25.不意打ちの口づけ
「……ぅ……」
まばゆい光とともに、グレイスの意識は浮上した。
焦点がなかなか合わず、数回目を瞬かせる。
「……グレイス?」
すると、今にも消えてしまいそうなくらい頼りない声が聞こえた。それも、聞き馴染みのある声だ。
ベッドの傍らを見れば、そこには憔悴した顔でこちらを見るリアムの姿があった。
どれくらい経ったのかはまったく分からないが、目の下に隈もあるし、明らかにここ数日寝ていない顔をしている。
焦点がようやく合った目でそのことを感じ取ったグレイスは、声を上げた。否、上げようとした。
「……りあ……、さ……?」
しかし予想以上に声が出せず、グレイスは驚いた。するとリアムがそっとグレイスの口元に手を当てる。
「グレイス、話してはいけません。あなたは先ほど、内部を激しく損傷したのです。シャルが治しはしましたが、定着するのに一日ほどかかります。しばらくは安静にしていなければなりません」
(そ、そうなの……)
こくこくと、グレイスは頷いた。
ならどうやって話をしようかと悩んでいると、それを見計らったかのようにリアムが「ですがわたしは読唇術が使えますから、何か言いたいようでしたら声を出さずに仰ってください」と言ってくる。
(さすが、なんでも完璧なラスボス様だわ……)
思わずそう思い、しかしそれは違うとグレイスは自分の考えを否定した。
リアムは確かに要領がいいためなんでもできるが、それは彼の努力の末に身についたものだ。
しかも読唇術となれば、リアムが周りから情報を得て、問題を避けるため。そしてそれを兄である皇帝に伝えるために身につけたものだろう。そう考えると、すごいというだけでは片づけられないものがある。
そう思いつつ、グレイスはひとまずここはどこなのか。そしてグレイスはどうして死にかけたのか、意識を失っている間どうなっていたのかをリアムに聞いた。内装からして、慣れ親しんだクレスウェル邸の私室では明らかにないからだ。
するとどうやらここは、宮廷の一室らしい。わざわざリアムが皇帝に頼んで、用意してもらった部屋だそうだ。
そしてなんと、グレイスが倒れてからもう三日も経つらしい。
シャルは契約を交わしたこと。そしてグレイスの治療をしたことで力を限界近くまで使ったため獣の身を保っていられず、今はグレイスの中で休んでいるそうだ。
そしてグレイスがどうして死にかけたのか。それは、グレイスが食べた飴のせいらしい。
「あの飴には、本来食物に含まれるべき神力の三十倍の神力が注入されていたと、シャルが言っていました。……いかなる薬も、用量を間違えれば毒になりえます。それと同じで、神力も摂取しすぎると意識がふわふわとして気持ちよくなり、幻覚を見るようになるのだとか。そしてその後、より依存し、量も増え、最終的には死に至る……のだそうです」
(要は、麻薬みたいなものかしら……)
神力の危険性に関しては小説を読んだときから感じていたことなので、麻薬と言われて妙に納得した。過剰摂取によって死に至る例は、前世でも見たことがある。主に、海外ドラマで。
「グレイスの体内は、そのせいでひどく損傷を負ったようです。シャルからも聞いたかもしれませんが……シャルと契約をしていなければ治癒が追いつかないくらいだったのです」
『そうだったのですね……でしたら、シャル様から誰から飴をもらったのか、といった話は聞きましたか?』
「はい。ですので、話さずとも大丈夫ですよ」
そう言われ、グレイスはそっと自身の胸元に手を当てた。
(シャル様、本当にありがとうございます……)
治癒だけでなく、説明までしてくれたようだ。契約を交わした後からグレイスはまったく記憶にないが、きっと相当頑張ってくれたのだろう。彼女が起きたら、めいっぱいブラッシングしてマッサージして、美味しい食事を用意してあげなくては。
(それにしても、子どもにそんな危険なものを渡すなんて……)
いったい、これを計画した人間は何を考えているのだろうか。
子どもを大人の都合で利用する事件というのは、いつだってひどく腹立たしいものだ。それは、アリアの件を見ていても思う。
同時に、そんなふうにいともたやすく善意を利用できる存在が教会内にいることが気にかかった。
(というより……こんなことができるの、司教であるマルコムくらいよね)
そう思ったが、決定的な証拠がない。そしてグレイスがマルコムを警戒する理由が小説の内容に大きく絡む以上、嘘を吐かず上手にリアムに説明できるだけの自信がなかった。
なのでグレイスはひとまず、マルコムの存在を伏せることにする。彼のことを言及するのは、シャルが目覚めてからでも遅くないだろう。
(あ、そうだわ。私、いつまでもここにいるのはよくないのでは?)
