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優劣のない関係

 あたりは先ほどよりもなおも悪い状況となっている。『感染者』が市民を襲い、また新たな『感染者』が出来上がっての繰り返しが、そろそろ十分ほど経過しようとしていたのだ。


 だが、『感染者』の相手などこの際どうでもいい。本当に市民を助けたいと思うなら、アリーがしなければならないのは、『感染者』を操る角笛を奪取することだろう。そのために、アリーは一秒でも早くメーヴィスを打倒しなければならなかった。


「専門は隠密行動だろう、ヴィス。その強さはインチキだよ?」

「駄々をこねる団長をとっちめる――いさめるために少々強引なこともできなければならなかったので、致し方ないですね」


 メーヴィスはアリーを陰ながらにサポートする陰役者だ。つまり、隠密行動に特化した技術を有している。よって、本来であればタイマン特化のアリーとは戦いにすらならないのだが、かれこれ十分も優勢を取れずに時間を引き延ばされている。


 いつの間にか離されていた実力差に、アリーの中で焦りが見え始めた。

 『エデン』の最高戦力が、その部下にいいようにあしらわれている。もしも、この様子を本国の父親に見られでもすれば、お叱りどころか、第一師団団長としての資格の剥奪すらあり得るのが現状だ。


 あたりの喧騒が耳に入り、残された時間が少ないことを察する。いつまでも時間をかけてはいられないという気持ちとは裏腹に、メーヴィスとの戦闘で優勢が取れずに空回りを繰り返す。


「ヴィスは愚直で、真っ直ぐな性格が人々を引き寄せる。団長としての器はそれでもよかった。ですが、武人としては少々素直すぎるのです」


 再びナイフが迫る。今度は二の腕だ。僅かにかすめるが、傷というものではない。むしろ、服にこそダメージが蓄積していくよう。そこでハッとなる。


 全身の傷を把握するために見回してようやく気がついたのだ。

 アリーに傷を負わせたのは喉元の一閃のみで、他は全て服を破く程度のものだった。実際、パンツはやふられて、とても男子とは思えない綺麗なあしが見え始めているし、上半身に至ってはサラシが少し見えてしまっていた。


 メーヴィスの目的はアリーを脱がすことのようだ。ただし、いかがわしい行為が目的ではなく、おそらく女である事実を隠そうとするアリーの弱点を狙ったものだろう。


「えっちだな」

「ええ、とてもえっちですよ、アリー」

「キミがしたんだよ⁉︎」


 咄嗟に胸元を手で隠すが、それすらやらせないと、メーヴィスのナイフがアリーに襲いかかる。袖を切られ、ベルトを切られ、太ももあたりの布をバッサリと開かれる。


 この場がパニック状態でよかったと、アリーは焦りながらも思った。パニック状態でもなければ、今頃感の良い男子どもはアリーの姿を見て、女である事実にたどり着いていたかもしれない。


 生まれてから隠し通してきた嘘が、あわや親友に暴露されるところであった。

 一旦の距離を取って、アリーは上がった息を整えようとする。


「楽しいですね。そうは思いませんか?」

「親友を脱がして楽しむ趣味があるとは初耳だよ……」

「お望みとあらばベッドまでお連れいたしますよ?」

「じゃあ、その角笛をオレにくれないか?」


 おふざけはここまで。

 角笛を逆手で持ち、まるで鈍器のように構える。右手にはナイフが、左手には鈍器が携えられ、本気であることが見て取れる。


 対するアリーは先ほどからずっと本気だった。《獅子王》の爪は幾度も振るわれているのに、メーヴィスに命中どころか擦りもしない。動きを先読みされているのではないだろうかとさえ思うメーヴィスの立ち回りは、常にアリーの不利益のみに重点が置かれていた。


 メーヴィスに取って、アリーは親友である前に、守らなければならない主人だ。当然、戦闘の癖を熟知しているし、それはやられなくないことも知っているということになる。


 実を言えば、メーヴィスとアリーの間に実力差はほとんど存在しない。ただ、互いの闘い方についてどこまで熟知しているかという一点で、この戦闘は優劣が分かれているのだ。


 よって長年、アリーの戦いの癖を調べ尽くしたメーヴィスに取って、アリーを黙らせることなど児戯にも等しいことである。


「アリー、これでわかったでしょう。あなたに私は倒せない。それは甘さだとかそういう低レベルな話ではないのです」

「だとしても、オレがヴィスと戦わない理由にはならないよ」

「なぜ……いえ、分からず屋のあなたのことですから、また変なことを考えているのでしょう?」

「おいおい。親友を助けようって思いが、そんなに変なことなのかい?」


 肩で大きく息をしている。心臓の鼓動が全身に響いていた。アリーの限界が近いのだ。いくら『契約』で縛り付けているとはいえ、純粋な『デウスニウム』のみで構成されたファーストモデルの《アルシードシリーズ》では、長時間使用での体への影響が大きすぎる。


