21.どっちつかずをやめた日
前回同様、二階の吹き抜けから階段に向かったグレイスとシャルを待っていたのは、前回同様執事に食って掛かるリアムの伯父、ことケイレブだった。
(しまったわ。扇子でも持ってくればよかった)
あれは淑女の標準装備であり、悪役令嬢の必須装備だ。持つだけで戦闘力が上がったような気がする代物だとグレイスは思っている。
思いつつ、「まあシャル様がいるからいいか」とグレイスは開き直る。
状態としては『装備品:白猫(種族:神獣)』である。
シャルが聞いたら毛を逆立て、『何言ってんのよ!?』と怒り狂いそうだったが、幸いグレイスの心の中だけなのでシャルは当たり前のようにグレイスの腕におさまってくれた。
さあ、悪役令嬢の鉄板装備、扇子の代わりに神獣を携え、いざ決戦である。
「リアムはいるのだろう? 話をしたいから、わたしが来ていることを伝えよ」
「申し訳ございません。旦那様から、デヴィート伯爵がいらっしゃった場合はおかえりいただくようにと仰せつかっております」
「何? わたしはあの子の伯父だぞ!? 馬鹿なことを言うな!」
「――馬鹿なことを仰っているのはデヴィート伯爵、あなた様のほうかと存じますが」
こつりこつり。
階段を下りながら、グレイスはそう冷たく言い放った。
すると、グレイスの姿を認めたケイレブが一瞬目を見開き、苦々しそうな顔をする。
「……婚約者気取りのみすぼらしい勘違い小娘ではないか。まだこの屋敷にいたのだな」
グレイスに対する悪意を隠そうとすらしないケイレブの態度と発言に、逆に感心した。
しかし、執事がものすごく怪訝な顔をしている。
(そんな顔をしてもらえるくらい、私はこのお屋敷に馴染んでいるのよね……)
生き残りたい。その気持ちは今も変わらない。
けれど、そのための方法をそろそろ、ちゃんと定めなければならないのだろう。
(思えばずっと、どっちつかずだったものね)
リアムに脅される形で婚約を結んだ後も、リアムのラスボスフラグを折ると言いつつ、あわよくば婚約者という立場から逃げ出せればと本気で思っていた。面倒ごとは嫌いだったし、自分とその家族さえ助けられればいいと思っていたからだ。
しかしリアムを含めた他の人たちに出会い、小説の内容だけではなく直に、その人たちの思いに触れてきた。過去に触れてきた。そしてどんな形であれ、今後降りかかるであろう災厄を避けるための行動を、取ってきた。
そうして、家族、リアム、クレスウェル邸の使用人たち、大司教様、アリア……守りたいものが増えた。助けたいものが増えた。
そうやって自分勝手に動いて、グレイスはもう十二分に、他人に影響を与えてきている。
(それなのにまだ、自分は安全なところで見ていればいいって思ってしまう、けれど)
でも。
否、本気でリアムのラスボス化を止めたのであれば、ちゃんと向き合わなくてはならない。
だって彼はまだ、善良なままでいたいと。そう足搔いているのだから。
それを止められるのは、これから先の未来を把握しているグレイスだけだ。
そのための一歩が、これである。
グレイスはシャルを抱えたまま、にこりと微笑んだ。
「ごきげんよう、伯父様。そのような品のないことをお言いになるだなんて、伯爵家の名が廃るのではございませんか?」
「……なんだと?」
「それに、今回リアム様に会いにいらしたのは、私の件でございましょう? でしたら、私のほうからはっきりとお伝えさせていただきます――私、リアム様との婚約を取り止めるつもりはございません」
ケイレブはより一層顔をしかめた。
「……それはお前のような小娘が決めることではない」
「あら、そう仰る伯爵様にも、決める権利はありませんでしょう? リアム様は皇族であられます。であれば、陛下の許可さえいただければ婚約することに何ら問題はないはず」
「わたしはあの子の伯父だ。口を出す権利がある!」
「後見人でもない方に、そんな権利があるわけがないかと思いますわ」
「なんだと!?」
(すごいわね。私よりもこの国の法律に疎いわ……)
グレイスが今持っている知識もあくまで小説に出てきた記憶だが、皇族の結婚の決定権は基本的にその親か、その代の皇帝にある。リアムの両親が他界した今、その決定権があるのはリアムの兄である皇帝だけだ。
それでもリアムがケイレブのことを注視しているのは、リアムが兄を気にして、問題を起こすのを避けているから。ケイレブがこの件で文句をつけてきた挙句、婚約者であるグレイスに危害を加えるのが分かっているから。
そして、契約関係にあるグレイスの身の安全を第一に考えているからだ。決して、ケイレブに口を出す権利があるからではない。
「そもそも、どうしてそんなにもリアム様の婚約に口を出そうとなさるのですか?」
「お前のような小娘との結婚が、あの子のためにならないからに決まっているだろう!」
「へえ? では伯爵様は、リアム様ができる限り波風を立たせないように立ち回っておられることをご存じでしょうか?」
「……は?」
「あの方が、ご家族である陛下の害にならないよう、息をひそめておられることをご存じでしょうか? そのために私を選んだことも、ご存じで?」
ケイレブがわけの分からないと言った顔をしてグレイスを見た。それに、グレイスは溜息をこぼす。
