19.愛と恋の、はざま
グレイスがアリアの発言に悩み、アリアがそれをいいことに自主勉強をしてから早数時間が経った。
そうしてやってきたリアムとコンラッドの姿に、グレイスはほっとする。ただ、その目が綺麗な紫色ではなく、どこにでもありそうな青色だったことには驚いたが。
(あーもしかして、アリアちゃんにばれないようにするため?)
紫色の瞳は、皇族の証だ。
そして紫色の瞳で成人した男性ともなれば、帝国では二人しかいない。皇帝とリアムだ。
リアムのことなのでそれが思いやりなのかどうかはともかく、意図が合ってしたことだということは分かる。だからグレイスは黙っていた。
そんなリアムは来て早々、こう言った。
「グレイス。あなたはコンラッド大司教と、別室でいつも通り神術の訓練をしていてください」
「えっと、それは……」
「わたしは、彼女と面と向かって話がしたいと思っていまして」
リアムがこのようなことを言うのは、かなり珍しい。なんせ、何にも無関心だからこそ今まで浮いた話一つなかったからだ。
それだけ興味を抱いたのかな? とも考えたが、腑に落ちない。それがなんとなく、もやもやする。
それが表情に出ていたのか。リアムは目を丸くした後、にこりと微笑んだ。
「安心してください。わたしの心をつかんで離さないのは、この世でグレイスだけですよ」
「…………いってきます」
気にして損した気分になりながらも、グレイスはコンラッドと一緒に部屋を後にしたのだった。
*
リアム・クレスウェルは、訝しんでいた。
アリア・アボットという少女を。
正確に言えば、グレイスが一瞬で心を許した『アリア』という少女に対して、不信感と嫉妬心をまぜこぜにした感情を抱いていた。
というのも、リアムから見てグレイスは「とても警戒心が強い女性」だったからだ。
リアムと初対面の頃から警戒心が強い様子だったし、リアムの伯父であるケイレブに対しても大胆ではあったが慎重かつ冷静な対応をしていた。
またリアムと一緒に過ごしていても、あまり心を開いてくれる感じがない。
シャルに対してだけは例外だったが、それも相手が動物だということもあり、あまり気にしたことはなかった。
ただ、第一印象からそのような感じだったので、きっとそれがグレイスなのだろう、と思っていたのだ。
それなのに、どうだろう。
アリアという少女に、グレイスはひどく心を許しているようではないか。
リアムにはあまり見せない笑顔を見せてもいたし、何より彼女の話をするときは楽しそうだった。
自分と一緒にいるときよりも、だ。
それを見て、相手が少女なのに嫉妬心を燃やしたことは反省している。
ただその後、大司教であるコンラッドからアリアの話を聞いた際、リアムは耳を疑った。
……ただの少女相手に、グレイスは自身の特異体質のことを話した?
それは、衝撃としか言いようがない。
だってそれはグレイスにとって、何よりも知られたくない秘密のはずだからだ。
なんせ、魔力が使えない人間は、迫害の対象になる。
魔力が夫婦神の片割れである母神に由来するものだからだ。
母神から力を分け与えてもらえなかった落ちこぼれ。
それが、人々からの認識である。
それを避けるため、皇族はそういった先天的に特異性のある人間を教会に集め、神術が使えるように教育を施すよう、教会側に働きかけた。それも秘密裏にだ。
権力者がそういったことを大っぴらにすると、より反発心を高めてしまうという当時の皇帝の意向だった。リアムもきっと同じようにするはずなので、その対応は正しかったと思う。
そうすることで、「父神の力が使えるのであれば、夫婦神はその人間を見捨ててはいない」と人々に認識させたのである。
その努力の甲斐もあってか、今は魔力なしの人間に対する迫害は減った。
しかしそれでも、多くの人間が使えるものが使えないというのは、どうしても軋轢を生む。なので隠すことが多いのが現状であった。
そして後天的に魔力が使えなくなったグレイスは、その中でもより一層特異だった。
グレイスが教会に通っている間、リアムも色々と調査を進めたが、そういった事例は数少ない。それが貴族ともなると、ゼロに等しかった。
当たり前だ。そんな家の恥を、貴族が晒すわけがない。
グレイスが言いたがらなかったのも、そういった側面もあるだろうなとリアムはそのとき思っていたのだ。
だからリアムはグレイスが「神術を学びたい」と言ったとき、彼女はこういった迫害を見越してそのような発言をしたのだと思っていたし、なおのこと慎重で賢く、警戒心が強いのだなと思った。
なのに、それを初対面の少女に打ち明けたのだ。
あまりのことに、聞いたときは頭を抱えたものである。
しかしそうまでして友人だと言い、親しげな様子を見せる少女のことは、なお気になる。
また、叶うならば一度会って、釘を刺しておきたいとも思っていた。
それがリアムが、アリアに会うと決めた理由だ。
――そして改めて顔を合わせ、リアムは首を傾げた。
グレイスは一体、この少女の何に惹かれたのでしょう?
