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26.私の邪魔をしないで

 あーだこーだとキスの意味を考え、しかし疲れもあってかそのまま寝てしまったグレイスは、その日の夕方になって再度目を覚ました。

 その頃にはシャルも実体を保てるくらいに回復したらしく、グレイスの胸元でくるりと丸くなっている。それを見たグレイスは、ほっと息を吐いた。


(よかった……シャル様、いたわ……)


 リアムから話自体は聞いていたのでグレイスの中で休んでいるだけだと頭で理解していたものの、姿が見えなかったことに内心かなり心配していたのだ。もしシャルが消えてしまったとしたら、それは間違いなくグレイスのせいだから。


「シャル様、本当にありがとうございました……お疲れ様です」


 そう微笑みシャルのことを撫でると、タイミングよくノックが鳴らされる。


『失礼いたしまする』


 その言葉と共に入ってきたのは、大司教・コンラッドだった。

 そこで、グレイスはようやくリアムが夕方頃、コンラッドが会いに来ると言っていた言葉を思い出した。そして慌てる。


 そんなグレイスを見て微笑みながら、コンラッドは優しく「どうかそのままで」と言ってくれた。


「すっかりよくなったようですな」

「は、はい……」


 思わず声を出してしまい、しかし朝方よりもよっぽどはっきりと発声できたことに、グレイスは驚く。それを見たコンラッドは、すっかりすべてを理解した顔をして頷いた。


「シャル様がターナー嬢のお体から出てこられたということは、体の再生はすべて済んだということでしょう。ですのでもう発声してもよいかと」

「そ、そうですか……」


 なんということだろう。一番話をしたかったリアムがいたときは声が出なかったのに、その数時間後には出るようになっているとは。

 もし本当に神様がいるのであれば、きっとグレイスのことが嫌いなのだと思う。


 内心毒づいたグレイスだったが、今目の前にいるのはコンラッドである。自分の世界に入るのもほどほどに、グレイスはコンラッドに笑みを浮かべた。


「このたびは、本当にありがとうございました」

「いえ、わたしはターナー嬢の容態を確認したくらいで、実質的な処置をしてくださったのはシャル様ですよ」

『そうよ』


 するとタイミングよく、眠たげな声が響いた。

 目を見開けば、シャルがぐぐぐっと伸びをしているのが見える。それを見たグレイスはくしゃりと顔を歪めた。


「シャル様、お目覚めになられたのですね……よかったです……」

『な、なんでちょっと泣きそうになってるのよ……このあたしがこれくらいのことで力尽きたりするわけないでしょ』

「……はい」


 グレイスが涙目になっただけでシャルがあまりにもおろおろとするので、グレイスはぐっと涙をこらえて無理やり笑う。それを見たシャルはたんっと飛び上がるとグレイスの肩に上がり、ぐいぐいと頬を肉球で押した。


『そうよ! いつも通り、もっと笑いなさい!』

「……はい! シャル様!」

『……ふん、いい心がけよ、グレイス』


 そんな主従のやりとりをほのぼのとした様子で眺めていたコンラッドは、ほっとした様子でグレイスを見た。


「本当に、陛下に召喚された際はどうなることかと思いましたが……すっかりご快癒されたようで。わたしも、アリアに良い報告ができそうです」

「……アリアさんは、このことをご存じなのですか?」

「はっきりと伝えてはおりませぬが、わたしが緊急で宮廷に赴くというのを聞き、何やら察した顔をしておりました。ほぼ毎日教会に足を運ばれていたターナー嬢が、三日も期間を空けているというのもありますし……もともと聡い子です。何かあったこと自体は気づいていますな」

「そう、ですか……」


 コンラッドの言うことを聞いて、グレイスは深く納得した。それと同時に、大変申し訳ないとも思う。


(まだあまり心を開いてくれていないとはいえ、大なり小なり気にしてくれているみたい。心に傷を負っていたこともあるし……できる限り早く、元気になった姿を見せないと)


