逃れられぬ罪禍に決別を
「やることはわかってる、アリー?」
「ああ。ヴィスを止めればいいんだろ?」
「そう。できる?」
「誰に言ってるんだ?」
復活した獅子は誰よりも頼りになる返事をする。先ほどまでの弱気はどこへいったのやらと呆れるが、せっかくのやる気を失わせるわけにもいかないために口をつぐんだ。
あたりの市民は大方どこかへ消えてしまった。残ったのは『言の王』として目覚めたナギの絶対命令権により動きを止めた『感染者』と、動揺から抜け出したばかりのメーヴィスだ。
目的は変わらず、状況もおそよ始めまで戻された。変わったことといえば、『感染者』が襲って来なくなったことと、メーヴィスの持つ《誘惑の角笛》が本来の用途とは違う鈍器としてでしか使用できなくなったことだろう。
もちろん、アリーに訪れた変化も見逃すことはできない。
変化――というよりも真の姿が解放されたと言った方が無難な《獅子王》の色彩が金紅色へ移り、鋭さは当然として、他にもアリーにしかわからない変化が起こっていた。
「使い勝手はどう? それとも変わったのは見た目だけ?」
「いいや、疲労感がまるでないし、思うように体が動く。ナギ、何かしたのか?」
「さあ? アリーが吹っ切れたからじゃないの?」
実際、アリーは色々な問題から吹っ切れたと言っても過言ではない。自分を救うためとはいえ、親友との戦いや、仲間達の謀反は心の芯に響いていた。『エデン』の最高戦力という肩書きを失いかけたのも大きな負担になったのだろう。
それらを吹っ切れたというのは精神的に大きな影響を与えたに違いない。無論、《獅子王》の変化にはそれも関係している。
しかし、最も関係があるのは、無自覚なナギだった。
結論から言えば、ナギは《獅子王》とも『契約』をしてしまった。
『言の王』として目覚めたナギは前世で使っていた、意思を持つあらゆるものに通用する絶対命令権を行使できる。一度目はそれを行使してグラウンドで我が物顔で市民を食い散らかしていた『感染者』たちを停止させた。
そして、二度目はアリーを立ち上がらせるために、『契約』という形で命令を下す。
破ることのできない互いが互いを守る約束は、『感染者』たちに与えた命令よりも強固な言葉になる。ただし、実はナギが『契約』した相手が、アリーだけではないというのが味噌になる。
アリーが持つ《アルシードシリーズ》の《獅子王》は《アルシードシリーズ》のみならず《和月シリーズ》に至る、全ての《デウスニウム》が組み込まれている武装の中でもさらに珍しい――というよりも、頭のネジが吹っ飛んだ代物である。
全てが《デウスニウム》でできた兵器。それはつまり、金属生命体の意思が他の武装よりも遥かに強いことを示している。
契約の際、省電力モードのような状態ではあったが起動中の《獅子王》に気が付かず、無意識で『契約』を推し進めた。ナギの『契約』が両者合意の上で執り行われるものであるが、あまりにも自然に成り立った『契約』であったために思いも寄らなかったことだろう。
《獅子王》は百合好きの面食い野郎だったことを。
「まあ、戦えるならいいよ。ボクを守ってね、アリー?」
「任せときな。ナギには指一本触れさせないよ」
誰も知らないナギと《獅子王》との間に交わされた《獅子王》にとって二つ目の『契約』内容はナギを守ることで、『供物』はナギに危険が陥った場合という、歴代《獅子王》の使用者たちの中で最も易しいものとなった。
そんな歴史書にも残りそうな情報を知らず、自分が戦えるようになったことを喜ぶアリーは抱いていたナギを離す。二人の視線の先には怒るメーヴィスが戦闘態勢で待ち構えている。
アリーの後ろに隠れるように下がり、ナギはアリーの背中に触れて言う。
「世界を救うよ。準備はいい?」
「いつでもいけるよ、プリンセス」
「次、ボクのことプリンセスって言ったら絶交だから」
「そりゃないぜ。人生で一度はお姫様を守る騎士になってみたいだろ?」
「アリーは女の子だよね⁉︎」
馬鹿な話をしていると、メーヴィスが足音を聴かせないほどの僅かな音と時間で接近してきた。大振りのナイフはきっと隠しきれない焦りから来たもの。冷静そうに見えるメーヴィスの唯一の隙と思われた。
危険を嗅ぎ分ける稀有な血を引くアリーは、例外なくそれを嗅ぎ分けた。アリーの目にはナイフの軌道が見えている。今度は、それに対応するにたる速度と力を持ち合わせていた。
「“デネボラ”‼︎」
左腕の爪が溶ける。裾でガラスを拭くように腕を振ると、溶けた《獅子王》が空中に止まり防御膜として機能する。防御膜が敷かれたゼロコンマでその膜を撫でるようにメーヴィスのナイフが振られた。
舌打ちが聞こえた。多分メーヴィスだ。
一度目の攻撃を防がれたが、それに悔いはなく、すぐさま二度目の攻撃を繰り出すが、それを空中に発生した防御膜を左手で押し出したアリーによって防がれる。防御膜が開いた胴体に直撃し、肺の中の空気を吐きながら後方へ飛ばさる。