ぱっと見、それは分からない。ただ、賢い少女だということは分かった。
コンラッドに「身分は明かさず話したい」と言っておいたので、リアムが誰なのか知らないはずだし、瞳も変えているから皇族であることは分からないはずだが、緊張した面持ちで向かいに座るリアムを見つめている。
リアムは、自身の表情を意識しながら、口を開いた。
「初めまして、僕の名前はリアム。グレイスが君のことをとても気に入っていてね、君と話してみたいと思っていたんだ。僕は彼女の、婚約者だから」
「……そう、ですか」
「アリアさん、と呼んでも構わないかい?」
「はい」
リアムは普段とは違う言葉遣いを、ごくごく自然に口にした。
真実の中に、嘘を混ぜる。
それを自然に行なうことは、リアムにとって何一つとして難しいことではない。
その上で、相手に自身が望む行動を取らせることは、そう難しいことではない。
今までだって、そうしてきたのだから。
だから今回も同じようにするだけだ。
そう思いながら、リアムは口を開く。
「一つ、確認したいんだ。アリアさんはグレイスのことを、どう思っている?」
「……どう、とは……」
「うん、そうだね。僕が聞きたいのは……彼女に対して、悪意を抱いているかどうか、だ」
リアムはにこりと微笑んだ。
「大司教から聞いたよ。君はグレイスから、彼女の特異体質についての話を受けたって」
「っ、」
「グレイスがどういった意図でそれを話したのかは分からないけど……君はそれを聞いて、その情報を利用しよう、とは考えたかな?」
「……」
動揺した様子のアリアが唇をぎゅうっと噛むのを見て、リアムはアリアの性格を悟った。
この少女は、どうしようもなく善良である、と。
事前に生い立ちも調べたからこそ、なお思う。善良で、正義感にあふれ、そして頭の回転が早い少女だ。グレイスが将来有望と言ったのにも頷ける。
コンラッドが目をかけているという点からも、きっと大成するであろうということが窺えた。
ただどちらにしてもそれだけで、グレイスが特異体質を打ち明ける理由にはならないが。
そう考えていると、アリアが意を決したように口を開く。
「……ターナー様のお話を聞いて、驚きはしましたが……それを利用しようとは全く思いませんでした。ただ……罪悪感は感じています」
「罪悪感?」
「はい。ターナー様がわたしにあの話をなさったのは……わたしが彼女にひどいことを言って、そしてそれをたしなめるためだったからです」
リアムはアリアから詳しい話を聞いた。そして、あまりにも大胆で無鉄砲な献身に、内心頭を抱える。
そうまでして、この少女に目をかける理由が、あるというのでしょうか……?
