9.人類は皆、お猫様の下僕(誇張アリ)
「シャル様ー! お待ちください!」
『……あんた。田舎娘のくせに、立場を理解してるじゃない。そうよ、あたしのことはシャル様とお呼びなさい!』
「はい、シャル様」
『いい返事だわ。それから、あんたはあたしのしもべよ! リアムに言われたから仕方なく……仕方なく守ってあげるけど、自分の立ち位置を勘違いしてもらったら困るわ。よく覚えていきなさい』
「はい、シャル様」
(言われる前から、既にしもべ認識でした、シャル様)
なんていう言葉を呑み込みつつ、グレイスは「ここに座んなさい」と言わんばかりに前足をたしたししているシャルの近くで正座した。
瞬間、ものすごく微妙な顔をされる。
(動物って意外と表情豊かよね)
恐らく、グレイスがここまで素直に座るとは思っていなかったのだろう。しかも正座。完全にシャルのことを上に見ている証である。
グレイスを「田舎娘」呼ばわりしたり、しもべだと言ったりして下に見ている風が強いシャルだったが、どことなく憎めない雰囲気なのはここだ。
こう、悪女になり切れない悪女、といった雰囲気が強いのだ。
(かわいいわ、シャル様……)
なぜだろうか。この可愛らしさ、とても既視感があるのだが。
と思いつつ和んでいると、尻尾をたしんたしんと石畳に叩きつけながら、シャルが言った。
『ふ、ふん。しもべとしての心得はちゃんとしているわね、いい心がけだわ』
「はい、シャル様。御足が汚れてしまいますから、よろしければ私がお抱えしましょうか?」
『あら、気が利くじゃない。いいわ、抱えなさい』
「はい、シャル様。失礼いたしますね」
そう言い、グレイスはシャルを抱えた。そして副次的にその毛並みの良さを堪能する。
(思っていた以上に、さらさらすべすべ……ものすごく撫でくり回したい……)
が、最初からそんな調子で触ってしまえば、お猫様は心を開いてはくださらないのである。
なのでここはぐっと我慢し、シャルの言うとおりにする。
正直、抱えているだけで幸福だ。ぬくいし癒される。今までの苦労が、お猫様を抱えていることで浄化される気がした。
グレイスがシャルの存在を堪能していると、シャルの機嫌がよくなったのか、こちらを見てくる。
『そういえばあんた、どうして護衛が必要なのよ』
「はい。理由は二つあるのですが、一つ目は私、魔術が使えないのです」
『へえ。……は?』
「四か月前くらいに、唐突に使えなくなったのですよ~」
『呑気な田舎娘ね!?』
(シャル様、ツッコミが鋭くて会話のテンポが楽しいわ)
こう、どことなく既視感を覚えるのはどうしてだろうか。そう思わず首をひねっていると、呆れた目を向けられた。
『それで。もう一つの理由を言いなさいよ』
「はい。二つ目は、私が命を狙われる予定だからです」
『……命を狙われる予定?』
「はい」
グレイスは、シャルが退屈にならない程度に嚙み砕いて、簡潔に理由を説明した。
すると、シャルはふうんと鼻を鳴らす。
『人間って面倒臭い生き物よね』
「ですよね~」
『……あんた、吞気過ぎない?』
「はははは。これでも結構必死に生きたいと思っています」
(一度死んで生まれ変わっているのよ。この世界でくらい長生きしたいじゃない……)
何より、痛いのも裏切られて絶望するのも、誰かが死ぬのも嫌だ。
この世界にきてから、生きるためにねずみや虫といった人間に害がある生き物を殺すことも増えたが、未だにできればやりたくないと思っている。心臓がきゅうっとなるからだ。
それが人間になれば、数日は絶対にうなされる自信がある。そして、一生苛まれるであろうことも。
そしてねずみや虫であれば数日で引く罪悪感が、生きている間中付きまとい続けるかと思うと、ぞっとするのだ。
だから、できればリアムが誰かを害するところも。グレイス自身がそんなことをしなければならない事態に遭遇するのも、嫌なのだ。
なので、リアム闇堕ちラスボス化フラグを立ててくる伯父の排除は絶対だ。
この男に関してはどんなに避けようとしても絶対に邪魔をしてくるので、グレイスが婚約者になることで手を出してくるこのタイミングで退場してもらうのが最適解である。
ただ、ここで重要になってくるのは、リアムの存在だ。
(リアム・クレスウェルは、家族に関することが地雷。だから、利用すること自体が危ないと見ていい)
リアムの闇堕ちラスボス化を防ぐのであれば、彼らを利用して第一関門である伯父を捕まえるのは絶対に駄目だ。その場ではなんとかなったとしても、生き続けていくにあたって障害になる可能性が高くなる。
しかしリアムにとってグレイスは、まだただの婚約者――現状では婚約者候補でしかないので、リアムの地雷ではない。
つまりグレイスは今回、自分が生き残るために自分を餌にして、伯父を捕まえようと考えていた。
本末転倒では? という声が聞こえる気がするが、設定と小説通りのストーリーは知っていても考察は得意ではないグレイスができることなど、たかが知れている。なので命を張るくらいでないと、リアムの闇堕ちラスボス化フラグはへし折れないと思うのだ。
(婚約フラグはへし折れなかったしね……)
まあそこはこれからへし折れるかもしれないので、ひとまずはリアムのほうだ。
もちろんグレイスも、勝算がない状態で我が身を犠牲にするようなことをするつもりはない。
(けれど私には今、シャル様がいる!)
