14.いい加減、学習しようと思いました(事後報告)
グレイスがクレスウェル邸にやってきてから、早一週間経った。
その間に、伯父であるケイレブが何か仕掛けてくるのでは? と考えていたが、まったくそのようなことはなく。グレイスはシャルの世話をしながら、屋敷の女主人よろしく力を振るっていただけだった。
(なんでこんなことになったのかしら……)
肝心のリアムはというと、グレイスが関心を示しているからなのか、前より食事というものに興味を抱き、美味しそうに食事を取るようになったと執事長が泣いていた。
同時に、使用人たち皆が、前よりも楽しそうにされている、と泣いた。
使用人たちに愛されていることは分かるが、皆泣きすぎである。
(ただ、現状を見ているととてもではないけど、闇堕ちラスボス化しそうな感じじゃないのよね)
これは、グレイスとして大きな一歩である。求婚された後、方針を大きく変更してよかったとほっとした。
(このままいけば、私の死亡フラグも折れるかも)
そしてもしかしたら、私を愛してくれるかも、なんていう考えが浮かんで、グレイスは慌てて首を横に振り甘い考えを振り払った。
(何、馬鹿なこと考えているのよ、グレイス。リアムは、婚約者候補に対して親切にしてくれているだけ。それに、私に「わたしが好きになれば、あなたもわたしを好きになってくださるということでしょうか」なんて言ったのは、私が他の令嬢と違った反応をしたから、からかっただけよ。絶対にそう)
そう言い聞かせ、グレイスは深呼吸をした。
そうしていると、リアムに裏切られて嵌められ、犯人扱いされたときのシーンが浮かんで、頭の芯が冷たくなるような、そんな心地になる。
まるで、本当に自分がそのシーンを体験したかのような感覚だった。
そんなリアリティある感覚のおかげか、浮ついていた気持ちがすうっと退いていく。
グレイスは再度深呼吸をしてから、改めて今後の方針を確認した。
(第一に、リアムとある程度仲良くなること。せめて、私を利用しようなんて思えなくなるくらい)
これは今のところ、順調だ。何よりいいのは、使用人や神獣といった第三者たちにも好意的に見られている点である。保険がどれくらい利くのか分からないが、せめて一人ぐらいもしものときに味方をしてくれたらありがたいと思う。
(第二に、ケイレブに私の殺害を企ててもらうこと。これは、今はなんともないけれど、これから絶対に何か起きるはず)
なんせ、この世界はどうやら、かなりの強制力が働くようなのだ。グレイスがリアムの婚約者にさせられる流れになったのは、このせいである。しかもきちんとグレイスの弱みを握られてのものなので、確定フラグを折るのにはそれ相応の代償が付きまとう。
何よりケイレブにとってグレイスは、目の上のたん瘤でしかない。ならいずれ必ず、行動を起こすはずだった。なのでこれは、シャルに護衛をお願いしつつ、待つしかないだろう。
(そして第三に! 自衛できる程度の何かを! 身に付ける!)
そしてこれは本日から、行動できそうだった。
そう。リアムがとうとう、神術を教えてくれる相手を見繕ってくれたのである。
同時にそこで、グレイスが魔術を使えなくなった原因についても探ってくれる人をあてがってくれるそうだ。
というわけでグレイスは今日から、その相手がいる場所――中央教会へ向かうことになったのだった。
*
中央教会というのはその名の通り、教会において最も重要な場所だ。宮廷同様、首都にあり、その規模は教会の中でも最大とされている。
(そして中央教会と言えば、『亡国の聖花』のヒロインであるアリアちゃんが連れてこられた教会!)
