結婚式前日に友人と入れ替わってしまった……!
朝目覚めたら、違う人間になっていた。
「どういうこと? どうして私はキムになっているの?」
簡素な鏡台の前に座り曇った鏡を覗き込んだ私、キャンディス・ベネットは、自分の頬を両手で押さえ途方に暮れた。サラサラとした真っ直ぐな金髪はウェーブのある茶色い髪に、グリーンの瞳は濃い茶色に変わっていた。これは紛れもなく同じ教室で三年間を共に過ごした元同級生、キンバリー・ラッセルの顔だ。
「どうしよう……明日はパトリックとの結婚式なのに」
昨日は結婚式の準備リストの最終確認を終え、久しぶりにゆっくりパトリックとのお茶の時間を楽しんだ。あと二日で夫婦になれるねって微笑み合って、別れ際、軽く頬に口づけすると彼は公爵家へと戻って行った。独身最後の一日は家族とゆっくり別れを惜しむつもりで私は眠りについたのだ。
それなのに、目が覚めた時違和感があった。いつもの天井ではない。私は違う部屋に寝ている! 急いで飛び起き見慣れぬベッドカバーから抜け出してドアに向かおうとした。そして鏡台に映る自分を見て、腰が抜けるほど驚いたのだ。
「キム?! キムがいるわ?!」
ふらりと鏡台前の椅子に座り込んだ。頬をつねっても叩いても、髪を引っ張ってもこれはキムの顔だ。私の顔ではない。
「夢かしら。それとも私の頭がおかしくなっているの?」
嫌な汗が背中を伝う。その時ドアがノックされ、返事もしていないのに誰かが入って来た。
「キンバリー様、朝食の時間を過ぎております。早くお支度なさって下さい」
髪をキュッと引っ詰め、キツい顔つきのメイドはそう言うとすぐにドアを閉めようとした。
「待って! 待ってちょうだい」
片眉を上げ、嫌そうに振り返ったメイドは何ですか、と苛立たし気に答えた。
「あの、ここはどこですか? 私は、誰ですか……?」
彼女はハア、と大袈裟にため息をつくと腰に手を当てた。
「私は忙しいんですよ。ご存知のように人手が足りないんでね! 寝惚けたこと言って手間をかけないでいただけますか? ここはラッセル男爵家、あなたは長女のキンバリー様です。わかったらサッサと朝食を済ませて下さいませ」
冷たく言い放つとドアを閉めて行ってしまった。
(そんな。他人からも私はキムに見えているの? どうして……)
だがとにかく寝衣のままでは何も出来ないのだから身支度をしよう。そして自分の家、ベネット伯爵家に行ってみようと決意した。
どうやら身支度を手伝ってくれる侍女はいないようなので、部屋の中を探してドレスを見つけた。
小さくて華奢なキムと、がっしりして背が高い私とでは体型がずいぶん違う。色の好みも違っていて、そういえばキムはいつもピンクのドレスを着ていたなと思い出した。ほとんど同じピンクのドレスばかりだが色褪せていたり小さかったりで、着られる物は少なかった。その中から一番マシなドレスを引っ張り出し、なんとか着替えをした。
部屋を出て食堂を探してみる。小さい屋敷のせいかすぐに見つかった。恐る恐る入って行くと、既に家族は食事を始めていた。ラッセル男爵、夫人、そしてキンバリーの兄だ。
「キム、寝坊なの? 暇だからといってだらしない生活しないでちょうだい。来週は北部に領地のあるダリアン男爵と顔合わせしてもらいますからね。少し歳上だけど結構財産のある方だから、愛想よくして必ず気に入られるのよ。何の取り柄もないあなたは、せめて裕福な男性に嫁いで私達を援助してくれなくてはね」
教室での雑談の中で、キムは卒業したらすぐに見合いをして結婚しなければならないと言っていたような気がする。母親からこうやって圧力を掛けられていたのか。
