかったのだ。


 母を喪い、徐々に衰弱していく父が最後まで気にかけていたのも、リアムだった。


 だからセオドアは、そんなリアムに偶然でも『運命の伴侶』が見つかったことに安堵していたし、彼の幸せを願っていた。


 なのに、これだ。


 自身の気質のことを相談してきたときですら、こんな顔はしなかった。

 だが今はどうだろう。ひどく取り乱していて、泣きそうで、こらえているが体が震えている。それが恐怖からくるものだということを、セオドアは瞬時に悟った。


 何を言われても、何をされても微笑むことができる弟が、こんな顔をするなんて、一人しかいない。それは、『運命の伴侶』だ。


 やはり、ターナー嬢はリアムの『運命の伴侶』だったのだな。


 そのことにほっとする気持ちと、グレイスに何があったのか分からない点に混乱したが、セオドアは落ち着いて行動に移す。

 すると、部屋を一室貸して欲しいと頼まれた。そこに、セオドアに来て欲しいとも。そして、あろうことか大司教であるコンラッドを呼んで欲しいと懇願されたのだ。


 しかしあのリアムの頼みだ。理由がちゃんとあることは明白である。

 だからセオドアはここではわけを聞かず、執事に指示を出して部屋を用意させ、宮廷の医療室にいるらしいグレイスをそこに運ぶように言った。


 そうして部屋に向かえば、そこには一匹の猫がいた。


 美しい白い毛並みは神々しく輝き、その体には青い文様が刻まれている。明らかにこの世のものではない美しさと恐ろしさを持つその猫は、神獣と呼ばれる存在だった。


 そして特筆するのは、その大きさだ。

 人の身の丈をはるかに超える、その体躯。

 全長は四メートルほどあるだろうか。そのセオドアも、大きさに圧倒された。


 これが、神獣本来の大きさである。


 しかし普通の神獣というのは、ここまでの大きさにはなれない。こんなふうに大きくなれる個体は皆一律で、契約者を得た神獣だった。

 契約者を得ることで、神獣は本来の力を発揮することができるようになるのである。


 つまりこの神獣は……リアムかターナー嬢の契約神獣?


 しかしリアムが契約をしていたのであれば、セオドアに必ず情報が来ていたはずだ。

 ならグレイスの神獣かとも思ったが、確かリアムが頼んで護衛をしてもらっている神獣しかいなかったはず。


 そう思っていると、リアムがその白猫に話しかける。


「シャル。グレイスは」

『ひとまずは大丈夫だけれど……あたしが契約していなかったら、即死だったわよ。内臓がずたずたに引き裂かれてたから』


 事態の深刻さに、セオドアは言葉を失う。一体何をしたらそんなことになるのか。

 一方のリアムは、白猫から話を聞いた瞬間、今までにないくらい冷たい顔をした。怒りをこらえているのがありありと分かる。

 すると白猫が、セオドアの存在に気づいた。


『あら、リアムの兄じゃない』

「あ、ああ……すまない、状況を聞かせていただいても構わないかな?」

『もちろんよ。ただグレイスの治療に専念したいから、本当に少しだけれど』


 そう言う神獣は、自身を『シャル』と名乗った。

 元グレイスの護衛神獣で、彼女の危機を救うために契約を交わしたのだという。

 その事実に、セオドアはひどく驚いた。


 なんせ神獣というのは、対象の危機であっても、契約を交わすようなことはない。神獣にとって人の命と契約では、契約のほうが重要で大切なものだからだ。


 つまりシャルは、ただの同情心で契約を交わしたのではなく、純粋にグレイスのことを気に入って契約を交わした、ということになる。


 それはとても素晴らしいことである。


 そのことに感心していると、シャルは「グレイスが重傷を負ったのは、これが原因よ」と手元を開きながら言った。


 そこには、溶けかけの飴玉がある。


『あたしもグレイスの治療をするまで全く気付かなかったのだけれど……この飴玉、外側に魔力が、内側に神力が込められているわ』

「……魔力と神力を、食べ物に? そんなまさか、あり得ない」


 セオドアが思わずつぶやくと、シャルも頷きながら言葉を続けた。


『その通りよ。この大地を生み出したのは母神だから、食物に魔力が宿るのは普通だわ。けれど、神力は違う。大気に漂うのが普通で、魔力のように固体には宿らない』

「あ、ああ……」

『ただ、方法がないわけではないの。それが、この飴玉みたいに外側を魔力で覆う方法』


 そこまで言われ、セオドアは瞬時に理解した。


「魔力の壁は、神力を通さない……その性質を利用したものか」


 魔力と神力はそもそも、水と油のように決して交わらない。

 そして魔力は固体になりやすい性質――つまりその場に集まりとどまりやすい性質を持つため、器を作るのに適しているのだ。食物には元から宿りやすいため、飴のようなものはうってつけだろう。