ヒロインのアリア・アボットは元々、庶民の両親と一緒に住んでいたが、父を三歳の頃に事故で亡くし、母を八歳の頃、病で亡くした。それから二年間、小さな孤児院で過ごすのだが、その孤児院が劣悪な環境だったのだ。
子供たちに暴力を振るったり、食事を抜いたり、また好事家に売ったりしていた。
そんな孤児院の仲間たちを守るために、アリアが魔力を暴走させてそれにより救出されたのが、今年の春頃だ。
その一件を機に魔術の才能があると分かったアリアは、中央教会に預けられてそこで基礎的な魔術や神術を教わり、大司祭や仲間たちとの触れ合いによって傷ついた心を癒していくことになる。
ただこの一件に絡んでいたのは、悪徳貴族だった。
それもあり、アリアは貴族というものを毛嫌いしていくことになるわけで。
この件が、アリアが魔術を極めて宮廷で働き、国を変えていこうと考える理由になっていくのだ。
そして、この国唯一の、魔術神術両方が使え、尚且つ怪我から病気までありとあらゆる治療をできる、治癒魔術師兼神術使い――聖女と呼ばれるようになる。
(ほんと、生き残るために、って考えしか頭にない私とは、大違いよね)
アリアの行動原理は基本、「これ以上、自分たちのような人間が生まれないようにすること」「これ以上、苦しむ人が生まれないこと」だった。
聖女という称号に相応しい考えだ。
その一方でグレイスの行動原理は「自分が死にたくないから」「目の前で大切な人が傷つくのを見たくないなら」「自分も人を傷つけたくないから」、それだけである。とてもではないが、立派な理由とは言えない。
そしてそう思っても変えようと思えない辺りに、人間性が滲むなとちょっと思ってしまった。
アリアに比べればグレイスはこんなにも恵まれているのに、おかしな話だ。こんな感情のまま彼女に会うのは良くないな、とグレイスは馬車に揺られながら思う。
(まあその中央教会に行くと言っても、教会内は広いし。私がアリアちゃんに会うことはないでしょうね)
膝の上で丸くなるシャルを撫でながら、グレイスはそう思った。
このときの考えを、グレイスは直ぐに後悔することになる。
――いい加減、お前は学習するべき、だと。
教会に到着し、部屋に案内され、事前に精密検査と称した触診を終えるや否や、グレイスは冷や汗をかくことになった。
それは何故か。理由は二つある。
「ターナー嬢。このたびは、よくぞおいでくださいましたな」
「い、いえ……こちらこそ、偉大なる大司教様にお会いすることが出来て、光栄です」
一つ目は、グレイスの体を見る兼神術を教える教師、というのが、六十代ほどの口ひげを蓄えた男性――大司教、コンラッド・エリソンだったことだ。
そして二つ目は。
「神術を学びたいとのことでしたが……もしよろしければ、この子もご一緒させていただいても構いませぬか?」
「……か、彼女は……」
「はい。彼女はアリア・アボット、と申します。つい先日、我が教会に保護された少女なのですが、魔術のみならず神術の才もございまして。今、基礎から勉強をしているのです」
「……彼女が嫌でなければ、ぜひご一緒させてください」
「ほほ、あなたならばそう言ってくださると思いました。ありがとうございます、ターナー嬢」
――何故か、アリア・アボットと一緒に神術を学ぶことになった、という点である。
(本当、いい加減学習しましょう、私……起きないって思ったことは、大抵起こるんだってことを!)
むしろこのままいくと、グレイスがわざとフラグを振ってそれを回収することを望んでいる、みたいに見えてしまう。そんなことは決してないのだ。だって漫才をしているわけではないのだから。
だけれど、実際のアリアを目の当りにしたら、今までの不安や悩みがすべて吹き飛んでしまった。
それくらい、アリア・アボットという少女は幼く、またか細かったからだ。
身長は、百センチほどだろうか。歳にしては小柄で、尚且つ細い。肩口ほどで切り揃えられた金髪は、身長も相まって彼女をより幼く見せていた。
それも、あまり健康的な細さではなく、栄養不足による細さだった。その証拠に、肌も青白い。また夏なのに長袖を着ていて、その服が大きめだからかなおのこと、彼女が小さく見えた。
きっと長袖を着ているのは、打撲痕や傷跡を隠すためなのだろう。
詳しくないグレイスですら、その程度の予想はできた。
また、顔もほっそりしていて、あまり血色が良くない。春頃にやってきたはずなので三か月ほど経つはずだが、それでもカバーしきれないだけの虐待の痕が、彼女には残っていた。
グレイスともその金色の目を合わせないので、対人に関しても未だに警戒心が拭えないのだろう。
こんな少女に対して劣等感を覚えるほど、グレイスは自己肯定感が低くはない。
(というより、どうして私と一緒に学ばせようとしているの、大司教様……!)
前世を含めるともう大人と言っていい年齢だったが、大人の考えることはよく分からないと思う。きっと、なんらかの意図があってこのようなことをしていると思うのだが。
しかしグレイスとしても、生き残るために必死だ。なのでアリアに気を遣って、学びをおろそかにするわけにはいかない。
というわけで、グレイスはアリアと一緒に神術を学ぶことになったのだ。




