23.だからどうか私も一緒に、
すっかり馴染み深い場所となってしまった中央教会は、今日も多くの神官や信者、そして孤児たちであふれていた。
特に子どもたちは庭で元気に戯れていて、ほっこりする。
馬車から降りてその様子を眺めていると、顔見知りの何人かが手を振ってくれた。
それに手を振り返し、グレイスはほっこりする。
(子どもは本当に可愛い……)
何より、グレイスが今直面している政治的などろどろとあれやこれやとは無縁の清い存在で、大変癒された。このまま健やかに育って欲しいと思う。
(あーでもそれを考えると、あのロリコン司教もどうにかしないといけないわよね……)
見れば、何人かの少女の手首や髪に緑色のリボンが巻かれていて、グレイスは思わず遠い目をしてしまった。
あれが、ロリコン司教の今のお気に入りだろうか。多すぎやしないだろうか。
(アリアちゃんも嫌っているし、何か手立てを考えないと)
そうやって物思いにふけっていたら、つんつんとドレスの裾を引っ張られた。
見れば、手首に緑のリボンを巻いた八歳くらいの少女が、グレイスを見上げている。
「お姉ちゃん、むずかしいお顔してどうかしたの?」
「あ……大丈夫よ、ちょっと考え事をしていただけだから」
「そっか。ならこれ、あげる!」
そう言って差し出されたのは、包み紙にまかれたおなじみのキャンディだった。
「しきょうさまがね、甘いものは考えごとをしたあとにいいって言ってたの!」
「まあ……ありがとう。いただくわ」
(子どもの気遣い……最高に尊いわ……)
シャルも子どものことは好きらしく、降りてその足元にすり寄っている。神獣は善良な人間を好むそうなので、まさしくといった感じなのだろう。
そしてリアムのことも好いているところを見る限り、まだ大丈夫そうだ。
(そっか。神獣の態度も、一つの指針にはなるわよね)
自分の感覚を信じられないのであれば、別の、自分が信じられるものを信じればいいのだ。そのことに気づいて心が軽くなったグレイスは、もらったキャンディをポケットに入れてスキップしながらいつもの部屋に向かった。
「失礼します!」
「……え、いつもよりも浮かれていますね……?」
そして開口一番、アリアにそう言われてしまう。
あまりにも無慈悲にばっさりと一刀両断されてしまい落ち込んでいると、アリアが慌てた顔をした。
「そ、その、悪口ではなくってですね……楽しそうだったので、どうしたのかな、と……」
「ああ、そういうことね。それはね、これからいいことを起こす予定なの」
「……やっぱり、グレイスさんは相変わらずおかしなことを言いますね」
しかし珍しく塩対応が甘くなったところを見るに、アリアも大分心を開いてきているのだろう。そのことに、なんとなく嬉しくなる。
(かわいい子からキャンディももらえたし、シャル様に背中を押してもらえたし、アリアちゃんは前よりも心を開いてくれているっぽいし。今日は幸先がいいわね)
このまま、リアムと会う際もばっちり上手くいけばいいのだが。
そう期待しつつ、グレイスは今日もアリアと一緒に神術を学んだ。
先生がいいからなのか、それともアリアが色々と口を出してくれるのがいいのか。最初と比べると随分上達し、今では結界だけでなく神術の中では中級クラスと言われている治癒もできるようになった。
魔術における治癒と神術における治癒の大きな違いは、アプローチの仕方である。
魔術の治癒が創造の片足を突っ込む、言わば再組成に対して、神術における治癒は持ち主の自己治癒能力を高めることにあるのだ。
なので魔術の治癒もあるが、それは難易度が高い上に繊細な技術力が要求されるものだ。よって治癒はどちらかといえば神術の管轄とされている。
(それなのに、遠くない未来でその両方を習得しちゃうんだから、アリアちゃんは本当にすごいわよね……)
興味があるらしく、今回だってかなり意欲的に取り組んでいた。将来が有望すぎる予感しかせず、グレイスは内心かなり応援した。
「この分ですと二人とも、次回は上級クラスの神術である浄化をお教えすることができそうですね」
そんな感じで大司教様にまでお墨付きをいただけた甲斐もあり、グレイスは上機嫌でリアムがいる宮廷に足を運べたのだ。
(ひとまず、宮廷の外で待つならって許可は頂いたことだし……とりあえず私は、リアム様がいらっしゃるまで馬車置き場で待ってましょ)
