24.友との契約
『……イス』
誰かの声がする。
それはまるで扉を叩くように、どんどん大きくなっていった。
『……イス』
(――なに?)
『……レイス……!』
(――こんなにも眠いのに、だれ?)
そう思っていたが、聞き覚えがある声に意識が浮上する。
『……イス、グレイスッ!!!』
「……え? シャル様?」
『ッ! あなた、ようやく起きたわね……!』
その声に導かれるようにして目を開いた瞬間、目の前に見慣れた純白に青い刺青が刻まれた猫がいた。
ただおかしなことに、浮いている。
さらに言うなら、グレイス自身も浮いていた。しかも着ているものが簡素なワンピースで、ひどい違和感を覚える。
(あら……? 私、こんな格好していたっけ……?)
そこでグレイスはようやく、自身が血を吐いて倒れたことを自覚した。
「えっと、シャル様、私……血を吐いて倒れましたよね……?」
『そうよ。だから今、あたしがここにいる』
どういう意味だろう。混乱するグレイスをよそに、シャルは今までにないくらい真剣な表情をして言う。
『いい、グレイス。今あたしは、あなたの意識の中に入ってる』
「は、はい」
『今はあたしが何とか食い止めてるけど……このままだと間違いなく死ぬわ』
死。
はっきりと告げられた言葉に、目の前が真っ暗になる。
(……死ぬ……?)
こんな、呆気なく死ぬのだろうか。しかも、リアムに想いを告げられないままで。
「……死にたく、ない」
そう思ったら、口からそんな言葉がこぼれていた。
自分自身でも呆気に取られていると、シャルがふんっと鼻を鳴らす。
『生きたいかって聞くつもりだったけど、その感じだとあたしが聞くまでもなかったわね』
「で、ですがシャル様、方法は……」
『方法自体はあるわ。――あなたがあたしと、契約することよ』
あまりにもあっさりと告げられたとんでもない方法に、グレイスは一瞬ほうけてしまった。しかしすぐに我に返ると、首を横に振る。
『で、ですがシャル様がお好きなのは、リアム様ではありませんか……! そんなことをすれば、リアム様とはもう契約できませんよね……!?』
契約というのは、契約者が死ぬまで続くものだ。人外でもある神獣にとっては数十年ほどの拘束時間など大したことがないかもしれないが、しかしリアムもグレイスと寿命は変わらない。
つまりシャルは今後、リアムと契約する機会を失うということだった。
そう言うと、シャルが呆れ顔をする。
『あなた、死ぬ間際までそんなこと言うわけ?』
「あ、当たり前ではありませんか……それに、私への同情心でシャル様が犠牲になるなんて……」
『……あなた、馬鹿じゃないの? このあたしが、同情心ごときで契約するなんて言うと思ってるわけ?』
そう言われ、グレイスは首を傾げた。
「では……責任感でしょうか? 護衛を任されていたのに、それを達成できなかったから……?」
『責任感はもちろんあるけれど、それと契約じゃあ割に合わないわよ……』
「では……なぜです……?」
本気で分からず半泣きになりながらシャルを見れば、彼女ははあ、とため息をつきながら言った。
『……あたしが、グレイスのことを気に入っているからに決まってるじゃない!』
「……え……」
『あたしが、あなたに死んで欲しくないから……だから契約するの! 悪い!?』
「い、いえ……まったくこれっぽっちも悪くありません……」
ただ、シャルにそこまで気に入ってもらえていたこと。それを知って、感極まってぼろぼろと涙がこぼれてしまう。グレイスの意識下ということもあるのか、普段ならば隠せるようなことですら簡単に表面化してしまい、グレイスは戸惑った。
何より、生きられるということが、嬉しくて仕方ない。
感情がめちゃくちゃで、グレイスは壊れたようにぼろぼろと泣き続けた。
それを見たシャルは、珍しくたじろいでいる。
『ちょ、ちょっと、何泣いてんのよ!』
「も、申し訳ございません……色々と嬉しくて感極まってしまいました」
『……ふ、ふん。そこまで言われたらあたしだって、悪い気はしないわね!』
シャルの分かりやすいツンデレが、大変心地好い。
それを受けて、グレイスは笑った。そして涙を拭うと、ぐっとこぶしを握り締める。
(戻ったら絶対、リアムにちゃんと気持ちを伝えないと……)
目の前で吐血したのだ。きっと相当心配しているはずだ。
そしてそのためには、シャルと契約をしなければならない。
グレイスは、シャルを見上げた。
「シャル様。私はいったい、何をしたら良いのでしょうか」
『あたしの言う通りにすれば問題ないわ。けど、早くしないとね……』
どうやらグレイスの容態は、一刻も争うらしい。
そのことに、彼女は改めて事態の深刻さを実感した。同時に、リアムのとなりに居続けることの重さも。
(……けど、こっちはもう、一回死んでいるようなものなのよ。こんなことで引いてなんてやらない)
そして絶対に、リアムのことも救ってみせる。
そんな決意を胸に抱いていると、シャルがグレイスの足元に降りた。
この浮遊空間に足元があるのか、と驚いていると、さらに驚くことに足元に青い魔法陣が浮かび上がる。それは、シャルの体に刻まれたものと酷似していた。
『グレイス。あたしが契約の文言を言った後、自分の名前を告げてからあたしの真名を呼んで、契約を交わすと言いなさい。それで、神獣との契約は完了するわ』
「わ、分かりました……」
ごくりと喉を鳴らしてから頷くと、シャルの体がぱあっと発光して、それがグレイスの足元を伝って上がってくる。
自分の体にもシャルと同じような文様が浮かんだが、不思議と怖くなかった。シャルを胸に抱いているときのような、心地好さがあったからだ。
『我、シャルロティアは、汝、グレイスを主人として認め、これより先汝を守る盾となり剣となることを、ここに誓う』
シャル――シャルロティアの口からこぼれた言葉は、今まで聞いたどの言葉よりも美しく、そして清らかにグレイスの体に沁み込む。
胸から湧き上がる衝動のままに、グレイスは口を開いた。
「我、グレイスは、シャルロティアを良き友として認め、これより先命ある限り汝とともに歩むことを、ここに誓います」
瞬間、魔法陣がよりいっそうまばゆく輝き――視界が真っ白になった。




