イケメンのヒミツ
「オレの秘密を知った以上、生かしておくわけにはいかない」
この世には知らないほうが幸せなことがあるらしい。ナギは生まれる前からずっと、そんなことはないと断言して生きてきたが、今日ばかりはその言葉を撤回する所存だろう。
『学園』のイケメンが、実は美少女でした。というのは、転生前ならベタなシーンだ。それこそ、物語や日常で少なからず無くはない場面に違いない。
しかし、大抵の場合はそういう隠し事には大きな事件が見え隠れしているのが定石で、おそらく今回も例に漏れず事件と関係していることは間違いなさそうだった。それは彼女の出自が物語っている。
ミステリアスイケメンの出身国である、空中国家『エデン』とは、元は最新鋭の科学技術を駆使して統制の取れた世界最大の軍事力を有する統治国家『アメリカ』と、極寒の大地に根付いた世界最強の戦闘能力を有する世界最大国家『ロシア』が共に手を組んだことにより生まれた科学技術と戦闘技術の国家である。
現在、『エデン』を統治するのは『極東』を統治する黒崎颯人の旧い知り合いの男、ブラック・バートだ。この名前からも分かる通り、アリエル・バートは、ブラック・バートの息子――いや、新事実を盛り込むなら、娘と言うべきか。
彼女は男としてこの国に歓迎され、かつ、ブラック・バートの自慢の息子であると認知されていることから、きっとブラック・バート自身も彼女が娘であるということを知らないのかもしれない。
つまり、アリエル・バートは実の父親を騙していることになる。しかも、一国の主を騙すとなると、話のスケールは無限に大きくなりかねない。
(これは大事件の予感だよ、とほほ……)
ともあれ、遅刻で更衣室へ入ったら、王子様が王女様になっているなんて現実を、胸ぐらを掴まれて壁に押し付けられながら知りたくはなかっただろう。
「気が早すぎません? ボクは何も見てませんよ、アリエルさん!」
「ばっちり目を開けて言うことじゃないだろ。いいから死ね。今すぐ死ね」
「待って待って。実は今朝から盲目になりまして! ほんと、なーんにも見えないなー!?」
精一杯の嘘を吐き出す。もちろん、誰が聞いても嘘であることは明白で、お粗末と言わざるを得ないものだった。
背に腹は変えられないのだ。この場は嘘だろうとなんだろうと生き残ることが最優先だった。
『学園』の二大イケメンで知られるミステリアスイケメンは、実は女だった。サラシで胸を押しつぶしてはいるが、よく見ると明らかにナギより大きい。
むしろ、『学園』内でも一二を争うほどに大きいのではなかろうか。加えて、透明感の在る肌だ。女にも勝るきれいな素肌だなんて、彼女にボコられた被害者たちがよく言っていた。
間違いなかった。逆に大正解だったのだ。男がおふざけで襲いたくなったのは、彼女の隠しきれなかった女のフェロモンからだろう。彼女がふざける男子をボコボコに容赦なく仕返したのは、自らが女であることを隠すための過剰防衛だったからだ。
すべてが頭の中で組み合わさっていくと同時に、ピースがはまっていくにつれて、ナギの頬を伝う冷たい汗の量は増していく。
「盲目なのに、よくオレのことがアリエル・バートだとすぐにわかったな?」
「うっ……い、いやー、偶然! 偶然だよ、あははは」
「女を殴る趣味はない。一撃で殺してやる」
「殴るよね!? その振り上げられた拳は、ボクを殴るためにあるよね!?」
いやー、と。か細い両腕で逃れようとするが、一回り大きい彼女との体格差には敵わない。
ついてない。綾鷹に寝顔は覗かれるし、美咲にお灸を据えられるし、遅刻はする。あげく、『エデン』の最高戦力の秘密を知って殺されそうになっている。
非常についていないが、こういうときに限ってナギの頭は異様に回る。
「ボ――ボクを殴ると、あとが大変だよ!?」
「……なに?」
「ボクのことは知ってるだろ? 黒崎凪……『極東』の統治者、黒崎颯人の娘だよ!」
「………………なるほど、オマエを殴る、あるいは殺害すれば、国家間の問題に発展するか。だが、それがどうした? 『エデン』は最強の国だ。この時代で人類同士の戦争をすれば、勝利はオレたちの国にある」
「違う……国家間の問題になれば、原因の追求は免れないよ。どうして、君がボクを殺害するに至ったか――――その理由を君は話せるのかい? もちろん、言い逃れやハッタリは通用しない。クソパパさまはそういうのが感覚でわかるから!」
生命を繋ぐ。そのために頭はまわり、言葉は紡がれる。
口八丁と言われるかもしれない。だが、力がないナギには口しか無い。言葉で納得させられなければ、ナギはひどい目にあってしまうのだから、ここは機転が利くと言ってほしい。
わずかに胸ぐらを掴む力が緩む。納得はしていなさそうだった。ただ、ここで感情的に行動してもあとが大変だということは伝わったようだ。
やがて、ナギの足は床を捉えた。
けほけほと咳をしながら開放された自由に浸る。少し離れたところでロッカーが叩かれる音がした。見れば、彼女がロッカーのドアを殴って凹ませているところだった。
「……君は、女、なのか?」
「オマエの目にはどう写ってる? オレが男に見えるのか?」
「とても美しい女性に見えますね、はい」
二つ目のロッカーが開閉不可能になった。
「クソ……バレないように毎度遅く更衣室に入ってるのに、どうして今日に限って見つかるんだ」
「女性がクソとか言うのは良くないよ?」
三つ目、さらには四つ目のロッカーがお釈迦になった。
キッと睨まれて、ナギは生唾を飲み込む。真実が女性だったとしても、その風格はまさしく《王子》のそれだ。同じく統治者の娘という立場とは考えられないほどに、ナギは心底に彼女を畏怖する。
半裸の彼女は割り切ったようにロッカーから服を取り出し、それに身を包む。そうして、着替えが済むと、ナギに向き直り、
「着替えろ」
「……あ、エッチって言ったほうが良かった?」
「殴るぞ?」
「嘘です勘弁してつかあさい……」
どうも授業に出るらしい。根は真面目なのか。それとも何もかもを諦めてしまったのか。唯、一つ言えるのは、いくら取り繕おうともナギの記憶から、彼女が女であることを偽っていたという事実は消えはしない。
『どうして』、『なぜ』は、今は聞かないほうがいい。そう決意に似た意思を固めて、ナギは空気の悪い更衣室で着替えを始める。その後ろで難しい顔をしていた彼女が、涼しい顔の裏腹にかなり同様していたことや、その動揺からとんでもない結論を叩き出しているとは知らずに。
快晴の嵐がやってくる。
ナギは、知らずのうちにその嵐の中心に飲み込まれていくのだった。