「この際ですから、はっきりと申し上げます。あの方は、権力に興味がおありではないのですよ。そう考えて立ち回っておられるリアム様の思いなど、伯爵様は何もご存じではないようですね」
「それが、どう、」
「――知らないことそのものが、あなたがリアム様のことを考えていないという何よりの証拠だと、申し上げているのです」
できる限り声を低め、地を這うような声でグレイスは言った。瞬間、ケイレブが一瞬ひるんだ様子を見せる。
下手に甲高い声でヒステリックに叫ぶよりも、このほうがずっと効果がある。甲高い声は頭に入ってきづらいからだ。
これはグレイスなりの、ケイレブに対しての威嚇だ。
それに呼応するかのように、腕の中のシャルが耳を反らし、毛を逆立てる。瞳孔が広がり、牙を見せて怒りをあらわにする頼もしい相棒に背を押される形で、グレイスは言い放った。
「近日中に、リアム様との婚約を公表いたします」
「……なんだと?」
「リアム様は伯爵様を説得してから発表をしたがっておいででしたが、そのようなこともう構いません。リアム様の幸福ではなく己の欲を優先される方など、あの方の家族でもなんでもございませんから」
そう言うと、ケイレブの顔が真っ赤になる。
「口の減らない小娘が……!」
そう言い、手を振り上げたケイレブに対して、グレイスは何も抵抗しようとも、避けようともしなかった。
(ここで殴られれば、それは十二分にこのクソ男を糾弾する理由になる)
執事だけでは目撃者として足りないが、シャルがいれば信頼性は高まるのだ。神獣は人間と違って嘘はつかないと、帝国民皆が知っている。
あとはすぐに医師を呼んで、診断書でも書かせれば完璧だ。ケイレブを社交界から追放したり、犯罪行為をあぶり出して社会的に裁く理由にはならないが、数年黙らせる理由には十分。
そう思い、グレイスは目を閉じた。
(執事さんは止めようとしてくれていたけど、あの距離では間に合わないし)
痛いのは一瞬であればいいなと、グレイスは思う。
しかしそうやって待ち構えていたらぐいっと。後ろに肩を引かれた。
(え?)
ぱしん。
そんな音と共に目を開けば、ケイレブの手首を掴む人が、グレイスを抱き締めている。
リアムだ。
彼は今までにないくらい感情を殺した顔をして、ケイレブを睥睨していた。
それに、ケイレブがびくりと肩を震わせる。
グレイスも驚いていた。リアムが怒りを覗かせる瞬間など、初めて見たからだ。
「……伯父上。どうぞお帰りください」
「り、リアム……」
「――聞こえないのか? 帰れと言っている。わたしの選んだ婚約者に対して暴力を振るおうとする人間など、家族でもなんでもない」
絶対零度の声と共にそう言い放ったリアムに、ケイレブは顔を真っ青にする。
それはそうだろう。言われた対象ではないグレイスですら、恐ろしい。
(というより、敬語で話していないリアム、初めて見たわ……)
小説内だと終盤に敬語が外れたが、そのときの一人称は〝僕〟でこんな命令口調はなかった。
この口調で話すと、リアムがまるで皇帝になったかのように見える。
口調一つでこうも雰囲気が変わるなんて、とグレイスは変なところで感心してしまった。
そんなケイレブを一瞥したリアムは、それっきり興味をなくしたような無表情を作った後、グレイスを抱き上げさっさと二階へ上がってしまった。
リアムの腕の中で固まっていたグレイスは、私室のソファの上に降ろされてようやく、我に返る。
「あ、あの、リアム様……」
「伯父上の件、申し訳ありませんでした。わたしが波風を立たせないよう衝突を避けていたせいで、あなたにそのしわ寄せがいってしまいました。……それに、あのようなことまで言わせてしまいました」
「えっと、あのようなこととは……」
「婚約発表の件です。……本来であれば、すべての障害を取り除いてからやりたかった。ですが伯父上が話し合いでどうにかなる人物ではないと考えたからこそ、グレイスはあのような宣言をなさったのですよね? わたしとの契約を、守るために」
「……そんなことは当たり前です。その契約に見合うだけの対価は、既にいただいていますから」
リアムがいなければグレイスは、すべてを内緒にして神術を学ぶことなどできなかっただろう。
治療効果に関しては未知数らしいが、グレイス一人だけで、またターナー家だけで解決するには、グレイスの抱える謎はいささか重すぎる。それを緩和してくれたのは間違いなく、リアムのおかげだ。
しかしリアムは首を横に振る。
「それこそ、契約内容のうちです。……本当に申し訳ありません」
沈痛な面持ちで目をつむるリアムに、グレイスは唇をわななかせる。
「あ、あの、やはり公表いたしましょう。そうやって私を囮にしたほうが、早く進むと思います。多少の危険性は許容内です、私が我慢すればいいだけですから」
「……それはだめです」
「で、ですがそれが一番てっとりばや、」
「――わたしは、グレイスのことを愛しています。ですから、あなたを危険な目に合わせたくありません」
大丈夫です、直ぐになんとかしますから。
それだけ言って、リアムは弱弱しく微笑むと、部屋を出て行った。
あとに残されたグレイスは、放心状態のまま扉が閉まるのをただ見つめる。
そんな中シャルは、黙ってグレイスの膝の上で丸くなっていたのだった――