「明日のボルトン公爵家の結婚パーティーで良い人を見つけたらそれでもいいわ。ただし、お金持ちの相手に限るわよ。いいわね」
ボルトン公爵家のパーティー。それは、パトリックの屋敷で行われる私たちの結婚披露パーティーのことだ。そのパーティーで相手を見つけるようにと、今私は言われているわけだ。
(悪い冗談だわ……誰か、これは夢だと言って)
だが夢だとは誰も言ってくれないまま居心地の悪い食事は終わった。こうなったら仕方がない。私は『私』に会いに自分の家に行こうと、執事に馬車を頼むことにした。
しかし馬車は一台しかなく、男爵が乗って出掛けるため使えないと言われてしまい、仕方なく歩いて行くことにした。この家ではキムには護衛も付けてくれないらしい。一人で出掛けるのは不安だけど、このままでいるわけにはいかない。どうしても元の自分に戻らなくては。
こんなに歩いたのは生まれて初めてだったが、なんとかベネット家に着くことが出来た。たった半日離れていただけなのに、なんと我が家の懐かしいことか! 門番のダンまで愛おしい。
「ああ、ただいま、ダン!」
思わず声を掛けてしまった私をダンは訝し気に見つめた。だがもちろん失礼な態度は取らない。歳の頃からいってキャンディスの知り合いだと判断しているのだろう。
「失礼ですが、ベネット家に何か御用でしょうか、レディ?」
やはり私だとわかってもらえないようだ。それならばせめて疑われることのないよう、友達として会いに来たことにしなければ。
「あの。キンバリー・ラッセルと申します。キャンディスさんの学友です。約束無しの訪問で申し訳ありませんが、キャンディスさんに会わせていただきたいのですが」
ダンに何とか取り次ぎを頼み、彼が屋敷内に向かう。もう一人の門番、ジョンは反対側の門柱の側に立って動かない。しばらくして屋敷から戻って来たダンの答えはノーだった。
「キャンディスお嬢様は、本日はご家族で最後の団欒を楽しみたいと仰っておられます。ラッセル様とは明日の披露パーティーでお会い出来るのだからお話はその時に、とのことです」
「そんな! お願いよ、ダン! 私、どうしても今日中に彼女に会わなくてはならないの!」
門の鉄柵に縋り付き無理矢理開けようとした私を、ダンはやんわりと、だが断固として押し留めた。
「ラッセル様、主人の許可のない方をお通しすることは出来ません。今日はお帰り下さい。次回は、事前にお約束の上お越し下さいませ」
「そんな……」
私は頭の中がグルグルして、気分が悪くなった。こんな所で吐いたりしたらみっともないと、込み上げてくる吐き気を必死で抑えながらトボトボとラッセル家に向かう。どうしてこんなことになったのかと考えながら。だけど、なにも思い当たることはないし、どうやったら元に戻れるのかも全く見当がつかなかった。
足が痛い。長い時間歩き続け、靴と擦れた踵が焼けるように熱く、いっそ裸足になって歩きたいくらいだ。
「痛いわ……パトリック、助けて……」
パトリックに助けを求めたい。でもこんな姿になった私を拒否され、否定されるのが怖い。目が覚めたら別人になっていたなんて一体誰が信じてくれるだろう? いつの間にか両の目から涙が流れていた。
このままキムとして一生を過ごしていくことになったらどうしよう? そして、今、私の身体の中には誰がいるんだろう? キムなのかそれとも違う誰かなのか。彼女も混乱して怯えているのだろうか。
(明日は結婚式。あんなに楽しみにしていたのに……。どうしてなの)
明日の午前中、私達は王宮の教会で厳かに結婚式を挙げる予定だった。王宮内にある歴史ある佇まいの教会は、王族と公爵位の貴族しか使用することが出来ない。ゆえに、国中の女性の憧れだ。もちろん私も、あそこでウエディングドレスを着ることを夢見ていたし、もうその夢は手の届くところにあったのに――。
