15.推しには上手に転んで欲しいファン心理
神術を教わり始めてから早一時間。
グレイスは改めて、自身の能力の低さを嘆くことになった。
それは何故かというと。
「まず、神力というのがどういうものなのかを感じましょう。神力というのは言わば、空気のようなものです。この帝国にいれば誰しもが感じる力ですので、それを手のひらの上に集めてみましょう」
「空気を……手のひらの上で集める……?」
「はい、できました。大司教様」
「えっ」
そして、その次のステップでも。
「次に、神力に願いを込める工程です。この際に込める願いで、神力がもたらす効果が変わります。どんな願いでも構いませぬが、他人を傷つけたり欲を満たすものとなると反応しませんので、注意してくだされ」
「は、はい」
「今回は、神に向けて『守って欲しい』という願いを込めましょうか。願いを込めると色が変わりますので、それを目安にしてみてくだされ」
「ね、願い……」
「……はい、できました。大司教様」
「……」
そして最後の工程でも。
「最後に、その神力を形作りますぞ。これは、込めた願いを最適な形で叶える形、というものになりますな」
「最適ですか……」
「はい。ですので、たとえば『守って欲しい』と願うのであれば、手元にあるそれを半円状に伸ばすイメージをするのです」
「な、難易度……」
「……大司教様。このような感じで大丈夫ですか?」
(で、できている……)
こんな感じで、グレイスが四苦八苦している間に、アリアはあっさり神術の基礎をマスターしてしまった。
完全に完敗である。
そもそも勝負はしていなかったがそれでも、歳下にこうもあっさり追い抜かれるのは大変悔しいし恥ずかしい。
そして、どうやらそれはアリアのほうも同じだったらしい。
「……神術の才能、ないんじゃないですか」
ばっさりとそう言われ、グレイスは思わず「うっ」と呻き声をあげた。
「アリア。そのようなことを言ってはなりませんぞ」
「ですが大司教様。その貴族に才能がないのは明らかです。そんな人のために大司教様の大切な時間を使わなければならないのは。おかしいと思います」
(くっ。ド正論……っ)
その上、膝の上で丸まるシャルを指差して、アリアは続けた。
「それに、その猫、神獣ですよね? けれど、契約している感じではありません。つまり、他の契約主がいるっていうことです。そんなに恵まれている人なんですからなおのこと、許せません」
ひどく刺々しい言い方に、さすがのコンラッドも口を開きかける。しかしそれを、グレイスは制した。
(だってこれは、私が言わなければ意味がないもの)
そう。世の中には、正論だけでは成り立たないし。
何より今のアリアの発言は、グレイス・ターナーの人生を見ているのではなく、一般的な貴族――その中でも、悪徳と言われるたぐいの貴族のことを見て言っているのだ。
つまり、思い込みな上に、ただの八つ当たりなのだ。
ということで、しっかり訂正させていただく。
「アリアさん、と呼んでもいいかしら」
「……なんですか」
「まず、訂正させていただきます。シャル様は、契約主のいない神獣よ」
「……は?」
「ですが、私の婚約者を愛しており、そのために護衛を引き受けてくれた大変尊いお方なの。そこは間違えないように!」
びしっと指を差して言えば、アリアがぽかんとした顔をしてグレイスを見てくる。その一方で、膝の上のシャルは『その通りよ、間違えないで』とグレイスの言葉に深く頷いて見せた。その隙に、グレイスは言葉を続けた。
「また、私は確かに子爵家の娘ですが、大変貧乏よ。使用人は一人だけ、料理掃除、また農作業、牛や猫の世話……これらすべて、私自身でやっているの」
「それ、は、」
「そして、本来ならば十五歳ほどで社交界デビューするのが通常ですが、ドレスを用意するためのお金を工面する関係で、私は十八歳……つまり今年、デビューしたわ」
「…………」
「アリアさんの言い方からして、私たち貴族のことをよく思っていないのは分かる。でも、皆が皆、あなたが想像するような貴族じゃないことだけは分かっておいて。まああなたからすればそれでも、恵まれているように見えるかもしれないけど」
「……なぜそんなこと、言うんですか。ただの子どもの戯言だと笑うか、怒ればいいのに」
先ほどとは違い困惑した声で、アリアはそう言う。
それに対しグレイスは、あっけらかんとした態度で言い切った。
「だってあなた、子どもでしょう。なら、なんでも吸収できる。それに私なんかよりもよっぽど賢くて才能があるのだから、私の話を理解してくれるだろうなって思っただけよ」
「……なんですか、それ」
不貞腐れたように唇を噛み締めるアリアに、グレイスは笑う。そして、あ、と声を上げた。
(そうだ。もう一つ、ちゃんと訂正しておかないと)
グレイスは人差し指を立てて言った。
「それと、もう一つ。私に才能がないのは確かにその通りだけれど、だからってそれが私が諦める理由にはならないの。だから、大司教様にはこれからもお世話になるわ」
「……やっぱり、図々しいじゃないですか」
「図々しくもなるわ。だって私、魔術が使えない体になってしまったのだもの」
「………………え?」
金色の瞳を丸くしてグレイスを見るアリアに、彼女は笑った。
「それなのに、命を狙われる立場になってしまったのよ。だから自衛のために、私は死に物狂いで神術を学ぶの。あなたの思う通りにならなくて、ごめんなさいね」