 そう心に決めつつ、グレイスはにこりと微笑んだ。


「大司教様、ありがとうございます。詳しくは語れませんが、もう大丈夫だとアリアさんに言っておいていただけませんか?」

「分かりました。アリアには元気にしていらっしゃると伝えておきます」

「はい、よろしくお願いいたします」


 そこで、タイミングよく再度扉が叩かれた。こんな時に誰だろうかと首を傾げていると、コンラッドが扉のほうへ歩いていく。そしてやりとりをした後、グレイスのほうを向いた。


「ターナー嬢。陛下がおいでなのですが、ご入室をしても構いませぬか?」

「……へ、陛下がいらっしゃっているのですか!?」


 グレイスは思わず、ひっくり返った声を上げてしまった。

 皇帝陛下は、この国のトップ。そしてリアムの兄だ。そんな高貴な方にこんなひどい姿を見せられない……! とは思うものの、かと言って入室を拒否することも失礼に当たることくらいは、グレイスにだって分かる。


 かなりテンパっていたグレイスだったが、そう瞬時に判断し、シャルに向かって「シャル様……! 私、見た目大丈夫ですか!?」と小声で聞いた。そうすると、シャルはだるそうな顔をしながら「いつも通りのへにょへにょ顔よ」と言ってくる。


(どんな顔か分からないけれどドレッサーなんてないし、そもそも怪我をした後でそこまで歩いて行けるのか分からないし、何より今扉の前で待たせている陛下をこれ以上放置するわけには……!)


 この間、数秒。

 グレイスは葛藤し、しかしそれを打ち切った。


「……はい、どうぞ、お入りくださいませ」


 グレイスがそう言うと、コンラッドは苦笑しつつ扉を開く。

 そうして入ってきた皇帝――セオドアの姿に、グレイスは内心涙を流した。


(ああ……リアムと同じでイケメン……正統派体育会系イケメンだわ……)


 そして、この国一番の高貴なお方だ。初顔合わせではないが、こんな姿で会いたい相手ではない。少なくとも、リアムの婚約関係で会うときは相当気合を入れるつもりだったのに!


 内心気が気でないグレイスだったが、肝心のセオドアはまったく気にしていない様子だった。


「こうして公式の場以外でちゃんと顔を合わせるのは初めてだったな、ターナー嬢。初めまして、このようなときに、大変申し訳ない」


 むしろそう言って胸に手を当てて頭を下げ、大変紳士的な態度を取ってくれる。

 それにますます慌てたグレイスだったが、ぎこちないながらもなんとか受け答えをする。


「こ、こちらこそ、このような形でのお目通りとなってしまい、大変申し訳ございません、陛下。グレイス・ターナーにございます。その、リアム様には大変お世話になっております……」

「ははは、そのようだな。事前に話自体は聞いていたが、まさかわたしもこのような形でターナー嬢に会うことになるとは思っていなかったよ」


 そう言うと、セオドアは眉をハの字にする。


「……ターナー嬢には大変すまないことをしたな」

「い、いえ! これは陛下方が悪いのではありません! いつだって悪いのは、悪事を企み、それを実行する人間たちです! それを予想して動くなんていうことができるのは、神様ぐらいですから」

「……そうだな。わたしたちはあくまで、人間だ。だからこそ、ひどく難しい……」


 その言葉を聞き、グレイスは妙に人間臭さを感じた。そこで改めて、彼がリアムの兄で、神の血を継いでいるとはいえ一人の人間なのだということを理解する。


(きっと陛下も、とても苦労なされたんだわ……)


 そしてそれは、リアムもだ。彼のほうが、立場が不安定だったこともあり、セオドアとは違う意味で苦しんだかもしれない。

 だからこそ、今日そのまま何も本音を語らずに立ち去ってしまったことがひどく気になる。


(……しかも、キスして誤魔化してきたし……!)