(待って。王宮って確か……)
王宮のことを考えていた私は、ある事を思い出した。それは我がアステリア王国に伝わる魔法使いの話。人の力では説明がつかない不思議な事件を解決してくれる、千年の時を生きる美しき魔法大臣の事を。
(行ってみよう。もうそれしか手は無いもの)
私は痛む足を引き摺りながらラッセル家とは反対方向にある王宮を目指して歩いて行った。
翌朝はとても良い天気だった。私の好きなスカイブルー。雲一つない、抜けるような青空だ。
(今頃、私は父の腕を取りパトリックの待つ祭壇へ歩いているのでしょうね)
ステンドグラスが美しい古い王宮教会。上位貴族の招待客が大勢参列する前で愛を誓いキスを交わした後、フラワーシャワーを浴びながら皆に祝福されていることだろう。
そして午後からは結婚披露パーティーだ。パトリックの実家であるボルトン公爵邸に場所を移し、挙式に参列してくれた上位貴族に加え下位貴族や学友も呼んで賑やかに行う予定だった。当然、キムにも招待状は送ってあった。
(だからこれから私はキムとして参加するの)
良い酒がたくさん飲めると期待して上機嫌のラッセル男爵にエスコートされながら、私は招待状を手にボルトン公爵邸へ向かった。
大広間にはたくさんの紳士淑女が集まり、立食の食べ物も豪華で華やかだった。そう、これらの準備もパトリックのお母様と一緒にあれこれ考えたのだ。最高の食材を使った各地の珍しい料理、手の込んだスイーツ。招待客に喜んでもらいたくて選りすぐった。まさか自分が客側になるとは思っていなかったけど。
やがて、主役の登場がアナウンスされパトリックと『私』が入って来た。紺色のタキシードを着たパトリックの姿は遠くからでもよくわかる。とても背が高く逞しい身体に漆黒の髪と深い青の瞳を持つ彼は本当に美しい。横にいる『私』のドレスはパトリックの瞳の色に合わせた深く濃い青だ。ビスチェタイプにして上半身を細く見せ、腰からはドレープをたくさん取りふんわりと広がるスカートにしてウエストを強調した。彼の隣にいれば背が高い私でも華奢に見えると期待していたが、こうして並んだ姿を見るとまさにその通りだった。
「何て麗しい若夫婦でしょう」
「二人ともスラリとした長身で、素晴らしいわ」
客達の話し声が聞こえてきた。褒められて嬉しい気持ちと、それをこんな所で聞いている辛さが綯い交ぜになって複雑な気分だ。
パトリックと『私』は会場内を回り、いろいろな人に挨拶している。まずは王族の方々、そして身分の高い方々に声を掛けていくので、ここまで来るには時間がかかるだろう。ラッセル男爵はシャンパンを何杯も呑んで、既にご機嫌のほろ酔いだ。
「キム、ここにいたの」
後ろから肩を叩かれ振り向くと同級生だったカミラ・アボットがいた。
「凄いわねえ、このパーティー。さすが公爵家ね」
カミラもシャンパンを手にしていた。
「料理も凄いわよ。あなたももう食べた?」
「ええ、そうね……」
もちろん、たくさん試食して美味しいものを揃えたのだから味はわかっている。
シャンパンをクイっと口に流し込んだカミラは主役二人を見つめ、ため息をついた。
「いいわねえ、キャンディス。あのパトリック様を射止めたのだもの。伯爵家から公爵家へ嫁ぐなんて玉の輿だわ。私も選ばれたかったわあ」
通りがかった給仕にグラスを返し、また新しいグラスを手に取る。
「随分大人しいじゃない、キム。いつもならキャンディスへの毒舌が止まらないとこなのに」
私はギクっとした。キムは、私のことを良く思っていなかったのだろうか。
「そ、そうだったかしら?」