 このまま使用を続ければ、遠からず体が瓦解する。その時間はおそらく長くない。早く戦闘を終わらせなければならない理由が増える中、勝ち筋は次々と減っていく。


「ええ、変ですよ。私はあなたこそを救いたかったのに」


 再び交戦。この戦闘において初めて《獅子王》の右爪が手応えのある衝突を起こした。ただし、命中したのはメーヴィスが右手で持つナイフだったが。


 横なぎの爪にメーヴィスはナイフの切先を合わせてきた。本当ならば力技で押し出せるはずだが、限界が近いアリーにその底力は残されていない。それを把握しているからこそ、無理に《獅子王》の爪にナイフを合わせて受け止めたのだ。


 この行動こそ、大きな意味を生み出した。当たれば勝てると思い込んでいたアリーに取って初めての手応えのある攻撃だったのに、思うように力が出せない。かつ、受け止められてしまったとあれば、弱っている獅子の心を折るには十分だろう。


 一瞬の力みを見抜いて、メーヴィスの体はすぐに右に避け、左手に握られた角笛でアリーの腹を殴打する。あまりの衝撃を殺しきれず、背後で逃げ惑っていた市民数人を巻き添えにしたのち、地面に伏した。


「注意散漫ですよ、お嬢様?」


 攻防に特化した《アルシードシリーズ》といえど、《獅子王》は声紋式攻防切り替えシステムを採用したプロトタイプであるため、どうしても瞬時に切り替えられない。


 加えていうなら、《獅子王》の防御システムは完璧ではない。空中に滞空する防衛モードは全身をカバーできるほど大きくはないのだ。せいぜい上半身を全てカバーできるかといったところで、最大まで防御範囲を広げると、防御に有する膜が薄くなり、防御力が格段に低下してしまう。


 ゆえに防御モードは欠陥品と評価されていた。だが、父親譲りのあらゆる危険を未然に嗅ぎ分ける超直感でアリーは欠陥品とさえ言われた防衛モードを万全な状態で使用できていたのだ。


 それもアリーの精神状態が十全でなければ意味をなさない。

 心が折られたアリーに訪れたスキは、少なくとも一発の殴打によって内臓全体をぐちゃぐちゃにかき混ぜられる程には十分すぎた。


 口からパーティーで食したものと思われる残骸が飛び出した。こんなことなら食べなければよかったと後悔しつつ、起きあがろうと試みるが体がいうことを聞かない。腹部へのダメージで足が笑って立ち上がれないのだ。


「く、くるなぁ⁉︎」

「ヒギィ⁉︎」


 巻き添えにした市民が背後でうるさい。横目で見ると、倒れた市民を『感染者』がここぞとばかりに襲いかかっていた。もちろん、それは目と鼻の先だ。すぐにアリーにも手が及ぶだろう。


 それを察して、アリーは苦悶の表情で叫ぶ。


「“デネボラ”‼︎」


 傘が咲く。

 地面に伏し、丸くなったことでギリギリ全身をカバーできる防御陣営が出来上がる。しかし、それは一時的なことだ。ゴウンゴウンと防御膜を叩く音が響く。そこにメーヴィスのナイフで突き刺す音や、角笛での殴打の音も加わり、なおかつ完全に心が折れたことも相まって、アリーは涙を流す。


 恐怖はない。ただ、悔しかった。

 自らの弱さが招いた事件を、せめて自分の手で解決したかったが、メーヴィスの願いがアリーの強さを遥かに上回った結果になった。アリーの体はまだ立てない。こうしている間にも『感染者』は数を増していく。


 もっと強くありたかった。せめて、親友に心配させることのないよう、大切な人を守れるように誰にも負けない力が欲しかった。


 悲鳴が止んだ。逃げ惑う人々の足音が聞こえなくなる。

 終わったのだ。終わってしまった。守ると言った約束は、ついぞ果たされなかった。おそらく、ナギも無事ではないだろう。


 そう、アリーは地面を叩いて悔やんだ。


 コンコン。


 “デネボラ”の防御膜が叩かれる。しかし、メーヴィスや『感染者』のような強引なものではない。もっと優しい……例えるなら、ドアをノックするようなものだ。


「お待たせ……待ってないとは言わないよね?」


 淡い緑色の透き通るような白い髪。容姿が少し変わろうとも、その声を聞き間違えることはない。

 この場で、もっとも場違いなはずのその少女――しかしどこか安心することができる笑顔に、アリーはついつい笑ってしまった。

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