人間の護衛なんかよりグレイスの側にいやすいし、よっぽど頼りになる。また彼女ならば、魔術と神術が使えるのだ。物理攻撃を防げないグレイスの弱点を上手くカバーしてくれるはず。
よって、グレイスが今後の作戦の成功確率を上げるには、シャルといかに仲良くできるかにかかっている。
(うなれ! 私の、前世から今までで培われた動物懐柔術……!)
グレイスはそう、拳を握り締めたのだった。
*
その一方でリアムは、一度教会に寄って大司教に会い、グレイスの件を相談してから、再び馬車へ乗り込んだ。
屋敷を出た頃は午前中だったが、その頃には昼を過ぎている。時刻としては、帝国の中流階級までの間で広まっている、午後の紅茶時間辺りだろう。
かといって食にこだわりも執着もないリアムは、遅めの昼食を取らずにそのまま真っ直ぐと、馬車を宮廷へと走らせた。
――できる限り早く帰って、グレイスに会いたいですしね。
ただ表立ってきているわけではないため、馬車は家の紋章をつけていないものを。また魔術で姿を変え、ぱっと見は宮廷の魔術師を装う。
そしてこれから人と会う場所も、宮廷にある図書館、その奥にある隠し部屋だった。
隠し部屋の扉を閉めた後、リアムはようやく詰めていた息を吐き出す。
それとほぼ同時に、リアムは誰かに抱き締められた。
「リアム! 久しぶりだな!」
聞き馴染みがある声を聞き、リアムは知らず知らずのうちに頬を緩めた。
それはいつもの慈愛にあふれた笑みでも、美しい造形品のような微笑みでもなく、どことなく少年を彷彿とさせる無邪気な笑みだ。
「……お久しぶりです、兄上」
抱き締めてきたのは、リアムの兄でありこのブランシェット帝国の皇帝――セオドア・アルボル・ブランシェットだった。
リアム同様、銀髪に紫色の瞳をしているが、リアムの瞳よりも幾分色が薄く、赤みが強い。一般的に洋蘭色と呼ばれる部類の色だった。
その上髪も短めにしているからか、リアムが中性的で儚げなのに対して、セオドアはどちからというと男性的で活発に見える。リアムよりも体を鍛えているのもそれをより引き立てていた。
性格も見た目同様、セオドアのほうが明るく朗らかで、リアムのほうが大人しく控えめだ。しかし絆はどの家の家族よりも強い。
リアムが今まで、自分の中にある闇と戦い続けられたのも。
本当ならばどうでもいいと思っている帝国民に対して、献身を続けられているのも。
セオドアを含めた〝家族〟という存在があったからだ。
その家族の中でもセオドアは、リアムにとって特別だった。
一回り年齢が離れていたからか、早熟なリアムの気持ちを誰よりも理解して、その上で尊重してくれたからだ。
自身が他者と明らかに違う、非道徳的で倫理観が欠如した思考を持っていると気づいたときも相談し、否定するのではなく受け入れてくれたのも、セオドアと今は亡き父だった。
だから、宮廷から離れるということは、リアムにとって断腸の思いだったのだ。
しかし自分の存在がセオドアの邪魔にしかならないこと。力になるためにはリアムが積極的に行動するよりも、適度に行事に参加しつつ息をひそめているほうがいいということに気づき、セオドアが即位すると同時に臣下に下ったのだ。
だから今こうして会いに来ているのも、実を言うとあまりよいことではない。リアムが皇族とかかわるだけで、周囲はどうしてかリアムが皇位に興味があると捉えてくるからだ。
その危険性を承知の上で、こうしてこっそり兄に会いに来たのはもちろん、グレイスの存在を彼に伝えるためだった。
しばし久方ぶりの会話を楽しんだリアムは、一口紅茶を含み口を湿らせてから、言った。
「それで、兄上。わたしの結婚相手についてなのですが」
「! な、なんだ。とうとう、とうとうか⁉」
「……兄上、どうか落ち着いてください。紅茶がこぼれそうです」
「す、すまん。だが、あのリアムがだぞ……? 感動するなというほうが難しいだろう……っ」
まだどんな人物なのか話していないのにこうも感動されると、いささか困惑してしまう。しかしそれは同時に、セオドアがそれだけリアムのことを気にかけていてくれていた、ということでもあり、頬が自然と緩んだ。
ただ、いざグレイスのことを話すとなると、なぜだかいつも以上に緊張してしまう。
貴族たちを相手に腹の探り合いをしているときよりも、よっぽど緊張した。
無意識のうちにごくりと喉を鳴らしたリアムは、努めて笑みを浮かべながら言う。
「名前は、グレイス・ターナー。今年社交界デビューを果たした、十八歳の少女です」
「ほうほう。選んだ理由は?」
「ターナー家はどこの派閥にも属しておらず、また権力にも興味がなく、自領を維持するのでいっぱいいっぱいといった財政状況でした。わたしが皇位に興味がないことを示すのに一番向いていたのが、彼女だったのです」
そう言えば、今までワクワクしていたセオドアの様子が落ち込んでいく。
「……リアム。お前がわたしのため、また皇族としての責務を果たすために献身し続けてくれているのは、分かっている。だが生涯の伴侶まで、そんな理由で決めなくていいんだ」
「……兄上」
「欲を出していいんだ。だってお前は今まで、わたしたち家族のために我慢をし続けてきたんだからな」
そう言われ、リアムはあいまいに微笑んだ。
 