「そうよお。あなたもパトリック様のこと好きだったんだから気持ちはわかるけどね。でもこうして夫婦になってしまったんだからもうあなたの入る隙間はないわよ。いい加減諦めて、ちゃんと祝福しなさいね」
鼓動が速くなる。キムは、私の結婚を良く思っていなかったとしたら。
その時ようやく、主役二人が友人達の集う場所に回ってきた。
「おめでとうパトリック!」
「キャンディスおめでとう! とっても綺麗よ!」
皆が次々に褒め、祝いの言葉を口にする。貴族達との堅苦しい挨拶から解放されたパトリックは、いつもの快活な笑顔を浮かべていた。
そして一人一人に心のこもった挨拶を告げていく。こうして見ると、『私』は私らしく、そつなく挨拶をこなしているようだ。
隣のカミラにパトリックが礼を言っている。そして『私』がカミラをハグしている。
「ほんとにおめでとう、パトリック様、キャンディス!」
カミラはすっかり二人に魅了されているようだ。そして。
「やあキンバリー。今日は来てくれて本当にありがとう」
パトリックが微笑んで私に声を掛けた。そして、『私』は――ニヤリと、嫌な笑顔を浮かべた。その顔に、キムが重なって見えた。
「キンバリー。来てくれてありがとう。私達、幸せになるわね」
そう言いながら『私』はパトリックの腰に手を回す。それに気づいたパトリックは『私』の肩を抱いて寄り添った。
「キム。あなた、キムね? 会ってわかったわ。これはどういうことなの? 私の身体を返して、キム!」
私は『私』に詰め寄った。周りの友人達がざわめく。パトリックが割って入って来た。
「キンバリー。何を言っているんだ?」
「パトリック、騙されないで! このキャンディスはキャンディスじゃないわ。中身はキムなのよ! 私は昨日目が覚めたらキムになってしまっていたの。本物のキャンディスは私なのよ!」
『私』は怯えた顔でパトリックに抱きついた。
「怖いわ、パトリック。キムはあなたの事が好きだったのよ。だから失恋のショックでおかしくなっているんだわ」
「違うわ。私がキャンディスなのよ。パトリック、信じて」
けれど彼は眉をひそめて疑わし気な視線を私に向けた。
「キンバリー。今日は僕達の大事な披露パーティーだ。これ以上騒ぐようなら退席してもらわなければならない。そんなことはしたくないんだ。静かにしてくれるね?」
優しく、でも有無を言わさぬ言い方でパトリックが私を諭す。当たり前だ。だって、彼の目には妻の同級生が横恋慕して騒動を起こしているようにしか映ってないだろう。私は涙が溢れてきた。
「キム、パトリックの妻は私よ。私たち、今日みんなの前で永遠の愛を誓い合ったの。あなたももう叶わぬ恋は諦めて、田舎の男爵にでも嫁げばいいわ。さよなら、もう私達の前に顔を出さないでね」
『私』はそう言いながらパトリックの腕を引っ張ってその場を離れようとしている。私は思わずもう一方の腕を掴み、彼にしか聞こえない声で告げた。
「私は……あなたの、可愛い大きな猫ちゃんなの。お願い、信じて……」
一瞬、パトリックの青い目が大きく見開かれた。だがそのまま彼は『私』に腕を引かれて向こうへ行ってしまったし、私は公爵家の使用人によって会場から追い出されてしまった。
人々のざわめきと音楽が漏れ聞こえてくる庭に立ち尽くし、私は一人泣き続けた。
どのくらいそうしていただろうか。突然、背後から声を掛けられて心臓が止まるほど驚いた。
「キャンディス・ベネットさん?」
「は、はいっ」
恐る恐る振り向くと、歳はパトリックと同じくらい、背はあまり高くなく銀髪にグレーの瞳の美しい青年が立っていた。
「遅くなって済みません。魔法大臣のゼインと申します」
「あなたが、魔法大臣様……?」