リアムが口元を押さえながら黙り込んでいると、アリアが少しだけ前かがみになって言った。
「もし、信用できないのであれば、宣誓しても構いません!」
「……宣誓か」
宣誓というのは、神の前で言葉による契約を結ぶ方法だ。
それを使い秘密保持の宣誓を行なえば、誰であってもその話題を口にできなくなる。
当事者同士がいなくても、神の前、司教クラスの人間が立ち会えば、宣誓は行なうことができた。
そして口にしようとすれば、契約違反として罰が与えられる仕組みとなっていた。軽度で痛み、ひどい場合は死に至る。どちらにせよ、その苦痛は計り知れない。なので相当な覚悟がない限り宣誓したがる人間はいない。
そう考えると、アリアという少女はますます善良であることが証明された。
何より、リアムといてもあまり彼の体質の影響を受けていないのにも驚く。まさかそんな人間と、こうも出会うとは。
今は確かに、力の源となる目を隠していますが……それでも、ある程度は影響を受けるはずです。
リアムが出会った中で彼の気に当てられない人間は、皇家の血を継いでいる者、そしてその伴侶たちだけだ。つまり国内だと、皇帝である兄の妻、皇后くらいなものである。
ただ別にアリアには、グレイスのときに感じた衝撃はなかったが。
グレイスの審美眼を褒めればいいのか、なんなのか。
リアムは色々と考えそうになり、しかしそれを途中で打ち切る。今この場で考え込んでもらちが明かないことは明白だったからだ。一度、グレイスと腰を据えて話し合う必要がある。
とりあえずリアムは、一つ頷いた。
「宣誓は、ぜひしてもらいたいな。大司教には話をしておくから、お願いできるかな? それくらい、重大なことだから」
「そう、ですよね。ですが……あなたのような方がそこまで心配なさるのは、婚約者だからですか?」
そこまで言われて、リアムはぴくりと肩を震わせた。
……確かに、わたしがここまでしてグレイスの秘密を守るのは、どうしてなのでしょう。
そもそも、グレイスに目をつけたのはその立場からだ。しかし魔力なしという欠点を周囲に明かしたほうが、リアムがより皇位に興味がなく、また権力から遠ざかろうとしていることが分かるだろう。
周囲からの反対はすさまじいだろうが、リアムが盲目的にグレイスを愛しているという証拠にもなる。
なら、グレイスの特異体質を隠す理由は、ないはず。
なのにリアムがそれを隠す理由は、なんだ。
……グレイスが絶対に傷つくことが、分かっているから。
リアムは、家族に自身の体質のことを知られることを恐れていたグレイスの姿を思い出した。
彼女は気丈なように見えて、ただのか弱い少女だ。周囲から後ろ指を指されれば傷つくし、苦しむだろう。その要因に自分が関係しているとなれば、なおのことだ。
だってグレイスは、リアムと婚約さえしなければ、そんな思いをしなくても済む。
リアムの都合で彼女と婚約をする以上、できる限り苦痛は与えたくなかった。
彼女は、リアムに安らぎと押さえ込んでいた感情を与えてくれる唯一の存在だから。
――感情を出すのが怖くないと感じたのは、グレイスといるときだけだった。
――生きるためだけにしていた食事を『美味しい』と感じたのは、グレイスといるときだけだった。
――そして、嫉妬なんていう醜い感情を抱いたのも、グレイスが関係したときだけ。
彼女の瞳に映るのが自分だけであればいいとすら、思う。独占したいとも。
この自己中心的な感情は、恋なのだろう。
しかし今こうして根回ししているのは、グレイスのことを想ってだ。
グレイスの知らないところで様々な根回しをしているのも。
これは、リアムが家族に対して行なう行為と同じ。
つまり、愛だ。
そして、グレイスにももっとリアム自身を見て欲しいと思うこの感情は――
そこまで考えて、リアムは思考を放棄した。胸の内側からどろりと、黒いものがこみ上げてきそうになったからだ。
それは決して比喩ではなく、確かに思考を巣食おうとする。だからこういうときの対応は、思考も感情も切り離して、しまいこむことだった。
そうしてにこりと微笑めば、アリアが驚いた顔をしている。
「え、あ、の……」
「……どうかしましたか?」
「……いえ、見間違いだったようです」
アリアは首を横に振った。何か見たような顔をしていたが、それを言う気はないようだった。
しかしリアムとしては、特に気にならない。なのでそのまま流した。
それと同時に、アリアを見る。
「それと、一つお願いが」
「……なんでしょう」
「グレイスは君のことを、友人だと言っていたんだ。彼女は貴族だけれど貧乏で、友人がいないみたいでね。そんなグレイスが友人だと言った君はきっと……特別なんだと思う」
「……特別……」
「だから、もしよかったらこのまま、仲良くして欲しい。君の話をするグレイスは、とても楽しそうだったから」
自分にはこれから先、グレイスから同じ視線を向けられることはないのだろう。
そう思いながらもそれを奪うことはできず、中途半端な献身を続けるこの感情は、一体なんなのか。
グレイスにそばにいて欲しいのに、婚約を思い直そうとしているこの矛盾した想いはなんなのか。
『……好きにはなりません。これは、お互いの利益のための契約結婚ですから』
そして、グレイスが以前言った言葉を思い出し、どうしてこんなにも胸が痛むのか。
リアムには、分からなかった。




