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20.目を逸らしてきたこと

「グレイス。少し、話をしましょう」


 クレスウェル邸に帰宅して早々、グレイスはリアムにそう言われ、向き合う形で座らされていた。

 何がなんだか分からない。しかし、ただならぬ様子なことは分かる。


(私、何かしてしまったかしら……)


 そう思い冷や冷やしていると、リアムが真面目な顔をして言う。


「コンラッド大司教から聞きました。グレイス、あなたはアリアさんに対して、自身の体質のことを打ち明けたそうですね」

「え? あ、はい。それが、何か……?」

「……それがどれだけの危険性を帯びた行動だったのか、自覚はありますか?」

「え?……え?」


 思わず目を瞬かせていると、リアムは夫婦神の話を持ち出し、迫害される可能性があることをグレイスに伝えた。

 それを聞いたグレイスは、顔を青ざめさせる。


(た、確かに考えてみれば、そうなる、わよ、ね……?)


 しかしグレイス・ターナーとして生きてきた中でもそういった情報に触れる機会がなく、前世の知識にもそういったものはなかった。だからか、まったく思いつかなかったのだ。

 きっと今日指摘されていなければ、グレイスはそれを自覚することすらなかっただろう。


 いわば、爆弾を持ち歩いているのに、それを本人が気づいていない状況、というものだ。最悪である。


 グレイスが思わず口元を手で押さえ、絶句していると、リアムが頭を抱えている。

 こんなにも沈痛な面持ちをしているリアムは、初めて見た。


「わたしはてっきり、それを知っていたからこそ神術を学びたいと言ってきたのかと思っておりました……」

「そ、その……無知で、申し訳ございません……」


 生活にまったく不自由しなかったので、全然分からなかったのだ。

 なんて言っても、無知なことには変わりない。しかもこの歳になってそのレベルのことを知らなかったとは、無知は恥とはよく言うものだが、事実だなとグレイスは思った。


 グレイスが真面目に落ち込んでいると、リアムが慌てたような顔をする。


「いえ、以降、気をつけていただけたら、それで構いませんから……アリアさんはその点を、理解されているようでしたし」

「ほ、本当ですか……よかった……」


 さすが小説のヒロイン。善性が違う。

 というより、それを知っていたから話したようなものだったが。


(けれど、これに関しては圧倒的に私が悪い……)


 そう思い猛省していると、安堵したようなリアムの顔が視界に映った。

 そこにあるのはただグレイスを思っての『安堵』で、裏があるような感じはしない。

 どくりと、胸が嫌な音を立てる。


(……今までずっと、目を逸らしてきたけれど)


 リアムは本当に、グレイスのことを愛してくれているのではないだろうか。


 そう思ってしまう程度に、小説内の行動と今のリアムの行動は、違っていた。

 シャルを護衛につけてくれた件もそうだし、グレイスが過ごしやすいように屋敷の中を変えていいと言ってくれたのもそうだ。それに、今回の指摘だってそう。


 だってリアムとしては、グレイスが無能であればあるほど、ありがたい。だって皇位からできる限り遠い位置にいたいのだから。


 そしてグレイスが欠陥を持った人間であれば、今まで期待していた人間の中でも半分以上が、リアムから遠ざかるだろう。

 代わりに、グレイスのところに糾弾するような人や言葉、ものが投げ込まれる。

 ただこれも、小説通りの『リアム・クレスウェル』であれば、歓迎すると思うのだ。


 なんせ今回、グレイスがやらかしたのは自分の無知が原因だ。そうなれば最初に契約した内容に適応しない。つまり、都合よくグレイスを利用できる。

 そしてそれでグレイスが矢面に立つことになっても、むしろ好都合だと考えるはずだ。


 だって小説内ではそうやって、自分は被害者の顔をしてグレイスを利用し、挙句見捨てたから。


 それは、小説だからだろう、と思えたら簡単だ。しかし、小説と食い違ってきている点もあれば、妙な強制力のようなものが働いて、小説通りになったこともある。その最もたるフラグが、婚約フラグだろう。


 思うに、絶対に変えられないフラグというのが、この世界には存在するのではないだろうか。


 そして。


(リアムが私のことを利用するというシナリオが、その『絶対に変えられないフラグ』だったとしたら……?)


