告白
「オレは、女であることがバレたら親父に殺されるんだ」
「…………それ、こんな大っぴらな場所で話していいこと?」
二人は遅刻した罰として、クラスメイトと少し離れた場所で無限組みてをやらされていた。それを好機と見て、アリエル・バートが教師の目を盗んで身の上話を始めたのだ。
彼女が言う親父とは、空中国家『エデン』の統治者であるブラック・バートのことだろう。やはり、ナギの仮説通り、彼女は父親に自分が女である事実を隠しているようだ。しかし、それがバレることで殺害されるとはなんともドメスティックなご家庭のようだ。
(ていうか、もう少し手加減して……! ボクは『学園』最弱であることをお忘れですか!?)
彼女にとっては軽い運動にすらならないであろう組手でもナギにとってはそうではない。そもそも、こうして話しているだけでもかなりきついのだが、どこで彼女の温情が途切れるかわからなかったためにこのまま続けるしか選択肢はない。
「お父さんに殺されるって、平和な話じゃ、ない、ですね……」
「敬語はよせ。……オレの親父を知っているだろ」
「……うん。そりゃあ、まあ」
「統治者ともなれば、内縁の妻はたくさんいる……『極東』が珍しいだけだ」
「な、なるほど……?」
怒りが混ざっているのか。徐々に差しが早くなる。ペースアップについていけないナギは簡単に襟を掴まれて投げられた。彼女の想定するよりも遥かに軽かったらしいナギは、そこそこの滞空時間を設けられ、最後は彼女にお姫様抱っこされる形に収まる。
あまりの衝撃で脳震盪を起こしたのかもしれないと思うくらいにはクラッとしたが、ナギが目を回しているなど意にも介さずに、お姫様抱っこをされたまま身の上話は花が咲く。
「オレは……親父の正妻の子供じゃない。正確に言えば、内縁の妻たち正妻争いの最中に生まれた一番目の息子ってだけだ」
「……え? それってまずいんじゃ……」
正妻争い、と聞けば並々ならぬモテ方をするものだ、なんて呆けたくもなる。しかし、当事者たちの間では真剣なのだろう。おそらく、彼女の父親は自分の血を引く息子を最初に生んだ女性を正妻として見初めるとでも言ったのだろう。
そして、彼女の父親を取り巻く内縁の妻たちの争いの中で生まれてしまった彼女は問答無用で巻き込まれたらしい。
「仕方がなかったんだ。オレの母さんは体が弱い。とても一人でオレを育てられなかった。だから、オレを男と偽って、内縁の妻たちの争いに勝って親父の正妻となった。許されざる罪だと知っていても、秘密を抱えたまま生きていくしか道がなかったんだ」
「あの……いつまでお姫様抱っこをしているおつもりで?」
目頭に涙を浮かべながら熱弁する彼女に、ナギは申し訳無さそうに告げた。それを受けて、放り投げるように降ろされてナギはお尻を打つ。
ぞんざいな扱いに涙が流れそうになったけれど、再び構えている姿を見て涙よりもため息が先に漏れた。
「アリエルさんの立場はわかったけど、その嘘をいつまで続けるの?」
「死ぬまでだ」
「そりゃ気が長い話だね」
「それとオレのことをアリエルさんと呼ぶな」
そんな唐突な。決して仲がいいわけではない、むしろ最悪と言っていい関係なのに、呼び方を変えろなんてひどい言いようである。
半分以上はナギのせいだったとしても、お尻の痛みは忘れていないために、『横暴だ』という言葉が出そうになるが、どうにか飲み込んだ。
そもそもの話、友人の少ないナギにとって、呼び方を考えるのは至難の業だ。そも、呼び方を変えろというくらいなのだから、呼ばれたい名前はないのかと文句の一つでも言ってやりたいと思っていた。
けれど、ナギの口よりも早くに、頬が僅かに朱に染まった彼女がそっぽを向いた。
「アリー。特別にそう呼んでいい」
「わぁ、女の子みたい――おわっ!?」
「死にたいのか?」
明らかに首を狙った突きに思わず尻もち。痛めたお尻がさらに痛くなる。けれど、見下ろされる冷たい視線が降り注ぐ中、ナギは苦笑いで冷や汗を拭う。
もう二度と女の子みたいと口にしないと心に決め、ナギは立ち上がる。
「親しい人はみんなオレをそう呼ぶ。オマエとは……親しくないがそう呼べ」
(ほら、親しくないって言ってるもん。むしろ敵とすら見てるよこの人!)
冷や汗は気持ちのいい汗へ。彼女も流石に汗を掻き始めてきた。
二人は暗いはずの話が弾んでしまう。
「バレた場合、殺されるっていうのは?」
「実際に殺されるわけじゃない。でもあのクソ親父のことだ、おそらく身ぐるみを剥がされ、飛んでいる『エデン』から強制退場させられるだろうから、運良く海に落ちたとしても、実質殺されるようなものだ」
「確かに……海は『獣』のすみかのひとつだからね。生き延びられる可能性は皆無か……」
現在、人類が生存できる環境は4つの国家のみである。その他はすべて『汚染領域』ないし『未開拓領域』として『7匹の獣』に占領された地域である。その中でも特に海は危険だ。うまく動くことができないし、かつ地球上でもっとも大きい『獣』が生息しているらしいから。
彼女――アリーの父親が本当にそんなことをするのかは、まだ考える余地がある。だが、国家の統治者は良くも悪くも人間ではない。故にそういう判断を下すこともあり得るのが怖いところである。同じく統治者を父親とするナギには人ごとではない話だった。
「じゃあ、どうする?」
「何がだ」
「アリーはボクを見過ごせない。でも、ボクに手を出せば、遠からずお父さんに嘘がバレる可能性が高まる。この状況で、アリーがただボクを手放すなんてありえないよね? だったら、今後、ボクをどうしようとしているのかくらい、ボクには知る権利があると思うけど」
「ほんっとうにムカつくやつだな、オマエ――」
「ボク、オマエって呼ばれ方嫌いなんだ。ナギって呼んでよ」
「――っ。わかった」
一方的に呼び方を変えさせられたのだから、自分にだってその権利はあると、ナギは少し勝ち気味に告げる。アリーは傲慢そうに見えるが、根は真面目らしい。文句を言いたそうではあるものの、了解してくれた。
だが、今後の話の前に、アリーの組み手のペースがまた一段回早まり、再度ナギは襟を掴まれた。
「今後の予定は決まってる」
「へ?」
ニヤリと、アリーのきれいな顔立ちが嗤う。
嫌な予感をひしひしと感じていながら、次の瞬間にナギは浮遊感を覚えて、天を見上げていた。
地面に背を落とされ、ようやく自分が投げられたのだと理解するとほぼ同時にナギの呆けた顔を覗き込むイケメン美女の口は不敵に微笑んでいるではないか。
「ナギ。オマ――キミをオレの妻にする」
「あ……はい?」
前世を含めて今に至るまで、およそ初めてであろう愛の告白は、背の痛みを忘れさせるほどの驚愕と、面倒事に見事に巻き込まれたという感嘆と一緒にやってきた。