倒れたのが宮廷だったのでここにいるのかもしれないが、リアムが皇位に興味がないことを周囲に知らしめるために、宮廷とはできる限り距離を置いているはずだった。
なら、今グレイスがここにいるのもあまりよくないだろう。
『私、そろそろお屋敷に戻ったほうがいいですよね?』
そう口パクで伝えれば、リアムはかすかに笑って首を横に振る。
「状況が状況ですので、わたしが兄上に、グレイスをしばらくここに置いてもらえるよう頼みました。ですのでグレイスは完治するまで、ここにいてください」
『ですがそれですと……リアム様にご迷惑がかかるのでは?』
「まさか。それに、今グレイスの体を見ているのは宮廷医ではなく、大司教なのです。となると、我が家にいるより宮廷にいてもらったほうが、体調を見てもらいやすいかと」
その言葉を聞いて、グレイスはハッとした。
(そうか。私の体質じゃあ、宮廷医には見てもらえないものね……)
となると神官に診てもらうのが一般的なのだが、グレイスの場合事情が事情なので、診てもらうなら大司教・コンラッドということになる。そうなると、リアムの言うとおりクレスウェル邸に来てもらうより、宮廷に来てもらうほうが要らぬ詮索をされずに済むのだ。
だって、グレイスが魔術を使えない特異体質だと知られるほうが、まずいのだから。
そのことに申し訳なさを感じつつも、グレイスは素直に頷く。
それを見たリアムは、グレイスの頭をそっと撫でた。
「色々と気になることはあると思いますが、今はとにかく安静にしていてください」
『はい……』
「その間に、わたしはこの件に関しての調査を進めますね。グレイスが屋敷に戻ってくる頃には、粗方終えられるように努力します」
そう言われ、グレイスはリアムの服の裾を掴んだ。
(それを、リアムだけにやらせたくはないわ)
だってこの件には確実に、リアムの伯父であるケイレブが関わっている。もしそうなら、リアム一人で対処させるのは危険だ。
だから、私も一緒に。
そう言おうとして、気づけば目の前にリアムの顔があった。
そうしてやってきた唇への柔らかい感覚に、グレイスは目を見開く。
口づけをされたのだと完全に理解したのは、リアムの顔が離れていった後だった。
(え?……え!?)
まさかの行動に激しく動揺していると、リアムがグレイスの唇に触れながら嬉しそうな顔をする。
「グレイスがわたしの想いに応えてくださったこと……とても嬉しかったです」
「あ……あ、そ、それは……っ」
「声、出してはいけませんよ?」
(だ、だれのせいでこんなに動揺しているのだと……!?)
そう思ったが、あまりにも甘い顔をしているものだから、より恥ずかしさが増して文句が言えない。
それどころか初めてのキスだったこと、またリアムが今までに見たことがないくらい愛おしい者を見るような目で見てきたこと。そしてグレイス自身も別に嫌ではなかったことが重なり、頭が真っ白になってしまった。
グレイスが顔を真っ赤にして口をパクパクさせていると、リアムが再度頬にキスをして立ち上がる。
「グレイスの無事も確認できましたし、わたしはそろそろ戻ります。大司教もそろそろ到着しますから、グレイスはこのまま安静にしていてくださいね」
それに対し、グレイスは何も言うことができない。
できないまま、リアムは笑顔でその場を立ち去ってしまった。
(いや、待って!? もしかしなくても、誤魔化された!?)
グレイスが正気に戻りそのことに気づいたのは、それから数分経ってからだった――