 そのときは間違いなく、破滅一直線だ。それは、恐ろしい。

 恐ろしいと思うのに。


 どうしようもなくそれを信じてみたい自分もいて。

 グレイスは、無意識のうちに言葉を発していた。


「リアム様はどうして、私にそこまでしてくださるのですか?」

「……それは」

「私には、自分に、そのような価値があるように思えません」


 そう言えば、リアムが目を見開く。

 グレイスは、そのままの勢いのまま言葉を重ねた。


「私は別に、人から好かれる容姿をしていません。何より、自分勝手に生きています。そんな私の一体どこに、好きになる要素があるのでしょう」


 改めて、まったく好きになる要素がない女だな、とグレイスは自分を客観的に見て思った。本当にどうかと思う。

 すると、リアムは微かに笑みを浮かべながら言った。


「……前にも言いましたが、わたしの影響を受けず、わたしの話をちゃんと聞いてくれる。それだけで、価値があることなのですよ」

「そう言いますが、別に私以外でもいらっしゃるでしょう。アリアさんとだって、話していたではありませんか」


 アリアは第一皇子の伴侶となる少女なのだから当たり前かもしれない。が、その理論でいくとアリアにも可能性があることになる。

 すると、リアムは首を横に振った。


「彼女とグレイスでは、まったく違います」

「違う、とは」

「……あなたといると、凍えたような気持ちがやわらぐのです。黒く塗りつぶされそうな心が明るく照らされるのです。……そしてひどく、許された気持ちになるのです」


 許すとはいったい何を?


 眉を寄せ、首を傾げれば、リアムは妙に落ち着いた声で続けた。


「生きていることそのものを、許されている気がするのです」

「……え?」

「わたしは、生まれてはならない皇族でしたから」

「そんな、こと、は、」

「皇族は皆、清らかな心と他人に尽くす心が備わっているものなのです。それが、神の血を継ぐ者の定めですから。――ですがわたしにはそれがなかった。それどころかいつも、自分の心が黒く塗りつぶされるのを恐れていました。今までの善行はそれを隠すため、そして家族のことを想っての、ただのふりです」

「そんな、こと、は……」

「いいえ。わたしはね、そんなふうにつまらない生き方しかしてこなかった、つまらない人間なのですよ」


 淡々と、まるで物語でも紡ぐかのように静かに語るその声が、今は痛ましい。


 しかしこんなふうに、リアムが自分の胸の内を吐露するシーンは、小説内では独白にしかなかった。

 そしてきっと今、グレイスが対面しているリアムも、本音を打ち明けたことはほとんどないのだろう。

 それは、今回の発言からも窺えた。


(……私はこれでも、リアムの言葉が嘘だって言えるの?)


『私が、あなたを好きになることは絶対にありません。あなたが、私を好きになることが絶対にないように』

『……好きにはなりません。これは、お互いの利益のための契約結婚ですから』


 自戒も兼ねて、リアムに投げつけた自分の言葉が脳裏にこだまする。

 どれが本当でどれが嘘なのか。グレイスにはもう、分からなくなってしまった。


(正直言って、ここまでつっけんどんとした態度を取れたのは、彼が私を利用しようとしているのでは? という前提があったから……)


 けれど、それだけではなく、グレイスのことを考えての行動を見せられると、揺らいでしまう。

 もともと、顔は好みなのだ。余計だろう。

 それに小説の件がなければ、グレイスはきっとリアムの言葉や行動をそのまま受け取れていた。出会いこそあれだったが、普通に好きになっていたとさえ思う。そう思うと、何を信じていいのかさえ分からない。


 言葉を失うグレイスに、リアムは微笑んだ。


「あなたがわたしを信頼できないのも、仕方のないことです。今まで、そういう生き方しかしてきませんでしたから」

「それ、は、」


 家族のためでしょう。

 そう言おうとして、グレイスはやめた。

 この世界のリアムのことを、グレイスは実際に知らない。小説を知っているからこそ知っていただけだ。本当ならば知らないことをぺらぺらと話せば、気持ちが悪いものとして見られる。


 そして気づいた。


(私は……一度でも、リアム自身を見たことがあったのかしら)


 分からない。もう何も。

 何が正しくて、何が間違っているのか。

 自分のため、家族のためと思って取った行動が、本当にそうだったのか。


 そう思って、俯いたときだった。


 ソファの端で成り行きを見守っていたシャルが、すっくと立ち上がった。


『リアム。小娘。例の人間が来たみたいよ』

「例のって……」

「……伯父上ですか」


 ブッチン。

 その名前を聞いた瞬間、グレイスの中で何かが切れて弾けた。


(……あんの、くそ空気読めないオヤジ……こんなときにこなくても、いいじゃない?)


 今グレイスは、リアムと大事な話をしているのだ。正直、お前などお呼びではない。


(ほんと、こいこい! と思ったときには来ないくせに、こういうときにはまるで計ったようにくるなんて……許さない)


 そもそも元から、待っているだけなど性に合わなかったのだ。結局こうなるのであれば、最初からもっと面と向かって戦えばよかったと思う。

 グレイスはゆぅらりと立ち上がりながら、にっこりと微笑んだ。


「折角ですので私、リアム様の伯父さまと今日こそ決着をつけてきますね」

「え」

『ふん、よく言ったわ小娘! 行くわよ!』

「はい、シャル様」

「え、ふたり、とも、少し落ち着い、」


 珍しく動揺を隠せないでいるリアムをそのまま置き去りにして、グレイスはシャルと共に玄関まで向かったのである――

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