「“レグルス”‼︎」
「なっ――」
土煙を上げながら着地したメーヴィスに息着く暇もなく、強打した腹部を押さえる彼女に飛び出したアリーは《獅子王》を攻撃モードに変化させる。咄嗟のことでナイフを握った手では回避はできない。だが、ほぼ無意識で腹を押さえていた効き手である左手でもって顔面を庇う。
ガラスが割れるような音とともに、四つに切り裂かれた緑の宝石がアリーとメーヴィスの間に降り出す。
それは、『感染者』を操作するために必須の《誘惑の角笛》であることはナギでもわかった。
この戦いはどちらかの命を持って終わるものではない。『感染者』を操るメーヴィスを止めるか、アリーが敗れるかで決まる戦いだ。その要は《誘惑の角笛》の有無だった。
『感染者』で世界を恐怖に落とそうとしていたメーヴィスにとって、『感染者』を操作する唯一の手段である《誘惑の角笛》を失うことは、敗北と同義だ。
(勝った。犠牲は多いけど、これでどうにか……)
奥の手を失ったメーヴィスは崩れていく《誘惑の角笛》を眺めて膝を折る。破片を拾い上げ、どうにか修復できないかと試すが、どうやってもくっつく気配はなく徒労に終わる。
戦闘の終了を見届けて、忘れていた市民の避難状況を確認する。グラウンドにはもう誰も残されていなかった。爆発が起きて少し被害が出ている校舎から麟太郎を見て、任務完了の意思を受け取った。
再び視線はアリーとメーヴィスへ。
項垂れるメーヴィスにアリーが手を差し出した。
「もうやめよう……実はな、男として振る舞うこの生活も悪くないと思ってたんだ」
「……アリー」
「そりゃあ、最初は悩ましかったよ。親父に本当の自分を隠しながら、生活するのは心苦しかったし、親父との唯一のつながりである最高戦力という肩書きを守るにはすごく努力をしたよ。それを誰よりも近くで見ていたヴィスが哀れに思うのは仕方ないことだ」
「哀れだなんて、そんな……私はただ、可哀想で」
「初めは母さんを守るためだけだった。でも今は違う。オレは第一師団の団長だ。団員のみんなを守る義務がある。それが狂おしいほどに愛おしいんだ」
アリーの苦しみはナギにはわからない。近くでずっと見ていたメーヴィスにも察することしかできなかったはずだ。それが心苦しかった。誰よりも努力をして、誰よりも団員を愛していることを知っているからこそ、その立場に怒りを抱いていたのだ。
それらが募って起こったのが今回のクーデターだった。彼女たちに戻る場所などない。この罪は、おそらくどれほどの月日を積み重ねても解消されることはないだろう。
しかし、世界を滅ぼそうと思うほどに大切な人が、ずっと願っていてくれるなら、と。
伸ばされた手に、メーヴィスは震えながら掴もうとする。あと数センチ。その時だった。
校門から大きな音がする。爆発ではない。例えるなら、鉄筋の骨組みが崩れるような音だ。耳を塞ぎながら、いいシーンで何事かとナギは叫んだ。
「今度は何⁉︎」
「逃げろ‼︎ 《愛を吸う者》だ‼ って、ナギどうしたの、その姿?!」
「綾鷹⁉︎」
ナギの目に映ったのは数百人規模の『感染者』の波と争っている綾鷹だった。
『感染者』はナギの命令で全て停止させたはずだが、どうやらグラウンド外で発生していた『感染者』にナギの言葉は届かなかったらしい。雪崩のようにやってきた『感染者』に一同はギョッとする。
しかし、その雪崩に追いかけられるようにして、数名の『エデン』の生徒が走ってきて、メーヴィスに告げた。
「騙された! あのクソジジイども、我々に操れない『感染者』を仕込んでいたんだ! どうする、メーヴィス⁉︎」
「…………そう、ですか」
やはり、と。小さく告げてアリーに伸ばされた手が遠のく。この機を逃してはいけない。嫌な予感がアリーの脳裏を駆け巡った。この手を掴まなければ、二度と届かないところに行ってしまう気がしたのだ。
遠ざかるメーヴィスの手を逃さないように追うが、掴むことはついぞできなかった。
「お別れです、アリー」
「ヴィス!」
「私は全ての責任を負って、この場であなたたちに宣戦布告を行いましょう」
大きく後方へ飛び、『エデン』の生徒たちも置いて、メーヴィスは告げた。
そして、土埃で汚れたメイド服に改造された制服のポケットから三本の注射器を取り出して見せる。それを何か知る『エデン』の生徒は、震えながらに口にした。『種子』という単語を聞いて、ナギは全てを悟る。
「やめるんだ、メーヴィス‼︎」
「さあ、最終決戦です。できるなら、私を殺してください、人類。準備はよろしいですか、『猿神王』、『星糖花』……そして、『獅子王』」
注射器を全て打ち、盛り上がる血管の後、メーヴィスの体は異形へと生まれ変わる。
注射針を刺した喉から三本のガラスの茎が漏れ出すように生え、あっという間に全身を包む込んでいく。人ではない別の生物の姿に変わり果てていくメーヴィスを見て、ナギたちは戦いがまだ終わっていないことを悟った。




