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刺せ、心の臓を一撃で

 時間にして三時間。ペンと紙をもらい、三人の監修の中で、無機質な病室のベッドの上でメーヴィスは静かに手紙をしたためた。その枚数は全部で十五枚。長いと感じるかもしれないが、二度と愛する人物に会えないと思えば、届くかもわからない手紙でも枚数は加算されていく。


 書き終え、メーヴィスはフッと鼻で笑った。何度見ても告発のような文面だ。こんなものは、どれほど感情を込めたところで、受け取って欲しい人には届かないだろう。メーヴィスの笑いは、自分への嘲笑だった。


 怪しく思う監視員だが、黒崎颯人の命令で、メーヴィスは厳重に守られていた。


 決して殺すな。どれほど怒りに身を焼かれてもだ、と。


 颯人にとって、メーヴィスはただの情報源だ。このご時世の最大の犯罪集団ピンディーラーを捕らえるための、数少ない道筋なのだ。

 それを聞いているから、監視員たちは絶対にメーヴィスを許さず、しかして殺さないように護衛している。


「申し訳ありません。これを。できれば、『エデン』の軍部《アリストロメリア》第一師団、団長のアリエル・バートへ」

「受け取りました。ただし、これは一旦統治者である黒崎家の監査を受けることになります。おそらく、届くことはないでしょう」

「でしょうね。それでも構いません。可能性はなくはないので」

「それでは失礼します」


 自害に使えそうな使用済みのペンの欠損等がないかの確認を念入りにしたのち、監視員は病室を後にする。出て行った後の大きな金属音は、破ることができない施錠の音だろう。

 再び一人になったメーヴィスは、鉄格子から外を見る。


 時計もない部屋では、外の景色だけは、おおよその時間と季節を知る唯一の手段だった。それによれば、現在は夜だ。収容されてから二度目の夜だった。


「サクラ……」


 『エデン』に花を咲かせる木はない。正確に言えば、街には本物と見間違える人工の植物しか存在しない。他は、工場などで管理されている食用植物があるくらいだ。よって、花を咲かせた樹木は珍しい部類になってしまう。


 本でしか見たことがない甘いピンクは、メーヴィスの心を荒ませた。日の光をたっぷりと浴びた桜は、満開ではないものの花明かりとしては十分のものだ。夜だというのに、眩しく感じる。

 目に毒だと、今度は自分の手を見た。何もない、自分の手を。


「……アリー、私は」


 ゴゥンッと、扉の方から音がする。解錠の音とは違う。明らかな異変だった。

 逃げるためではなく、迎え撃つために腰を浮かす。

 しかし――


「『エデン』のわんわん役、お〜つかれさまで〜す」

「…………‼︎」


 声にならない悲鳴が頭から抜ける。

 敵はドアからではなく、背後からやってきた。確かに聞こえたドアからの音はどこへ行ったのか。いや、それよりも、この部屋に入るには大勢いる監視員たちの目を掻い潜らなければならず、現実的に考えればそんなことはできるはずがない。


 では、今、背後にいる人物は監視員の一人だろうか。

 ありえない。なぜなら、メーヴィスはこの声に聞き覚えがあったのだから。


「なぜ、あなたが……ここに」

「やだなぁ、メーヴ。お母さんのことをあなた(・・・)だなんて」

「かあ――」


 振り返る。聞き間違えるはずのない母の声だが、見た目が記憶のそれとは違う。若過ぎる(・・・・)。およそ、メーヴィスよりも五歳ほど下に見えた。

 驚くメーヴィスが声を上げようとした直後だ。


 サクッと、濡れた音が響いた途端、メーヴィスは声が出せなくなった。ついで追ってきたのは激痛だ。

 激痛が起こったのは喉。咄嗟に触れると、ぬるりと熱い液体が溢れていた。手が濡れる。赤く。真っ赤に染まっている。


 それが自分の血だと知る頃には、口から大量の血液と唾液を吐き出していた。


「きゃひっ」


 嗤う。母親だと思われる少女が、苦しむメーヴィスを見て嗤っていた。

 声が若くなっていく。評価が未熟だった。見た目が若すぎるのではない。現在進行系で(・・・・・・)若くなっている(・・・・・・・)のだ。


 メーヴィスの血走った目に映ったのは、自分の血で汚れた母の両の手、さらに右手にはメーヴィスの喉を貫いたと思われるサバイバルナイフが握られている。

 なんで。そんな言葉すら出ずに、抜けていく空気でパニックを起こす。


「ダァめだよ、メーヴ。カミサマの言葉には従わなくちゃ。バラすなんてダメ。ダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメメメメッメメメメメメッメメメダァァァァァァメぇぇえぇええええへへへへっへへへ‼︎」


 様子がおかしい。母と思われる少女は、サバイバルナイフで自らの顔を切り刻み始めた。その姿があまりに恐怖を触発するもので、メーヴィスは苦しむほどの痛みを忘れ、狂った少女に見入ってしまう。

 だから、本当のことを見過ごしてしまった。


 ポンと、肩を叩かれる。母と思われる少女にではない。扉から入ってきた別の人物に、だ。


「ホ~ント、《ピンディーラー》やることってえげつないわよねぇ~。流石のアタシィでもあなたに同情しちゃうわ~」

「そ゛ん゛な゛……き゛さ゛ま゛は゛――」

「ふふ。お喋りはだ~め。今日のアタシィは、なんでも屋としてここにいるのよ~。だから、いろいろ話されるのは困っちゃうわ~」


 フィンガースナップが起こる。それを合図に、狂った少女は手に持つサバイバルナイフを両手で逆手に持ち、振り上げた。


 ああ、終わるのだ。


 暗い病室。寂しい場所で、残虐にも母親の手によって、自らの人生に幕を下ろされる。嬉しくはない。だが、自分が歩んできた道は、あまりにも汚れすぎていた。もう、愛する人のところへは戻れまい。

 だからこそ、メーヴィスは受け入れるように両腕を広げた。


 刺せ、心の臓を一撃で。


 せめて苦しむことがないように丁寧にしろと願い、メーヴィスは最後まで母を見た。

 そうして、メーヴィスにとっての希望が振り下ろされた。鋭い切先は真っ直ぐに心臓へ。ずぶりと水風船を突き刺すように。


 横目で伺えた、母娘の最後の瞬間を嘲笑する人影に、メーヴィスは思う。


(私はここでお終いですが、貴様は絶対に後悔することでしょう。なぜなら、貴様は少なからず獅子の尾を踏んでしまうことになる。私が信じた百獣の王は、必ず――必ず貴様の喉元に爪を立てる。それを見られないのは……少し…………残念………………ですね……)


 力尽きる。人生で最大の恨言は、黒幕には届かない。しかしその思いは、必ずや届くと信じていた。

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