コクリと頷くゼイン。千年の時を生きる美しき大臣。噂に違わぬその容貌、そして柔らかな物腰。初めて会ったのに何故だか懐かしいような、不思議な雰囲気を纏った人だった。
「昨日まで地方へ行っていましてね。あなたの手紙を見たのがつい先程なのですよ」
昨日、痛む足で王宮に辿り着いた私は、魔法大臣への直訴が出来るという石板へと向かった。この石板は門の横に備え付けてあり、王宮内に入らずとも、また庶民でも誰でも書き込むことが出来るというその噂は、どこかでチラリと聞いたことがあった。
石板には注意事項として相談内容には住所と名前を必ず記入すること、字が書けない人は口述筆記も出来ること、すぐに返事が出来ない場合もあることなどが書かれていた。また書かれた内容はすぐに消えるのでプライバシーも問題ないとのことだった。私は、藁にも縋る思いで、この奇妙な出来事を書き記し、また長い道のりをラッセル家まで歩いて帰ったのだった。
ゼインは私を頭から爪先までまじまじと見つめると、ふむ、と頷いた。
「単刀直入に言いましょう。あなたは魔法によって身体を入れ替えられています」
「やはり……魔法なのですか」
想像していたとはいえ、断定されると寒気を感じるほど恐ろしかった。
「ええ。あなたの頭上に魔法術式が見えます。キャンディス・ベネットとキンバリー・ラッセルを入れ替えると」
「あの、それは……元に戻れるのですか?」
「もちろん、私には造作ないことです。ただ、本体を叩かねばこの魔法を解くことは出来ない。ですから、一晩、時間を下さい。あなたはこのまま家に帰り、部屋で、一人でいること。それと、必ずベッドに横たわっておくこと。魂が離れた時に倒れて頭を打ってはいけませんから」
ゼインによると、昔滅びて身体を失った黒い魔法使いが櫛や鏡、本などに取り憑いて生き残り、人間の命を奪って再び身体を得ようとしているのだという。言葉巧みに人間を操り、望みを叶えるように見せかけて命を奪う黒い魔法使いを、探して滅するのが彼の仕事なのだそうだ。
「どうやら、寿命の半分を差し出すことで彼女はあなたとの入れ替わりを叶えたようですね。そしてあなたと入れ替わったまま初夜を迎えると、もう元に戻ることは出来なくなる」
「そんな……!」
手で顔を覆い叫び出しそうになる口を押さえた。ずっとこのままなんて、嫌!
ゼインは柔らかく微笑むと、私の頭をポンと叩いた。するとそこから身体が温かくなり、不安が和らいでいくようだった。
「大丈夫ですよ。私を信じて。信じたから、あの石板に辿り着いたのでしょう?」
そうだ。私はまだ見ぬ魔法大臣を信じてひたすら歩いたのだもの。そして今、彼はここにいて、大丈夫だと言ってくれている。
「わかりました。言われた通り、家に帰ってベッドに入っておきます」
「お願いします。ああ、ラッセル男爵はもう酔っ払って動けそうにないですから、ちゃんとあなたの言う事を聞くように魔法をかけておきました。今から一緒にお帰りなさい」
「はい、ゼイン様。本当にありがとうございます。よろしくお願いいたします」
私は淑女の礼を取り、最大の感謝を伝えた。すると彼は微笑んで姿を消した。
「ゼイン様……?」
辺りを見回したがゼインはもうどこにも見当たらなかった。きっと、もう動き始めたのだ。見えない彼に対してもう一度礼をした後、私は口角を上げて微笑みを作った。辛い時でも笑っていよう。そうすれば幸運が舞い込んでくる。これは、お母様からの教えだ。もう一度しっかりと笑顔を作ると、私はラッセル男爵を探すために会場へと戻って行った。
☆☆☆☆☆
「疲れたわねえ、パトリック。でもとっても素敵な一日だったわ」
