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22.グレイス・ターナーの覚悟

『あの小娘はだめです。やはり始末する他ありません』


 そう記された手紙が男のもとに届いたのは、じっとりと暑い空気が滲む夜のことだった。

 そろそろ雨でも降るのであろう。空には曇天が広がり、より世界を黒く染め上げている。湿った臭いがするこの季節は、男にとってあまり好ましくない時季だ。


 しかしこの手紙に記された〝小娘〟のことは、もっと好ましくなかった。


 なぜかというと、この世で最も尊く高貴なる血を持つお方を、この小娘がたぶらかしているからだ。上手くそれらしい地位に追い込めば、きっと周りが勝手に持ち上げ、そうして皇位に就くことができる。そんな方をだ。

 まさしく、上に立つために生まれた方と言っても過言ではないだろう。神の化身と言ってもいい。


 神力というのにはそれだけの可能性がある。

 敢えて伏せているが、神力というのには人の精神に干渉できるだけの力がある。

 薬と一緒だ。用途を間違えなければ害はないが、使いすぎたり量を増やしすぎれば依存性が出てくる。そういうもの。そこが、魔術との一番の違いだ。


 だからその神力を好きなだけ作り上げることができる皇族という存在は、悪性に染めてしまえばいともたやすく暴君になれるのだ。

 神の血のせいか善性が強く生まれるためにそのようなことに至ったことは一度もないようだが、あの方は違う。善性の中に見え隠れする悪性。つまり、暴君になれるだけの素質がある。


 神の血が薄まったせいか、はたまた別の何かがあるのか。そんなものはどうでもいい。

 その性質が好ましいことに、変わりはないのだから。


 男は純粋にその性質に惚れこんでいたし、同時にその方に尽くして恩を売ることで得られる甘い蜜というものを望んでもいた。


 何より彼は善良でありながら、現皇帝のように自己主張が激しくないところがいい。押して恩を売ればこちらの言うことを聞いてくれる。そういう曖昧でことなかれで生きている人間ほど、操りやすいものはないのだから。

 だから、その地位に至るのを脅かす存在は、邪魔でしかない。


 そしてこの〝小娘〟は、そういう邪魔な存在だ。

 しかし問題を表立って起こしたくはなかった男としては、説得して婚約に至る前に別れてくれればよいと、そう考えていた。だがそれすら叶わないようなのであれば、どんな手を使ってもリアムと婚約できない理由をグレイスにつける必要がある。


 ただし、自分が手を汚すのは避けたい。

 それに、その〝小娘〟のそばには忌々しいことに神獣がいる。神獣は人の放つ悪意に敏感なので、そういった人間が近づけばいともたやすくばれてしまうだろう。尊い存在だが、今はただただ厄介でしかない。


 ――しかしそれは、欠点でもある。


「要は、悪意がなければいいのです」


 何より神獣は、〝神力〟を悪しきものだと感知できない。

 そして男には、悪意のない手駒たちが山といる。


 男はにい、と唇をゆがめた。


 教会にしょっちゅうきているというのも、好都合だ。理由が何かは知らないが、神術を習うためだろう。皇族の伴侶というのは皆、少なからず神術を学ぶと聞いた。

 それは、大気中の邪気を吸い込んで神力を生み出す代わりに、神術を使えない皇族を、もしものときに守るための措置だと聞いたことがある。

 魔術があるのに一体何から守るのだ、と思ったから、よく覚えていた。


 まあどちらにせよ、教会にやってくる事情がある以上、都合がいいことに変わりはない。


「愚かな小娘です。早々にそばを離れていさえすれば、幸福な人生を送れたものを」


 いや、ある意味幸福になれるかもしれない。

 だってそれを食べれば、人間は皆神に会えるくらいの幻覚を見ることができるのだから。


 そう考えたとき、空から大粒の雨が落ちてくるのが見えた――



 *



「……シャル様。私、何を信じたらいいのでしょう」

『何わけ分からないこと言ってんのよ、小娘』


 ケイレブと面と向かって対峙した日の三日後。

 グレイスはいつも以上の警備をつけてもらい、いつも通り中央教会へと向かっていた。リアムは仕事に行っているため、屋敷にいるときよりも教会にいるほうが安全だというリアムの判断からだ。


 そして先ほどのぼやきは、その道中の馬車内でのものである。

 シャルには胡乱な眼差しを向けられてしまったが、しかし思わずそんなことを言ってしまうくらい、グレイスは現状を悩んでいた。


(だって、私なんかじゃリアムの考えていることなんて分からないし……)


 リアムがグレイスに対して言ったことは本当だと信じたい。だが、自分がはめられて破滅するかもしれないと思うと、どこかリアムのことを疑っている自分がいた。

 まるで、小説内でのことを自分自身が実際に体験したかのような恐怖心があるのだ。


(その上リアムは『信じられなくて当然』とか言うし……あー余計わけが分からなくなっちゃうわ……)