 思い出すだけで顔が熱くなるが、今はそれを気にしている場合ではない。

 頭の中に浮かんだ記憶をぱたぱたと払いつつ、グレイスは思い切って口を開いた。


「……あ、あの、陛下。一つ、お伺いしても構いませんか?」

「……どうかしたか? ターナー嬢」

「その。リアム様のことなのです」


 そう言うと、セオドアは首を傾げた。


「リアムがどうかしたか」

「あの……私が倒れてからのリアム様は、どのようなご様子でいらっしゃいましたか?」


 そう聞くと、セオドアは渋い顔をした。そしてコンラッドと目を合わせる。

 一方のコンラッドは困った顔をして、曖昧に微笑んで見せる。

 妙な間に、グレイスは何かいけないことを言ってしまったかと焦った。


 それが伝わったのか、セオドアが少し慌てる。


「い、いや、変な意味ではないんだ。ただあんなリアムを見たのは、わたしも初めてでな……なんと説明すればいいのか、迷ったのだ」

「……陛下ですら初めて見られた、リアム様……ですか?」

「ああ。あんなにも取り乱したリアムは、わたしですら見たことがない。それだけ、ターナー嬢のことが大切だったのだろうな」


 そう言われて悪い気はしないし、おそらく普段のグレイスならば、照れていただろう。が、そのときはなぜか、嫌に心臓が脈打った。


 どくりどくり。


 耳に響いてくる自分の心臓の音を必死に抑えながら、グレイスは震える唇を動かした。


「……そ、の、陛下。リアム様が宮廷からお帰りになられる前に……お会いになりましたか?」

「ん? ああ。先ほど会ったな」

「……普段と、違うところなどは……ありましたか? なんでもいいのです、変な行動をしていたとか……言わないようなことを言い残したとか……」


 そう聞くと、セオドアは少しの間考え、ああ、と口を開いた。


「そう言えば、少し違和感があることを言い残したな。そのまますぐに立ち去ってしまったから、今まで気にしていなかったのだが……」

「! その内容を、お伺いしても構いませんかっ!?」

「あ、ああ」


 食い気味にセオドアに迫ったからか、彼は驚いた顔をしていたが、グレイスとしてはそれどころではない。

 だって。


(もし私の予想が正しければ……リアムが言った言葉は、)


「リアムは、こう言い残した――兄上、今までありがとうございました、と」


(――兄上、今までありがとうございました)


 想像していた言葉がセオドアの口から零れ落ち、グレイスは唇をわななかせた。


(この、セリフは……)


 そう、このセリフは。


(リアムが、ケイレブを殺す前に、兄であるセオドアに対して吐き出した、最後の言葉よ)


 そしてこれはそのまま、リアムが人を殺す決意を固めたこと。また、兄のために善良なままでいられなかったことに対する謝罪でもあり、別離の言葉でもある。


 つまりリアムはこれから小説のストーリー通り闇堕ちし、ラスボスになるための道を歩んでいく気なのだ――


 そのきっかけは間違いなく、グレイスが怪我を負ったからだ。

 リアムは、家族というのを殊更大事にする。

 そして、グレイスも彼にとって家族同然の存在になっていることは、先日の告白でもう分かっていた。分かっていたのに。


(どうしてそのことに、もっと早く気付かなかった! グレイス・ターナー!)


 自身の愚かさにぶるぶると体を震わせたグレイスは、鋭い声で叫んだ。


「――シャル様!」

『な、何!? どうしたのよ、グレイスっ?』

「お願いいたします、今直ぐ……今直ぐ! 私をリアム様のもとへ連れて行ってください!」

『何言って……』

「――お願い!!!」


 泣き叫ぶような声でそう頭を下げれば、シャルは驚いた顔をしながらもベッドから降り立ち、その身をぐぐぐっと伸ばした。

 すると、シャルの体の文様が輝き、シャルがみるみるうちに大きくなっていく。


『グレイス! 乗りなさい!』

「はい!」

「い、いや、ターナー嬢! 一体どこへ……!」

「……リアム様を助けに。そう、あの方を救いに行ってまいります」


 だからどうかそこをどいて。私の邪魔をしないで。


 感情を殺した声でそう言い、シャルの背に飛び乗ったグレイスの姿に、セオドアとコンラッドが恐れを抱いたように一歩下がった。

 それをいいことに、シャルは窓に向かって駆け出す。

 瞬間、閉ざされていたはずの窓が勝手に開いた。シャルの魔術だ。契約した効果か、グレイスにはそれが手に取るように分かった。


「――ターナー嬢!」


 セオドアか、それともコンラッドの声か。もうグレイスには分からない。

 ただ彼女はそれを置き去りにして、真っ赤に熟れた果実のような空を神獣に乗って駆け出した――


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