ティアラを外した後、鏡の前で耳たぶをイヤリングから解放しながらキャンディス――本当はキンバリーだが――はパトリックに話し掛けた。
「王宮教会は夢のように美しかったし、王太子ご夫妻ともお話出来たわ。素敵なあなたと一日中一緒にいられて本当に嬉しかった。そして明日からもずっと、あなたと一緒なのね」
鏡越しに見るパトリックの顔は、心なしか浮かないように見える。キャンディスは立ち上がってそっと近付くと、彼の頬に優しく手を当てた。
「どうしたの? 疲れているのかしら。でも今夜は初めての二人の夜よ。元気を出して」
そう言ってキスをしようと唇を寄せていったキャンディスの手首をパトリックはそっと掴んで動きを止めさせた。
「キャンディス。僕の、可愛い仔猫ちゃん」
その言葉を聞いたキャンディスは嬉しそうに微笑み、彼の胸に顔を埋めた。
「嬉しいわ、パトリック。私もあなたが大好きよ」
この後、きっときつく抱き締められる。そう期待していたキャンディスだが、逆に両肩を掴まれて身体を引き離された。
「な、何……? どうしたの、パトリック」
彼は泣きそうな顔をしていた。
「君は、キャンディスではないな。一体、誰なんだ」
口をパクパクさせて何か喋ろうとしたその時、突然柔らかな声が響いた。
「ほう。婚約者殿は見破っていたか。ならば話は早いな」
「何者?!」
パトリックが振り向くとそこには銀髪にグレーの瞳の青年が立っていた。
「そこにいるキャンディスは中身が別人だ。あるべき姿に戻ってもらおう」
パチンと指を鳴らすと、キャンディスは両手を首に当てて苦しみ始めた。
「ぐあ……っ」
そして青年は両手の平を翳し何かを呟いた。するとキャンディスの髪から琥珀色の飾り櫛が飛び出してきた。
「彼女の身体を支えて!」
青年に促され、意識を失ったキャンディスの身体をパトリックが受け止める。
櫛は黒い霧を纏いながら空中に浮かんでいた。
「おのれぇ……白い魔法使いか……またしても邪魔をするか」
「もういい加減にしてくれないかな。弱っちいくせにさ」
青年の手の平から白い光が溢れ出し、櫛を包み込んだ。
「ぐうぅ……苦しい……もう少しで三人分の命を手に入れられたのに……」
「はい、お疲れ様」
パチンと指を鳴らすと、叫び声と共に櫛が砕け散った。そして、窓から黒い影が飛び込んで来た。
「向こうから帰って来たな。ではもう一回」
青年が人差し指を振り下ろすと、影は真っ二つになり、霧散していった。
「はい、終了。軍の方、よろしく」
そう言うと手の平から鳩が現れ、窓から出てどこかへ飛んで行った。
パトリックは意識を失って倒れているキャンディスを抱き締めたまま、青年に尋ねた。
「あなたは……?」
「申し遅れました。魔法大臣、ゼインです」
魔法大臣と聞いて驚いたパトリックだが、その時、キャンディスが目覚めた。
「彼女、戻って来たようですよ」
「あ……ゼイン様……パトリック……!」
「キャンディス? 君は僕の……可愛い……」
「ええ、私はあなたの大きな猫よ……」
「キャンディ!」
パトリックは愛する女性を強く抱き締めた。身体を取り戻したキャンディスは涙を流して喜び、愛する男性の背中に縋り付いた。そして彼の背中越しにゼインと目が合うと、泣きながらお礼を述べた。
「ゼイン様、本当に……本当に、ありがとうございました」
ゼインはニッコリと笑ってどういたしまして、と言った。
「キンバリーの方に行ってくるから、彼によく説明してあげてね。また明日、王宮でいろいろ聴取することになると思うけど」
「はい、ゼイン様。ありがとうございました」
そうしてゼインはまた忽然と姿を消した。
☆☆☆☆
あれからひと月が過ぎた。
私は無事パトリックと結婚して、今はキャンディス・ボルトンとなっている。
