イケメンとイケメン
「ボクを妻に……って、今、もしかして求婚されてる?」
「求婚じゃない。確定事項だ」
(うそ、もーれつじゃないですか)
などと考えている暇もない。イケメンに「キミを妻にする」と言われるシチュエーションは、わりとまあロマンチックかもしれない。ただし、それはナギが前世で男であるという記憶があり、かつイケメンの嘘を突き通すために必要なことでなければの話だ。
端的に言ってしまえば、この『決定事項』とやらは政略結婚のさらにひどいものだった。なにせ、一人の嘘を突き通すための結婚なのだから、ナギにとっては迷惑でしかなかったのだ。
(冗談じゃない。かわいい女の子に求婚されるならまだしも……かわいい女の子?)
ようやく戻ってきた背中の痛みを擦りながら、上半身を起こしたナギは、勝ち誇るように笑むアリーへと視線が吸い込まれる。
よく見る。目を見開き、目の前にいるイケメンを凝視する。
透き通るような白い肌。柔らかそうな赤い髪。わりと柔らかい肌には組み手により生じた汗が流れていく。
イケメンだ。十人が十人そう云うであろう、どこにいっても崇拝の念すら抱かれるほどのイケメンだ。非常にムカつく話ではある。
だが、女だ。しかし女の子なのだ。潰しているだけでアリーにはナギを遥かに凌ぐ大きな胸がある。なんだったら男の尊厳たる棒がない。男と見間違えてしまう顔も、一皮向けば女のそれであった。ふと出る仕草も、フェロモン的な雰囲気も、男を演じきる女性だとしたら、それはそれで萌えるところに数えられる。
生唾が喉を通る。無限組み手の影響か、垂れる汗を手で拭っている最中にも、ナギの中で結論が出かかっていた。
(いいかもしれない、結婚)
見た目は男。でも、中身は女。正直に言って、心が男なナギには誂え向きの相手と言える。さらにアリーの嘘を握っている以上、なにかされる心配はおそらくない。加えて言えば、アリーは空中国家『エデン』の第一王子だ。秘密を守り通せば将来は安定な生活が待っている。強いて言えば、結婚すればアリーの父親と対面する機会があるため、その際には一緒になって嘘をつかなければならない、いわゆる共犯者になってしまうわけだ。
しかし、この時代において、安定した生活が送れるのはごく少数しかない。その手段を、今、ナギは目の前でぶら下げられていたのだ。
揺らぐ心にナギの言葉が出そうになったその瞬間、ナギを抱きしめるように、誰かが腕を回してきた。
「こいつは、俺んのだ。勝手に手ー出すんじゃねーよ」
聞き覚えのある声だった。がっしりとした腕は鍛えられた男のそれで、不覚にもナギは安堵を覚えてしまう。
振り向くまでもない。というかガッチリと抱きしめられているため振り返ることができないでいたが、絶対に綾鷹だろう。にしても、タイミングが悪いことこの上ない。
なんだって、密会での求婚のタイミングで彼氏役の綾鷹がやってきてしまうのか。これでは不服にも。最終的に取り合いになる可能性が出てきてしまうではないか。その後、概ねナギの心配に沿った形に収まった。
「あぁ? 誰だよ、オマエ?」
「神宮寺綾鷹。こいつの彼氏だよ、《アリストロメリア》の第一師団団長様?」
険悪な雰囲気が一気に塗り替えていく。二人に挟まれるナギは気が気ではないはずだ。なにせ、自分を取り合って二人が言い争いをしようとしているのだから。気が気ではない理由はもう一つ在る。それはナギとアリーの両名が、なぜ無限組み手をやっていたかに起因する。
にらみ合う2人と、挟まれるひとりに近づいてくる人物が1人――模擬戦闘訓練の教師だった。
「なにしてる、お前たち!」
(そりゃ怒るよね! だって、遅刻してきたやつらが喧嘩をしそうになってるんだもん!)
ナギとアリーの2人は遅刻で教師に怒られて無限組み手をさせれていた。それが傍からは楽しそうにしているのだから、罰を与えた側としては喜ばしくない。この状況に加えて怒られるのであれば、気分が荒むというものである。
教師の怒鳴り声に、当然であろうという気持ちとは逆に、このタイミングで怒鳴られてよかったという感情があった。もしも、『学園』の2大イケメンが、ナギを取り合って喧嘩を始めたなんて、噂にならないはずがない。その噂は絶対に学園長――つまりは父親である颯人の耳にまで届くはずだ。
そうなったら一大事である。颯人は善悪の区別がはっきりしているが、反面、娘に対するいたずら好きでもある。娘が困る顔を見たがると言ったほうがいい。要するに、2人に求婚まがいのことをされているなど知られれば、何をされるかわかったものではないのだ。
だから、教師にこのタイミングで止められて重畳とさえ言えたのである。
(お叱りは免れないけど、クソパパさまに面倒事にされるようなことよりはマシだよね。とりあえず、助かった~)
しかし、考えが甘い。
胸をなでおろしたナギではあるが、それは十分に早すぎた。
ナギは知らない。綾鷹がナギを命より大切な隠れ蓑だと認識しているということを。また、アリーが秘密を守るために手段を選ばないということを。
教師に止められた2人は、互いに見つめ合いながら、まるで協調したように笑い、ナギを離して向かい合う。同調した2人の出した答えは、凶悪にも似通ったものだった。少なくとも嫌な予感だけは跡を絶たない雰囲気が、ナギの顔を絶望色に染め上げる。
そして、綾鷹およびアリーは互いを指差し合い、教師に向かって、
「「先生、こいつに決闘を申し込む」」
口にはしないが、2人の顔は決闘の勝敗でナギの所有権を決めようというのだ。はたはた迷惑だと言いたそうだったが、2人に文句は言えはしない。なぜなら、2人の声は教師のみならず、近くにやってきていた野次馬たちの耳にまで入ってしまったのだから。この決闘が、ナギを取り合って行われたとなれば、父親は愚か、ただでさえ居づらい『学園』での生活がいっそう居た堪れないものへと変じるだろう。
(あー、どうしてこうなった! なんで? なぜ!?)
ナギはその場にしゃがみこんで頭を抱える。ぐるぐると回る思考の中心にはやはり「なぜ」という言葉が鎮座していた。




