17.軌道修正を試みようと思いまして
「……というわけでリアム様。大司祭様にお話を通してくださり、ありがとうございます。お陰様で、とっても素敵な友人もできました!」
リアムの屋敷に滞在してから三週間経った朝。
グレイスはリアムと一緒に朝食を取りながら、そう言った。
今日の朝は焼きたてのふかふか白パンにルッコラのサラダ、アスパラとベーコンのポーチドエッグのせだ。かかっているソースが濃厚で美味しく、もう一皿お願いしたくなる味だった。そのおかげでフォークとナイフを動かす手が止まらない。
(卵料理で特に最高なのは、この半熟の黄身を割って他の食べ物に絡める瞬間よね!)
ここが実家であったなら、はしたないとは知りつつもパンにつけて食べていた。ただここではさすがにやらない。それが結構残念である。
グレイスが朝食の美味しさに喜びつつも色々なものをこらえている一方で、向かいに座るリアムの手がぴたりと止まる。
「……友人、ですか?」
「はい。まだ十歳の少女なのですが、頭がよいので将来が期待できる少女でして。ちょっと、いえかなり……まあまあ、可愛げのないところもあるのですが、それも含めて可愛らしい子なんです」
「可愛らしい……です、か……」
(なんだが愕然としている様子なんだけれど、私おかしなことを言ったかしら……?)
そう思ったが、アリアはリアムの甥の妻(予定)だ。つまり、遠からず家族になるということである。ここで知っておいても問題はないだろう。
予定と一応言ったものの、グレイスがこうして半強制的にリアムの婚約者になりかけているところを見ると、妻(確定)と言ってもいいかもしれない。
(それに、リアムがアリアちゃんのことを知れば、その才能を見込んでもっと早く学園に通う準備が進むかもしれないわ。そうしたら、私が一年早く小説の内容を進行させてしまったことの帳尻が合うかも)
リアムが闇堕ちしないように、グレイス自身も細心の注意を払いつつ全力で止めるつもりではあるが、それでもこのよく分からない強制力のようなものがそこでも働いたとすれば、闇堕ちラスボス化の確率はゼロではない。
その保険の意味でも、アリアの成長はなるべく早いほうがいいとグレイスは考えた。
なんせ、リアム闇堕ちしてラスボスが勝利するということは、この国の滅亡を意味する。
『滅びようとしている国を救う聖なる花=アリア』という意味でつけられた『亡国の聖花』という小説のタイトルが破綻してしまうのは、大変まずいのだ。
そしてそのためには、外部からの刺激かもしくは才能を見込んで力を貸してくれる権力者が必要になる。それに、リアムはうってつけだ。アリアを危険視する可能性も上がるが、それよりも速いスピードで成長してくれればこっちのものである。
(もちろん、それをアリアちゃん自身が望んだら、だけれど……)
人の心は、グレイスの思考通りには動かないのだ。それは当たり前である。
とりあえずグレイスは、自身の読みの甘さを嘆きつつも、「そんな理由で私を選ぶなよ!」と内心リアムに対して改めて毒づいた。保険のために、展開を軌道修正する身にもなって欲しい。
そんな下心もありつつ、グレイスはアリアのことをリアムにさらにアピールすることにする。
「なんだかんだと口では文句を言いつつ、私に神力の詳しい使い方を教えてくれたのです」
『まあ、あたしもレクチャーしたけれどね』
「その節は本当にありがとうございます、シャル様」
『ふふん。いい心がけね』
実際、神力というものがどういうものなのか、一番分かりやすく教えてくれたのはシャルだ。
なんせ、グレイスが神力というものがどういうものなのかすら理解できずにうんうん唸っていたら、こうアドバイスしてくれたのだから。
『あんた、なんでそんなに悩んでんのよ』
「え?」
『リアムの周りにずっと漂ってるじゃない。ここよりもずっと濃い神力が』
(あの話を聞いた瞬間、「それかあ!」ってなったものね……)
グレイスは以前、リアムのことを『天然の空気清浄機』と表したが、つまりあれである。あの「なんとなく空気が澄んでいる……」現象である。
同時に、リアムが今まで空気中の邪気を吸って、神力を吐き出していたことを知ってなるほどなと感心した。
同時に、小説内ではその辺りについて詳しく記載されていなかったことは気にかかる。が、とりあえずリアムのおかげで認識することができたことは大変喜ばしい。
グレイスがこの辺りで立ち止まってしまった一番の理由は、魔力が術者の内部から作り出される力だというのに対して、神力が空気中から集めるものだったからだ。
なので神力を感じてしまえば、あとはすんなり進むわけで。
そこに色々な意味でグレイスの状況を見兼ねたアリアが手伝ってくれたおかげもあり、かなり上達したのだ。
「というわけで、シャル様とアリアさんの助けもあり、無事自己防衛くらいの神術は使えるようになりました!」
「……そう、ですか」
「はい! 神術だけでなく魔術の才能もある少女みたいなので、将来は絶対に有望ですよ!」
「……将来……」
「まだ怪我したばかりの子猫のような態度を取られてしまいますが、そんなところも含めて可愛らしいので、これからもできるだけ仲良くしたいと思っています!」
そう、テンション高めに告げると、リアムが口を拭ってから言う。
「グレイスがそこまで仰る少女とは、気になりますね。わたしも、一度同席しても構いませんか?」
「私は大丈夫ですが……リアム様がいらしても問題ないのですか?」
「はい。中央教会では三日後、月に一度の礼拝が開かれますから。私は毎回参加していますし、そのタイミングであれば周囲から怪しまれることもないでしょう」
(あー、なるほど。それは確かにうってつけね)
他の教会が週に一度礼拝を行なうのに対し、中央教会の礼拝は月に一度だ。これはそれだけ、中央教会の礼拝が特別な意味を持つ、ということでもある。
理由は二つ。
一つ目は、大司教が開くものだから。
そしてもう一つが――リアム・クレスウェルこと、聖人公爵の参加だ。
ただでさえ浄化作用の強い教会内に、天然空気清浄機の聖人公爵が現れる。
当然、人々はその礼拝に参加したがるわけで。
大司教がいる間は、貴族と庶民枠のこそあったが事前の抽選で決めていた。
(まあこれも、大司教様が亡くなってから大きく変わってオークションみたいになり、貴族を含めた多額のお布施を寄付できる金持ちたちだけが参加できるイベントに変わってしまうのだけれど……)
そしてこれを主導していたのも、例のロリコン司教ことマルコム・フィッツである。
そう考えると、マルコムの存在は割と害悪な気がしてきた。
(マルコム、この辺りで手を打っておく? いやいや、あれはアリアちゃんが宮廷内で昇進するきっかけとなった案件だわ。それを私が取ってしまったら、あとから問題が起きそうな気も……)
ただここまで害悪だと、周囲の人間を既に相当苦しめている気もする。そう考えると、調べる必要がありそうだなとグレイスは思った。
(どちらにしても、情報を集めないと裁くこともできないものね)
この件に関しては、グレイスの小説知識が活用できないのも痛い。せめて目星でもつけられたらよかったのだが。
ただリアムがアリアに興味を抱いてくれたのはよかったと思う。
(一応、作戦は成功かしら? ならよかった!)
そんな風に思考を彼方へと飛ばしていたグレイスは、「それはとても楽しみですね」と言うだけでリアムの様子に注視していなかった。
だから気付かなかったのだ。リアムが「アリアですか……」と呟いていたときの表情が、他人に興味を抱いたときの顔ではなく、相手を警戒したときの顔だったということを。