 その中に神力を注げば、この飴玉のように神力を内側に込めることができる。


 シャルが差し出したそれは内側が空洞になっており、どのような構造になっていたのか分かる形となっていた。


『そしてグレイスがこんなにも内部損傷したのは……グレイスが魔力を使えないからだと思うわ』

「……シャル。それとグレイスの体質に、一体どんな関係性があるのですか?」

『……つまり、グレイスの体はこの飴玉と同じ構造をしているのよ。性質は逆だけれど』

「……は?」

『外に神力をまとっていて、内側に魔力が溜まっているの。しかも魔力に至っては、層になっている。まるで何かを守るようにね。だからこの飴玉を体内に入れたとき、本来ならばすんなり出て行くはずの神力が何度も体の中にある魔力の層に当たった。それが内臓を傷つけたの』


 まったく聞いたことのない事例に、リアムだけでなくセオドアですら声を失った。

 セオドアに至っては、グレイスが魔力を使えないことすら知らなかったため、色々な意味で衝撃が強い。しかし同時に、リアムがそれを隠してきたことがなんとなく嬉しく思えた。


 本当に、ターナー嬢のことが大切なんだな……。


 同時に、セオドアはリアムのことがひどく心配になった。


 こんなふうに自身の『運命の伴侶』に固執するのは、皇族ならではの特質である。

 その固執具合は、セオドアたちの父を見れば分かる。なんせ父が死んだのは、母が流行り病によって亡くなってしまったのが原因だったのだから。


 だから。


 ターナー嬢をこのような形で傷つけられれば、さすがのリアムも気落ちするだろうな……。


 そう、セオドアは思った。

 しかも今回は、理由が理由である。間違いなく、リアムと婚約を結ぶことでグレイスが傷ついたのだから、きっとセオドアでは想像もできないくらいの後悔と罪悪感に襲われているはず。


 現に今もひどく動揺していて、このまま崩れ落ちそうなくらい顔色が悪い。普段、たとえ体調が悪かったとしてもそれを表に出さないことを知っているセオドアとしては、リアムが倒れないかが心配だった。


 しかしその予想とは裏腹に、リアムは落ち込み続けるわけでもなく、むしろ率先して飴玉を誰がグレイスに渡したのか。そしてその飴玉はそもそも、だれが購入して中央教会へ行きついたのか。……最終的にはその製造元まで追い、その過程でセオドアとリアムの伯父――ケイレブに三日であっさり辿り着いた。


 なんとこの飴玉を教会に寄付したのは、ケイレブだったらしい。


 販売元であるお菓子屋、製造元に関しては白だったため、おそらくはケイレブが独自で作り上げたものを混入させたと思われる。そう結論付けられた。

 しかしこれだけだと、証拠がいまいち弱い。


 それは、グレイスのもとへ飴玉が行きつくまでに、飴玉を手渡した少女以外にも数々の人間の手を辿ってきているからだ。

 現状だと、グレイス個人を狙ったというより、無差別殺人を狙ったと言ったほうがいいだろう。


 またケイレブは敬虔なる教会の信徒だ。その信仰っぷりはセオドアだけでなくリアムも知るところで、社交界でも有名である。

 そんな人間が、教会の人間を殺すようなことをするのだろうか。

 そのような疑問もあり、この経路は決して、有力な証拠となり得なかった。


 それはリアムが一番分かっていたのだろう。ひどく気落ちした様子で、何やら思い悩んでいた。

 そしてグレイスが目を覚ましてからは、どことなく吹っ切れた顔をしていた。


 思うに、肩の荷が一つ降りたことで、安心したのだろう。

 それゆえに、リアムがグレイスが目覚めてから告げた言葉に違和感を持ちつつも、リアムが何をしでかそうとしているのか、予想できなかった。


 ――そう。セオドアは根本的な意味で、リアムが言っていた彼の闇を理解しきれていなかったのだ。


 リアムはずっと前から、自身の心中を巣食う悪性について、伝えてきてくれていたのに。


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