 しかも、この三日間ろくに会えてすらいない。話をしたいのにさせてもらえず、グレイスのもやもやは募るばかりだった。

 そういう気持ちを表しての言葉だったのだが、シャルはさらに胡乱な眼差しをする。


『一体、リアムの何が信じられないって言うのよ』

「何って……リアム様が考えていることはよく分からないし」

『そんなの、別の人間同士でも同じでしょ』

「うぐ……リアム様、演技するのが上手いし……あれも全部演技で私を騙すための嘘かもしれないですし……」

『全部事実よ。あたしたち神獣が嘘に敏感なの、あんたも知ってるでしょ?』

「…………」


 見事、全敗である。

 それでもどこか不安な心を拭えずにいるグレイスの肩によじ登り、シャルはぐいぐいと肉球で頬を押した。


『もーじれったい! 何がそんなに不安なのか、全部言いなさいよ! あんたが陰気くさいと、こっちまで気分が落ち込むのよ!』

「……多分、期待して、また(・・)裏切られるのが怖いんだと思います」


 愛していたのに。

 ずっとそばにいたかったのに。

 その人から将来、グレイスは『アリアを殺せ』と懇願される。

 そしてその罪を一緒に背負うのではなく、グレイス一人に背負わせて、リアムは切り捨てた。またそうなるのが、恐ろしい。


「愛って、なんなのでしょうね」


 思わずそう言えば、シャルが不思議そうな顔をして尻尾を揺らした。


『そんなの、簡単じゃない。相手に幸せになって欲しいって心のことでしょ?』

「……しあ、わせ……」

『そしてリアムは今、あんたにそうあって欲しいと思っているの。だから色々するし、できる限り障害を取り除きたいって思ってる。全部、あんたを想ってよ』

「……シャル様にはそう見えていらっしゃるのですか?」

『あたし以外の、クレスウェル邸の使用人たちみんな、そう思ってるでしょ? それくらい、リアムは他人に興味を示さず、一定の距離をずっと保ってきたのだから』


 そこまで言われてようやく、グレイスはリアムのことを信じようと思えた気がした。

 ただそれでもどこか不安が残る。


 それはなぜなのか。

 少しの間自問自答を繰り返し、グレイスはあることに気づいた。


(そっか、私……リアムに裏切られるのも怖いけれど、いざそうなったとき、自分が盲目的に彼の言うことを信じてしまうかもしれないことが、恐ろしいんだわ)


 今のところ、リアムを正しく止められるのはグレイスしかいない。

 なのに小説のストーリーのせいで、その自分の判断にすら不安が残るのだ。さすがにそれは荷が重い。


(私だって、リアムには幸せになって欲しい)


 小説内のセリフではなく、リアム自身の口から吐露されたあの言葉を聞いて、そう強く想った。


 生きていることそのものが罪だなんて、そんなこと思わないで欲しい。

 家族のために己を律し、すりつぶし、できる限り衝突しないように立ち回ってきた人が、なぜこれからも苦しまなくてはならないのだろう。

 皇族だからといって、必ずしも善性でなければならないなんてこと、誰が決めたのだ。


(そして、リアムが私といるだけで安心できて、安らげるというのなら……愛してくれるというのなら。私もそれにしっかりと、応えたい)


 そう決意すると、不思議と胸のもやもやが晴れたような気がした。


「……シャル様。話を聞いてくださり、ありがとうございました。覚悟が決まりました」

『ふん、そう。やれやれね』

「申し訳ございません」

『そもそもあんた、あたしにこんなこと言わせんじゃないわよ! あたしだってリアムのことが好きなんだからね!? まったく、なんであたしがこんな恋敵の背中を押さなきゃならないのよ……!』


 そう言いつつも、シャルは尻尾をピンッと立てて嬉しそうにしている。なんだかんだと認めてくれていることに、グレイスは心の底から感謝した。


「あ、その、シャル様。一つお願いが」

『この期に及んで、まだあるっていうのっ?』

「はい。リアム様のためとなる、大切なことなので」


 そう言えば、シャルがそっぽを向きつつも耳だけをこちらに傾ける。リアムのことを大切に思っているという証拠だ。

 そのことにくすりとしつつも、グレイスはこぶしを握り締めた。


「もし、リアム様がご自身の今までの行動とは違う、明らかに悪いことをしそうになって、そしてそれを私が止めようとしなかったときは……全力で殴って、私を正気に戻してください!」

『……ハア? あんた、何言って』

「この通りです。お願いいたします」


 ソファに降ろしたシャルに向けて深々と頭を下げれば、シャルはその瞳を大きく見開いた。

 それから少しして、シャルは仕方ないというように溜息をこぼす。


『分かったわ。まさかリアムとあんたに限って、そんなことになるとは思えないけれど……そのときは、あんたの頬を全力ではっ倒していつものへにょへにょ顔に戻してあげる』

「お願いいたします!」


 シャルならばそう言ってくれると思ったのだ。きっとリアムの頬を殴れと言われたら『ハア?』と言われるだろうが、グレイスならば容赦なく殴ってくれる。そして正気に戻すにはこの容赦のなさが必要なので、シャルの存在はグレイスにとって希望だった。


(うん、これで、もしものときの対策もできたわね!)


 あとは、行動あるのみである。


(リアムのそばにいたいなら、これからも絶対に面倒ごとがついて回るのだし。逃げるのではなく立ち向かっていける女にならないと!)


 その第一歩としてグレイスは、宣言する。


「よっし! 今日は教会で神術を学んだ帰りに、リアム様のいる宮廷に寄ります! そして衆人の前で『私はリアム様の婚約者なのよ!』ということを見せつけてやります! そうすればさすがのリアム様も、婚約発表しなければならないって思うと思いますし!」

『よく言ったわ、グレイス! 女ならガンガン攻めていきなさい!』

「あ、今グレイスって仰いました!? 小娘呼びでなく名前呼びをしてくださいました!? そんな、私もとうとうシャル様に認めてもらえ……」

『……ちょ、調子に乗るんじゃないわよ! 小娘!? というより、あたしが護衛をしてリアムが愛した女なのよ!? これからはもっとちゃんとなさいよ!』

「ふふ、はーい」


 久方ぶりに明るいやりとりができたことにほっとしながらも、グレイスは窓から護衛に、宮廷に先ぶれを送ってもらえるよう頼んだのだった。

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