そう言うと、アリアは少しの間呆けてから、顔をくしゃくしゃに歪めて部屋を飛び出してしまう。
反射的に追いかけようと思ったが、そんなグレイスをコンラッドが止めた。
「申し訳ございません、ターナー嬢。ですが、しばらくの間、一人にしてあげてくだされ。あの子に必要なのは、一人で考えるための時間かと思いますので……」
「あ、はい、分かりました」
「それと……アリアの代わりに、わたくしがお詫び申し上げます」
深々と頭を下げられてしまい、グレイスは狼狽えた。
「お、おやめください、大司教様! アリアさんの言うことは、間違いではないですから!」
そう。大司教という立場はあくまで名誉職のようなものだが、その存在は教会の中でもとても輝かしいものである。なんせ、司教、司祭、神官といった存在にとって、大司教というのは憧れの存在なのだ。
なので、アリアが言うようにただの弱小貴族が、神術を習うためにお世話になっていい相手ではない。
(それでも大司教様が出てきたのは間違いなく、私がリアムの婚約者候補だから……)
同時に、グレイスの特殊な体質を診れそうなのが、コンラッドのように知識も経験も豊富な人しかいなかったということでもある。またリアム同様誠実かつ実直な人なので、秘密を守ってくれそうなところもリアムがグレイスのことを頼んだ理由だろう。
とまあ、事情を知っていれば分かることだが、それを知らなければ、アリアのような考えを持つのは当然なのである。
そう説明したのだが、しかしコンラッドは首を横に振った。
「それでも、あの子をこの場に同席させたいとターナー嬢にお願いをしたのは、わたくしです。子の不始末の責任は、親が取るもの。今のアリアにとっての親は、このわたくしですから……」
「大司教様……」
「しかもそれだけでなく、あなたはアリアを諭し、しかもご自身の秘密まで打ち明けられました。それはとても、重たいものです」
(あれは……)
グレイスはぽりぽりと頬を掻いた。
彼女がどうしてあの場で自分の体質を打ち明けたのかというと、相手がアリアだったから。そして、あそこまでの秘密を打ち明ければ、アリアが自分の行ないを悔い改めるタイプだと知っていたからだ。
(私もアリアちゃんが荒んでいる時期だとは知っていたけどさ……さすがに、あの言い方には腹が立ったからね。やり返したい気持ちはあったのよ。……まあ後、純粋なお節介もあったけど)
実際、アリアは小説の中で今回と似たようなこと――見た目には出ない重い病を抱えた同年代の令嬢がコンラッドの治療を受けるために教会で暮らすようになるのを見て、グレイスに対して言ったときのような、ひどい言葉を吐いてしまうのだ。
それは、ようやく心を開けるくらい尊敬できる人が別の少女、しかも大嫌いな貴族の娘にばかり構うことへの嫉妬でもあった。
だが、コンラッドでも、その令嬢の病は治せなかった。そうして、令嬢は教会を後にする。
その事実を彼女が帰ってから知ったアリアは心の底から自分の行ないを後悔した。しかし謝罪をするのを躊躇っているうちに、その令嬢は亡くなってしまった――
そのときの後悔はそれから一生、アリアの心に付きまとうことになる。
同時に自分自身も偏見を持っていたことに気づいたアリアは、もっと様々な角度から物事を見れるようにならなければ、と寝食を惜しんで書物を読み漁り、経験を重ね、実践を繰り返し、上へ上へと上り続けていくことになるわけで。
そんな小説のエピソードを覚えていたからこそ、グレイスはあんなことを言ったのだ。
(けれどこのエピソード、ものすごく賛否両論あって、それはそれは荒れた部分なのよね……だって相手は、重い病を抱えていたわけだし)
『幾ら知らなかったとはいえ、初対面の相手にいくらなんでもそんなことを言うのはどうなんだ』という勢と、『これがあったからその後のアリアの生き方があり、物語がより輝くのだ』という勢が、大きく二分したエピソードである。
ちなみに前世のグレイスとしては、半々の気持ちを抱えていた。
なのでそういう気持ちもあり、今後大きな過ちを犯す前に、相手の立場も考えてくれればな、というグレイスなりのお節介だったわけだ。
当たり前だが、グレイスはアリアという主人公が好きである。だから転ぶならばせめて、軽くあって欲しいと思うのだ。
(まあ私の秘密はあくまで、命にかかわりがある内容ではないからね……アリアちゃんが受けるダメージは、あのエピソードよりもまだましでしょ。それにアリアちゃんは、他人の秘密を言いふらすタイプでもないし)
というのは、グレイスが小説の内容を知っていたからこそ知り得た情報だ。
なので、初対面の相手にあそこまで言ったのは確かにおかしい。こう言ってはなんだが、まるでアリアが考えを改めるように、我が身を犠牲にした献身的な令嬢に見えなくもない。コンラッドの反応も、大袈裟とは言えないわけだ。
しかし同時に、これを理由にもう少し深くアリアについて聞き出せるのではないか、とグレイスは思った、そのため、躊躇いつつも口を開く。
「でしたら、一つ教えてください。アリアさんをこの場に同席させたのは、どうしてですか? 理由を教えてくだされば、すべて不問にいたします」
そう言えば、コンラッドは少し逡巡した後、重たい口を開いた。
「それは……アリアがとても、心に深い傷を負っていて。そしてあなた様が、リアム様の婚約者であらせられるからです」