馬車というのは基本的に馬車置き場に置かれ、それから主人が帰宅する頃に前触れをもらって入口まで移動するものだ。
なのでグレイスはリアムが帰宅する頃を見計らい馬車を動かしてもらい、外でこれ見よがしにリアムの登場を待つつもりだ。
リアムはどこにいたって注目を集める存在なのだから、そのクレスウェル家の家紋が刻まれた馬車から出てきた女なんて、絶対に目立つはず。
そう考えるだけで、きゅうっと胃が痛くなってきた。
(うっうっ……小庶民には苦しい時間だわ……)
しかしリアムのそばにこれからもいるのであれば! と気持ちを奮い立たせる。
こう考えられるようになっただけ、ものすごく進歩したものだ。社交界デビューの際に宮廷に来た際は目立ちたくないと縮こまっていたのに、今はあえて目立とうしているなんて。
(恋愛って本当に偉大な力があるわ……)
そうやって半ば現実逃避をしていたら、従者が「ご主人様がおかえりになられるようですよ」と声をかけてくれた。
それにオッケーを出したグレイスは、今にも飛び出しそうな心臓を押さえるように、胸元の前で拳を握り締めた。
「しゃ、シャル様! 私、頑張りますね!」
『心配しなくても大丈夫よ。だってあんた、あの伯父とかいう男にあれだけの啖呵を切っていたじゃない』
そう言われると確かに、と思う。
(いや、でもあれとはまた違った緊張感があるというか……)
そもそも、リアムにはグレイスがいることは言っていないので、怒られるのではないか? という心配が一点。
何より、勝手なことをしてさらに迷惑をかけるかもしれない、という心配が一点。
とまあ、挙げればきりがない不安に押しつぶされそうになっているわけで。
しかしそれを言っても仕方のないことも、重々承知済みだ。
(よしよし、落ち着けー私。絶対大丈夫だから。演技力には自信がある!)
さらに自分を奮い立たせるべく、教会でもらったキャンディを口に放り込めば、甘い味が口いっぱいに広がった。不思議と力がもらえている気がして、胸が温かくなる。
(よし、行くぞ!)
そう覚悟を決めた瞬間、馬車が止まった。そして従者が扉を開け「ご主人様がもう見える位置にいらしていますよ」と教えてくれた。
グレイスは慌てて馬車から降り、その姿を探す。
すると、従者が言う通りちょうど宮廷へと続く階段の一番上に、リアムがいた。
すうっと息を吸い込んだグレイスは、笑みを浮かべると大きく手を振る。
「リアム様―!」
はしたないと言われるくらいの声量でそう声を上げれば、周囲からの視線が一気にグレイスのほうを向いたのが分かった。
同時に、リアムが目を見開いている。
「グレイスっ!?」
「お迎えに上がりました!」
ちょっとおおげさなくらいの感じの態度を取りつつ、グレイスは紫色の絨毯が敷かれた階段を駆け上がる。ドレスの裾をつまみながらのぼる階段は、なかなかに大変だ。
心臓が緊張か疲労か分からない感じにバクバクと音を立てているので、今後のためにもう少し体力をつけたほうがいいような気がする。
肝心のリアムは、グレイスの姿を認めると脇目も振らず駆け下りてきた。
グレイスがちょうど三分の一ほどのぼったところで、ちょうど落ち合うことになる。
リアムは、ただただ驚いた様子だった。
「グレイス、どうしてこんなところに……!」
「こうやって目立つ行動を取れば、リアム様も伯父様の件を解決する前に婚約発表することに同意してくださると思いまして。きてしまいました」
周囲からばれないくらいの小声で言えば、リアムが一瞬顔を歪める。
「……申し訳ありません」
そして力なくそう呟くのを見て、グレイスは笑った。
「違います。これはちゃんと、私の意思です」
「……グレイス?」
「リアム様の想いにちゃんと答えたくて、一歩踏み出してみました」
そう言えば、リアムが今にも零れ落ちそうなくらい目を見開いた。
グレイスは、にこりと微笑む。
「私も、愛しています。リアム様」
だからどうか私も一緒に、戦わせて。
そう言おうとした。
しかし言えなかった。
それはなぜか。
――声の代わりに、咳がこぼれたからだ。
げほっ。
同時に、口から何かがあふれる。
それが血だと気づいたのは、リアムが顔を歪めてグレイスに手を伸ばしてきたからだった。
「グレイスッッッ!!」
回る、回る。
視界が回る。
気づいたときには、目の前が真っ暗になって。
何も、聞こえなくなった。