あの後、自分の身体に戻ったキンバリーは、すぐにやって来た軍隊に逮捕され、投獄された。
昔から、櫛や鏡には黒い魔法使いが宿りやすいから気をつけなさいと言われていたけれど、まさか本当にこんなことが起こるなんて。
キムは、ずっとパトリックに想いを寄せていた。私達の挙式が近付いたある日、道端で声を聞いたんだそうだ。
「お嬢さん。恋に悩んでいるね? あなたの願いを叶えてあげるよ」
それは道端に落ちていた琥珀色の飾り櫛から聞こえてきた。パトリックと結ばれるならとその櫛と契約を結び、寿命を半分渡す代わりに私――キャンディス・ベネットと入れ替わる魔法を掛けてもらったのだ。
そして、そのまま初夜を迎える事が出来たなら、二度と元に戻ることはないとそう聞かされた。
たとえ寿命が短くなっても、残りの人生をパトリックと過ごせるのなら。そう思ってキムは突き進んだ。
だが、魔法使いの真意は、キムの命、そして同時に私の命、初夜を迎えて結ばれたパトリックの命をも奪うことだった。あのまま初夜を迎えていたら、三人とも翌朝には死んでいたのだ。
「魔法使いの声を聞くことが出来る人間は限られています」
魔法大臣ゼインは言う。
「魔法と共鳴しやすい人間というものは何度でも惹かれてしまいます。ですから、一度でも共鳴したものは、二度と騒ぎを起こさぬよう一生牢獄で過ごさねばなりません。これは、どこの国に行っても同じ処分です。それほどに、恐ろしいものなのです、魔法というのは」
ゼインはまた、キンバリーに同情してはいけないとも言った。
「黒い魔法使いの声を聞いても、誘惑に負けない人もいる。しかし彼女はそれに抗えなかった。そのくらい、あなたを羨み妬む気持ちが強かったのです。遅かれ早かれ、何らかの事件は起こしていたでしょう」
聴取が終わるとゼインはニッコリと笑ってパトリックに尋ねた。
「あなたは、どうやって彼女が本物ではないと見破ったのですか?」
私達は顔を見合わせて少し照れ、俯いた。
「ゼイン様、私達、とても仲良しで……お互い、大好きなんです」
「はい。僕は彼女がとても可愛くて。他の恋人たちが言ってるように、僕の可愛い仔猫ちゃんって、最初は呼んだのですが。彼女は、自分は背が高くて仔猫とは言えないって拗ねるものですから……代わりに、可愛い大きな猫ちゃんって呼ぶようにしていたんです。でもキンバリーはそれを知らないから、仔猫と呼ばれて喜んでいました。それで、キャンディスではないと確信したんです」
言い終わった頃にはパトリックは真っ赤になっていた。こんな、子供じみた会話を他人に聞かせる日が来ようとは!
だがゼインは笑ったり茶化したりすることなく、うんうんと頷いた。
「信頼は魔法に勝ります。これからもお互いを信頼して、大切にしていって下さいね」
私の胸は感激でいっぱいになった。
「ありがとうございます! ゼイン様!」
私はきっとこの美しき魔法大臣を忘れないだろう。生涯敬い、感謝を忘れずに生きていく。いつか子供が生まれたら、語り継いでいこうと心に決めた。
そして半年が経った頃……キンバリー・ラッセルは獄中でひっそりと息を引き取った。寿命を半分にされていたため、若死にしたと思われる。彼女の事件は教訓として書き残されることになった。
他人の恋人を欲しがり過ぎてはいけない、と。
お読みいただきありがとうございました!
この話に出てくる魔法使いゼインが出て来る作品がもう一つあります。
「残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました」
よろしければこちらもお読み下さい!
どちらも単独で読める形になっております!